第26話『世界を救うために』

「虚子、三眼教の本部に潜入完了した」


《了解なの》


 今日は虚子はドローンではなく、銀星の黒パーカーに取り付けた隠しカメラ越しに、銀星が見ている光景をモニター越しに見つめている。元々、存在が認識されない銀星は隠しカメラにする必要はないのだが、単純に軽量で高性能ということで採用されている。


 『社会参画目指してがんばるぞい!教室』、通称三眼教は、現在は都内だけではなく、名古屋、大阪、福岡、札幌などの主要都市に支部を展開しているひきこもりの自立支援のための施設である。旧来型の、土地、物価、人件費の安い郊外に設立するのとは真逆の、都心近くに施設を構えるする逆張りのスタイルをとっていた。


 今回の銀星の目的は、『ひとで君』のデザインの設計者の部屋に侵入し、原案となる物理的な記録品、具体的にはノートなどを盗み出す、または状況に応じて破壊することが目的だ。虚子は、自宅にて銀星のサポートと、この作戦を成功させるための準備を着々と進めているのだった。


《施設内部の様子は事前に監視カメラで見てはいたけど、意外と普通な感じなの》


「そうだね。もっと閉鎖空間で先鋭化したカルトっぽい感じだと思ったけど……。今のところ、普通の感じの人が多い印象かな」


《そうなの。意外なの、なの……》


「なんというか、廊下を通り過ぎる人の表情を見ると老人ホームの人とか、そういう感じに近い印象を受けるね。年齢ではなくて、肩の力の抜け方というか、そんな感じの」


《カメラ越しではない、肉眼で見た入居者の雰囲気はどう、なの?》


「……少なくともテロを画策する集団のようには思えないけどね。まあ、人は見た目にはよらないとも言うから、油断はしていないけどね」


 実際、銀星の交感神経は高まり瞳孔は見開き臨戦態勢である。敵の懐の中で油断するほど戦闘経験が少ないわけではない。銀星は、事前に虚子に教えられていた、指定のポイントに移動する。本部ビルの一室。


 この『ひとで君』のデザインの考案者である人物の居る部屋へ。もちろん、虚子の監視カメラ越しにこの部屋の主は、外へ外出中であり、少なくとも1時間はこの部屋に戻らないことを確認したうえでの侵入だ。


《かーちん、覚悟はできている、なの……? 無理なら、ここでやめてもいい、なの》


「俺は、問題ない。——何も人を殺せっていうわけではなくて、ひとで君にまつわる一切のデータを物理的に破壊するだけだ。それが終わったら、すぐにおさらばする」


《でも、ここの部屋の人は、……》


「大丈夫。俺には、——関係ない」


 この本部ビルの一室に住んでいる人物は、『異世界転生オンライン』に関わり、『ひとで君』のキャラクターデザインの立案者である人物である。銀星は、事前に虚子から渡されていた部屋の扉を開ける磁気式のカードリーダーをかざし、室内に侵入する。


「室内の侵入に成功」


《おーけー。それじゃノートとかを探して欲しいなの》


 部屋の床にはあちらこちらに、魔術に関する本や、クリーチャーに関する本、ファンタジーの設定資料集など、おそらく趣味で読んだと思われる本が散らばっている。


 部屋の中にある、6人が着座できるほどの、大きめのファミリーテーブルには、色とりどりの多面体のサイコロやノートが置かれており、この部屋の持ち主がテーブルトークRPGの愛好者であることがわかった。おそらく、この施設の友人と遊ぶためのものであろう。銀星は、テーブルの上に置かれている、羊皮紙風のノートに手を取りペラペラと頁をめくり、字面を追う。ファンタジー好きの人間が買うAmazonなどで買える3000円くらい程度の物である。


「ノートの内容見えてるか。ミーム」


《カメラの感度は良好。細かい文字まで、ディスプレイで見えてるなの。書いているのは、何かのゲームやアニメの設定っぽいなの》


「そう、だな」


 殴り書きのプロットのようなページをめくっていくと、最後のページに意味不明な記述がされている。この記述だけは、万年筆で丁寧な字で書かれていて、このノートの筆者にとって重要な箇所であることが、一目で見てわかった。


【東の都の民の間に、旧神の印が満ちるとき、静謐なる丘はその真なる姿を現す。混沌の体現者より灰が舞い落ちるとき、東の都は異界なるべし】


 ノートに記された他の記述が口語体なのに対し、その一文だけは散文調であった。


「このノートはどうする?」


《——回収して欲しいなの》


「了解」


 銀星は一通り部屋を調べ終え、必要な物を部屋から盗み出し、この部屋から出ようとすると、ヒヤリと冷たい感触を左方に感じる……、銀星は左肩を掴まれていた。——本来最低でも、この部屋に戻るには1時間を要する距離に離れた、この部屋の住人が目の前に居る。この部屋の内外に仕掛けられたセキュリティー用の監視カメラを虚子が監視している事も考えれば、あり得ない事態。


 ——だが、銀星はその異常事態に驚くより、を感じていた。


「久しぶりじゃないか、銀星くん。私に会いにきてくれたのかい?」


「クソが——」


 銀星が、死別扱いにしている血縁、烏丸黄昏からすま たそがれ。銀星がそのように反応するのも無理はない。幼い銀星を捨て、一人でこの施設に逃げるようにして出て行った卑小な男である。母親は銀星が物心を着く前に若くして亡くなり、引き取る親戚がいなかった銀星が孤児院送りにならずに済んだのは、虚子の両親が引き受け人になってくれたからだ。


 銀星は、自分が捨てられたことを悲しみ、心から憎悪し、嫌悪し、そして数年の時を経て、元から居ない存在であると考えるようになった。その銀星にとっての『故人』が歩き、目の前に立っている。まるでグロテスクな3流のゾンビ映画でも見させられているような感覚だった。——吐き気が、抑えられない。


「銀星くん。どうしてここに来たのかな? 私に、会いに来てくれたのかな」


「——喋るな、耳が腐る。趣味の悪ぃガラクタを作るのを今すぐやめろ。俺はそれ以外てめぇにどうこう言うつもりもねぇ」


「ガラクタ。ひとで君、のことかい。あれは玩具会社から、ゆるキャラグッズのマスコットの作成依頼があったから私がデザインしただけだよ。私には工場を止める権限なんてないよ。あれは、大企業がお金を掛けて作っている物なんだ」


「すっとボケんな。アレが、もっと物騒な物だって事は調べがついてんだよ」


「——なるほど。どこまで銀星くんが分かっているの分からない。だけど、分かっている前提で話そう。アレは、東京を解放するものだよ。人の世のコトワリを破壊し、ガラガラポンでもう一度全ての人々にやり直しのチャンスを与える為の、触媒だ」


「——世界を壊そうっていうのか」


「銀星くん、この世界は既に壊れていると、考えたことはないかい?」


「壊れているのはてめぇの頭だ」


「そうだね。銀星くんの言う通り私も、みんなと同じように壊れている。だから——ゼロからやり直すんだ。壊れてしまった世界を——やり直すために」


「邪悪な神を使ってか?」


「邪悪な神、か。そうだね——混沌をもたらす人造の神。その性質は確かに悪だ。だけど、既存の神々は人の秩序を守るためのものだ、私たちのようなすでに道を外れて戻れなくなってしまった人間たちの救いにはならない。そのような神聖な神々にはこの世界に生きる人々を救えない。そのような真っ当な人間のための神を降ろしても、この壊れてしまった世界は救えない。この世界の構造を変えるには、もっと大きな力。そう世界には混沌が必要だ。分かるよね——銀星くんなら」


「意味わかんねぇ——てめぇは何がしてぇ?」


「私はね。世界を——人を救いたいんだ」


「——てめぇのガキ一人すら救えねぇカスの分際で」


「……、——っ」


「ミーム、虚構顕現メタファライズ——鉛バット。この部屋にある物理的な記憶装置は全て破壊する。ミームは、オンライン上の全ての『ひとで君』にまつわる情報を削除しろ!——てめぇのクソみたいな企みは終わりだ」


《了解——した、なの!》


 虚子は、ネットワーク上に存在する『ひとで君』に関わるあらゆるデータを削除できるよう入念に準備していた。ウェブ上に存在する『ひとで君』に関わるデータをAIが自動検知で削除するプログラムを起動し、ネット上のデータはドンドン削除されていく。そして、目の前のパソコンやバックアップ用の外付けのハードディスクドライブや、光学ディスクは鉛バットによって、破壊されていた。


 ——そして、表情一つ動かさずに、目の前で積み上げてきた積み木を崩される光景に、何も言わずに黄昏たそがれは最後まで見届けていたのであった。

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