第十三章 エルツェンゲル(4)嫉妬心と承認欲求の怪物

 スズランとリッジバックがトランスポーターへと進んだあと、ギデス大煌王は深い溜息をついた。


「やれやれ、あの方の判断とは言っても、自分の作り上げた時代が終わるのは悲しいものよ」


「お察しいたします、大煌王陛下。それでは、この後は?」


 腹心たるバトラ大将が、大煌王に同調した。


「わしはここを去る。人類宇宙の半分を支配するまでになったこのわしも、あのお方にとっては、もはや用済みじゃからな」


「それでは、及ばずながら私もお供いたしましょう」


「感謝するぞ、バトラ。今後はその奉公心に、あまり報いてやれそうにもなく、気の毒ではあるが……」


「いえ、覚悟しております」


 ギデス大煌王とバトラ大将はこの場を去るために歩き始めた。


 そのとき、床の上に倒れていたヴァルクライがわずかに動いたのを、バトラ大将は見た。あれほど徹底的に潰されて、まだ息があるとは。


「どうした、バトラよ」


「大煌王陛下、ヴァルクライがまだ生きているようです」


「ほう?」


「回収いたしましょうか? やつめにはまだ利用価値があるかもしれません」


「ふむ……。やつは天幻兵士としては強いが、いまひとつ知性に欠ける。上手く扱えたためしはないであろう。捨て置くがいい」


「はっ、仰せの通りでございます」


 バトラがギデス大煌王に一礼する。それから、バトラの身体が後方へとよたついた。――と思うやいなや、彼の身体は彼の後ろの一点へ向かって吸い込まれていく。


 ヴァルクライのレクトリヴ能力だ。


「好き放題言いやがってぇぇ、貴様らァァァ!」


 生ゴミのように床に這いつくばっていたヴァルクライが、バトラ大将に向かって片手を突き出していた。


 バトラ大将の身体が無下に折り曲げられ、圧搾され、空間中の一点に向かって消えていく。


 どばどばと際限なく血を垂れ流しながら、ヴァルクライは床の上に這いつくばった。片腕と片足は折れ曲がっていてもう動かない。あらぬ方向を向いた片眼はもう見えていない。


「バトラの次は貴様だ、大煌王……っ!」


 血の泡を吐きながら、ヴァルクライは叫んだが、ギデス大煌王の姿はもはや見えない。


「逃げやがったか……、命拾いしたな」


 ギデス大煌王は老齢ではあるものの、バトラが圧し潰されている間に走って逃げるくらいのことはできたようだ。


 床を這い、血の跡を描きながら、ヴァルクライはトランスポーターへと向かった。


 行き先は、研究所エリア。ニウス博士のいる場所だ。


 ◇◇◇


 最終要塞エルツェンゲル内の研究所エリアには、ニウス博士をはじめとした複数の研究者たちが集まっていた。


 部屋の中心には黒と赤色の光を放つ、エネルギーを帯びた球体、確率干渉兵器『漆黒の法』の発生機関が置かれていた。


「ひゃハ、ひゃハ、いいぞ、いいゾ」


 大きくのけぞりながら、ニウス博士は窓の外を見て笑っていた。


 窓の外――宇宙空間では、ギデス軍の艦隊が迫り来る敵艦隊と戦闘状態にあった。


 当初に接敵した、旧・統合宇宙政体の惑星ケルティア艦隊と惑星ステリッツ艦隊は、着実にその数を減らしていた。そのあとで、意外なことに、敵方の援軍として惑星シーアン艦隊が合流して、多少持ち直してきたところだった。


 そんな敵艦隊に――いや、味方艦隊も巻き添えにして――漆黒の法を撃ち込む指示を与えたのはニウス博士だった。敵味方合わせて十数隻の艦船が存在確率ゼロという地獄に引きずり込まれ、消えていった。


「次、次ダ! あのあたりの艦船に向かっテ撃て!」


「ニウス最高研究主任、あの領域は我がほうの艦船のほうが多いです」


「構わん、全部まとめテ消し去ってしまエ!」


 漆黒の法の砲塔から赤黒い光が打ち出される。それは戦闘中の艦船がいる領域の真ん中まで飛ぶと、そこで急激に膨張してあたりの艦をすべて巻き込んで消滅させた。


 ヴァルクライはその部屋に入ると、軍人たちや研究員たちが行き交う床の上を、這いずって進んだ。


 血を流し、息を切らしながらニウス博士のもとまで行くと、必死で壁にもたれながら立ち上がった。痛みよりプライドが優先したのだ。


「ニ、ニウス……」


「なんだア、ヴァルクライじゃないカ」


「頼む……、助けてくれ……」


 ヴァルクライが喉からひねり出した声を聴いて、ニウス博士はニンマリと笑う。


「助ける? 助けるってなんダ?」


「決まってる。治療してくれ、この腕、この脚、この目、この身体を治してくれ」


「断る。お前はそのままがお似合いダ」


「な、なぜだっ!?」


「醜い嫉妬心と承認欲求の怪物。その内面に、姿形がようやく見合ってきたところじゃないカ。それを治療するなんてもったいナイヨ」


 ニウス博士は凄惨に笑う。見ているヴァルクライは身体中の血液に氷を流し込まれたように感じた。


「じゃ、じゃあ……」ヴァルクライは叫ぶ。「俺から嫉妬心と承認欲求を取り去ってくれ! 辛いんだ! 嫉妬心が俺の脳を灼き、承認欲求が俺の心を引きちぎる!」


「断る。その嫉妬心と承認欲求こそがお前自身なのダカラ」


「それじゃあせめて……」


「せめて、なんダ?」


「あのミューという美しいレクトリヴ使いを、醜く、無様に変えてくれないか。そうだ! 俺と同じに、こんなにも醜く、こんなにも無様に変えてくれ! あんなに美しくて強いものを見るのは嫌なんだ!」


 血の泡を吐きながら取りすがるヴァルクライを、ニウス博士は笑いながら見下ろしているばかりだ。


「俺をひとりにしないでくれ! 醜く無様な仲間を、俺のためにつくってくれよ! あの美しく強いものが、俺みたいに無様になるのが見たいんだ! なあ!」


 ヴァルクライの懇願に、ニウス博士は大声で笑い始める。


「いいなア! いいなア! 期待以上だ! 私の作り出した醜い獣が、ここまで醜く育つトハ!」


「貴様……っ!」


「お前も実によく理解しているじゃないカ。醜く無様なものは美しいンダ。私は醜く無様なものを造りたかったんだ。私の意図がヨク伝わっているヨウデなによりダ」


「じゃあ……」


「だが却下だ。ミューはお前の同類になどならナイ。お前はそのまま孤独に醜く果てるがイイ。醜く無様で惨めなお前は永久に孤独で、傷を舐め合えるような仲間などイナイ。それが私の作品ダ」


 ヴァルクライは絶望した。ニウス博士は彼を助ける気はない。それどころか、彼が壊れ果て、息も絶え絶えであることを喜んでいる。


 たちの悪いことに、ヴァルクライもそんな無様なものを見る喜びを理解してしまった。誰にも救われず、誰にも望まれず、惜しまれず、ひとり孤独に死んでいく存在がこの宇宙にあるということに興奮を覚えた。


 それが自分自身でさえなければ、完璧だったのだが。


 別の研究員が、ニウス博士のもとへやって来て話す。


「ニウス最高研究主任。旧・統合宇宙軍サイドの艦隊があと三隻を残して轟沈または大破しました」


「それは結構。最後のひとひねりを、この『漆黒の法』でくれてヤロウ」


 ニウス博士の命令通り、漆黒の法は打ち出され、統合宇宙軍の艦船三隻とギデス軍の艦船数隻を巻き込んで消滅した。


「ハーハハハハ! これで敵は一掃できた! これで綺麗になったナ!」


 それを見ていたヴァルクライは、レクトリヴ知覚の手をニウス博士に巻きつかせ、一気に握りつぶした。


 数滴の血液を残して、ニウス博士は押し潰され、この世から消滅する。


 周囲にいた研究員たちや軍人が戦慄する。けれど、そのうちの誰もがヴァルクライには敵わないことを理解していた。彼らはただざわめき、硬直していただけだ。


「貴様らぁ! 研究員ども! この『漆黒の法』とやらを俺の艦に載せ替えるんだ! 早くしやがれ!」


 ヴァルクライは怒鳴り、研究員たちに漆黒の法の付け替え作業を行わせた。


 レクトリヴ能力ではもう勝てない。今となっては機敏に動くこともできない。ただ死を待つのみだ。


 けれど、『漆黒の法』があれば話は別だ。これがあれば、ミューを、そしてギデス帝国の本当の黒幕を、一気に片付けられるだろう。


 どうせ死ぬなら、死ぬ前に連中をできるだけ残酷に叩き潰したい、とヴァルクライは思った。


 ◇◇◇

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