『ハーバード白熱教室』で日本でも有名になった哲学者マイケル・サンデルは、バイオテクノロジーによって「身体を選ぶことができる」ような未来について警鐘を鳴らしたことでも知られている。
生まれもった身体を捨て、自分が選んだ身体に入ること、あるいは体の「不満な部分」を「良い部分」に取り替えること。それは人間の究極的な自由を意味しているように思われる。
しかし、とサンデルは言う。「自分が選んだのではない条件の中にあること」は、逆説的だが、人間の自由の前提なのだと。
不自由な身体。望まなかった容姿、性格。
そして、親。
そういった束縛である。
本作品の主人公が向かおうとするのは、こうした考え方とは対極にある方向かもしれない。両親との関係に悩みつづける彼は、肉体を新しくすることで、両親の死後なお残された親への執着――一種の呪いだ――をも断ち切ろうとする。
サンデル型の考え方にも一理はあると思うわたしだが、それでも本作で主人公が求めた「選択」と「未来」には感じ入るものがあった。それは主人公がなぜ「軛」から逃れたいと願うのかが、物語の中で密度をもって描かれているからだと思う。
主人公はいろいろ思い悩んでいるのだが、不思議とグジグジしたウェットな印象はなかった。それはみずみずしい文体のためだろう。
読んでいてわたしが理解に苦労したのは、主人公が捨てようとしているのが「遺伝的な(血の)つながり」であるととらえられているところか。彼の思いを生んでいるのは、生物学的なつながりよりもむしろ、長年の・毎日のかかわり(あるいはかかわりの欠損)であるようにわたしには感じられたのだ。
けれども人によってその受け止め方は様々だろう。子の親に対する葛藤が、SF的な題材を通じていかなる姿を見せるのかを、洗練させた形で描いた短編だと思う。