第十二章 惑星マルス・下(2)金魚鉢から逃げ出して

 白衣を着たギデスの研究員たちが、右へ左へと歩き回っている。


 惑星マルスの赤茶色の大地の上――計算機構造物が疎になっている開けた場所で、彼らは研究データを分析し、その解釈を行っていた。


 背景には宇宙要塞バル=ベリトの巨大な身体が鎮座しており、その修復も急ピッチで進められている。


「ニウス最高研究主任、ミュー大将の姿が見当たりません!」


 ギデス兵からそんな報告を受けて、ニウス博士は薄笑いを浮かべながら振り返る。


「見当たらないっテ、レクトリヴ能力のスイッチを切って、金魚鉢に入れておいたんじゃなかったのカネ?」


「はい……。ただ、金魚鉢で目を覚ましてしまいまして。睡眠薬が足りなかったはずはないのですが……」


「あアー、それで脱走したんだネ。彼女は、狭い場所ではパニックになるからネ」


「いま、捜索させております」


 畏まってギデス兵がそう言う一方で、ニウス博士は興味なさげに首を横に振る。


「あアー、いい、いい。もう、アレの調整は終わっているからネ。遠隔でスイッチを入れさえすれば、アレのソレが始まるんだカラ」


 ◇◇◇


 遠くに宇宙要塞バル=ベリトが見え始めた。ギデスの研究サイトはこの先だ。


 ぼくたちがバギーを飛ばして向かっていると、実験サイトからはまだ遠いはずの場所で、人影を発見した。髪の長い、手足の細長い、女性――。


 ミューだ。


 彼女は恒星ソルの日差しから逃げるように、計算機構造物の陰の中で、地面の上に力なく横たわっていた。


「ミューさん!」


「ほんとだ、ストップ!」


 スズランはミューの近くでバギーを停めた。ぼくはすぐにバギーを降りて、彼女の様子を確認する。


 ミューはほとんど魂が抜けたようになっている。


「ミューさん、ミューさん!」


 ぼくは彼女の上体を起こし、ゆさぶる。かすかに、反応がある。


 バギーからはスズランも降りてくる。カイも近くでバギーを停め、ザネリウスもブニもバギーから出てきた。


「う……。ユウキ?」


「そうです、ミューさん。一体どうしたんですか?」


 ぼくの腕の中で、ミューが目を覚ました。相当にやつれている。彼女の身に何があったというんだろう。


「わたし……、いろんなものが、はいってきた……。つながれて、たくさんのもの、ずっと、ながいあいだ……、こわい……」


 どうやら、ミューはレクトリヴ能力のスイッチが切られているみたいだ。宇宙要塞バル=ベリトで戦ったときの意識のはっきりした彼女ではなく、惑星ザイアスで救出したときの彼女になってしまっている。


 怯えているようで、視線があちらこちらを彷徨うし、話し方も舌足らずだ。


「ギデスに酷い目に遭わされたんですか?」


 ぼくの問いかけに、ミューはこくりとうなずく。


 しかし、見たところ、外傷はなさそうだ。ギデスに裏切られて拷問にかけられたというような話ではないようだ。


 といって、ミューはリッジバックと同様の、サイボーグの身体を持っている。外傷に関していえば、かなりの耐性があるはずだ。脳や精神へのダメージは普通の人間と全く同じとは思うけれども。


 さりとて、このまま放っておくことはできない。ぼくはスズランに提案する。


「スズラン、彼女をバギーに乗せてもいいかな。ここに置いていくわけにもいかない」


「あたしたちは、これからギデスの研究サイトに向かうんだ。ミューはそこから逃げてきたのに、連れ戻すことになってしまうぞ」


「でも……、このままじゃ心配だ。ぼくたちはこれからミューを連れてギデスのところへ行って勝つ。それからリリウム・ツーに戻る。その間、彼女をこのバギーに乗せておきたいんだ」


 提案内容がやや厳しいことは、ぼくも承知している。これから難しい作戦を行うというのに、世話をするべきものを抱え込むなんて。


 スズランは溜息をつきながら、バギーへと戻ろうとする。


「……わかった。かまわない。だけど気をつけておいたほうがいい」


「気をつけるって、何を?」


「彼女、もしかすると、マルスの巫女かもしれない」


 ぼくは唖然とした。そんなこと、考えてもいなかった。


 でも、もしかすると……。彼女が拷問なんかではなく、ギデスの実験のせいで弱っているのだとしたら……。


 ◇◇◇


 ぼくたちは無事、ギデスの研究サイトへ乗り込むことに成功した。


 そこは開けた場所で、研究員たちが歩き回り、兵士たちが警備をしていた。奥には宇宙要塞バル=ベリトが接地していて、足場を組んで修復作業が行われていた。


 当然、ぼくたちの突入によって、ギデス兵たちがあわただしく武器を抱えて駆けてくる。戦闘ドローンも瞬く間に集まってくる。


 ぼくたちはバギーから降り、集まってきたギデス兵たちに対して構えを取った。


 この場にいるギデスの要人は……、ニウス博士くらいのものだ。いや、彼の隣に黒尽くめの男がいる。注意しなきゃならないのは――この、ヴァルクライだ。 


 ぼくたちがギデス兵に包囲されているところへ、ニウス博士とヴァルクライがやって来る。


「やア! やア! きみたち! ここまで来てくれるとはねエ! ミュー大将を連れ帰ってくれるとハ! 感謝! 感謝!」


 ミューがバギーから降りて、ぼくの背後に隠れる。ぼくは小声で「戻って!」と言ったけれど、彼女はバギーに戻る気はなさそうだ。


 にゃーん。


 見れば、黒猫のペシェはミューの肩に登っている。なんのつもりなんだろうか。


「ユウキ、ミューはお前が守ってやってくれ」


 スズランが溜息交じりに、ぼくに言った。こうなったら仕方がない。しっかり守り抜くんだ。


 ヴァルクライはぼくたちを見て笑う。


「ハーハッハ! 今回はあの炎使いがいねーじゃん。代わりに雑魚っぽいのが増えてるだけで、前よりショボそーじゃんよ」


 それから、スズランが質問する。彼女はヴァルクライの挑発に全く乗らない。


「バトラ大将はどこだ? 修復中のバル=ベリトの中というわけもないだろう」


「バトラだあ? あの野郎、とっくに惑星オルガルムに帰ったよ。あいつはマルスでのことには何にも興味ねえんだ。俺も興味ねえけどな」


 バトラ大将がもうギデス本星・惑星オルガルムに帰ってしまっているとしたら、この作戦の目標の幾ばくかは達成不能ということだ。


「お前はこのマルスには興味がないって? ここに何しに来たんだ?」


「あ? 俺はニウスの単なるお守(もり)よ。研究員どもがせわしなく計算機構造物とやらで遊んでやがるが、俺はそんなことには関係ないのさ」


 ヴァルクライはあくまでも、研究員たちが熱心に調査しているものから距離を取ることで得意になっている。


 スズランが無言で、ニウス博士に視線をやる。すると、ニウス博士はにやりと笑ってみせた。間違いない。ヴァルクライは“マルスの巫女”のことを、ニウス博士から聞かされていないのだ。


 何が面白いのか、ヴァルクライはぼくたちを見て、大笑いしている。


「んでさ、お前、レクトリヴ使えるようになったの? なあ? 見せてくれよ。俺さ、お前みたいなのが勘違いして一番前に立ってるの、面白くてたまんねンだわ」


 戦勝記念パーティーの襲撃のときと同じだ。ヴァルクライは、スズランに執着心を見せている。


 そこで見かねたカイが、スズランの前に立つ。


「スズラン中尉、ここは俺に任せてください。こんなやつ、ぶっ飛ばしてやりますから」


「カイ!」

 

  それを見て、ヴァルクライは嘲笑とも取れる笑みを浮かべる。


「おもしれーじゃん雑魚助。お前から潰してやるよ。おい、クソ兵隊ども、邪魔をするなよ」


 カイの度胸は称賛に値するとはいえ、相手が悪すぎる。カイがヴァルクライのつくり出すマイクロブラックホールで潰されてしまわないよう、ぼくが支援をしないと……。


 そんなことを考えていたとき、ミューの肩に乗った黒猫のペシェが、ぼくに耳打ちする。


「ユウキ、それもいいけど、ミューの脳のロックもしておくんだよ。ギデスがスイッチをオンにしたら、彼女は近くを取り戻してしまう。大人しく従ってはくれないだろうよ」


「で、でも……」


「ミューの脳に、きみのレクトリヴで触れておけばいい。それで、ロックはできるから」


 そう言われてしまうと、たしかにそうせざるをえないと思う。彼女がギデス天幻部隊の大将に戻ってしまったら、そしてギデスに寝返ってしまったら、大変なことになる。


「わ、わかった……」


 こうしてぼくは、ミューの身を守り、ミューの脳を監視しながら、カイを遠隔で支援するという複雑なことをすることになってしまった。


 ◇◇◇

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