14章:三条紫雨は彼らの教官である

第76話 天井は無情にすり抜けるんだから情報だって簡単にすり抜ける

 桃ちゃんとお祭り騒ぎをした翌日。

 私は再び池袋駅の構内に降り立ち、目的地へ向け歩いていた。


 歩きながら無意識のうちにあくびを漏らし、慌てて口を閉じる。

 いかん。こんな日だってのに寝不足が出ている。


 いえね。決して、あの後もテンションが任せるままに、桃ちゃんと遊び倒したからって訳じゃないんですよ。

 あの後、買物からのカラオケになだれ込み、クラコンやサークルの人らの前では決して歌えないような曲の数々を久々に熱唱してきたせいではないんですよ。猫被らないカラオケ最高かな。

 その後も、夕飯までご一緒して、サイゼで二時間以上も盛り上がったからって訳ではないんですよ。


 緊張をね。

 解すためのね。

 必要な処置でしてね。


 寝不足の原因は、お家に帰宅後就寝前の時間に、『推しのガチャを引いたのに天井をすり抜け半狂乱に陥ったハクビシン瑠璃』からの鬼LINEが来ていたせいです。

 因みに何故わざわざ『』かっこ書きをしているかというと、奴のTwitter名が現在それになっているからである。どういうアカ名だ。


 ん? 『天井』とか『すり抜け』とか、言ってる意味が分からないって?

 分からないままの方が幸せだと思うよ!


 ともあれ、瑠璃からの鬼LINE及び絶望の電話を0時過ぎまで受けていたせいで、ほんのりと眠い。そして会話をきちんと終わらせた記憶がないんだけど、多分どっかで寝落ちしたんだと思う。普段だったら日付超えるくらいは別に余裕なんだけど、昨日は動き回ったからなぁ。

 まあ寝坊する程ではなかったし、今ちょっと眠いのは心地よく電車に揺られていたせいなので、別に大丈夫でしょう。




 気を取り直して、黙々と歩を進めれば。図らずも、早々に現場まで到着してしまった。

 本日は午前十時に『いけふくろう』とやらの像の近くで待ち合わせなのだけれど、現在まだ九時四十五分。十五分前である。


 別に、決して気合いが入っている訳ではない。

 まあ、気持ち早めに付くように家は出ましたけどね。

 ほら、遅延とかね、迷子とかね、あるとね、大変だからね。


 そして下見がてら昨日ルートを確認していたし、その後にこの辺を桃ちゃんと遊び歩きもしたので、想像以上にめっちゃスムーズに辿り着いたってのもある。



 しかし、十五分というのは大変に微妙な時間である。

 いっそ三十分くらい早かったら、近くの店を覗いたりして時間を潰す手もあったんだけど。十五分前ともなると、相手も早めに到着する可能性もあるから、ぶらぶらするのは気が引ける。

 確か池袋、紅太くんの最寄り駅から近いはずだし。


 仕方ない、とりあえず邪魔にならない隅の方で、ソシャゲのガチャでも回すか。


 あーでも、もうすぐイベントあるから温存しとこうかな。今のピックアップガチャも持ってないから気にはなるけど、イベント衣装も可愛いしこっちも気になるんだよなぁ。それに今のピックアップで迂闊に出したら瑠璃に締められそうだしな。

 それに最近の流れ的に、そのうち推しのガチャが来ないとも限らないし。前回のピックアップはまだ沼ってなかったから逃してるんだよね。鋼の心でスルーすべきか。

 でも推しのPUは最近来たばっかだし、可能性は低そうだしな……どうしような……。


 起動したソシャゲの画面を見つめ、イベントの告知とピックアップガチャのページを行き来しながら悩んでいると。

 背後から、とん、と肩を叩かれる。


 あれ、まだ時間そんな経ってないはずだけど、紅太くんももう着いたのかな? さっすが近所ー!

 と思いつつ顔を上げ振り返れば。


「へ?」


 思わず間抜けな声が出る。

 だってそこにいたのは、待ち合わせ相手の紅太くんではなく、桃ちゃんの最推しこと緋人様だったからである。


 黒い薄手のパーカーにグレーのハーフパンツという、いつもとほんのり装いが違うラフめな格好だったけれども、被ったフードの下から覗く顔は彼のものだった。




 何故に緋人様がここに?




「何故に緋人様がここに?」


 脳内で考えていたことを、何の捻りもなく口に出す。

 精神直結カスタマイズ……いかん昨日のカラオケの名残をリフレインしている場面ではない。


「細かいことは後だ。ちょっとここから移動するよ」


 疑問を差し挟む暇もないまま、勢いよく手首を掴まれる。思わずスマホを取り落としそうになって、慌ててバッグの中に押し込んだ。


「えっでも、もうすぐ紅太くんが」

「事情は知ってる。あいつにも俺から連絡するから大丈夫だ」


 早口でそう言うなり、半ば引きずられるようにして、私たちは東口の出口へ向かった。




 薄暗い駅構内から外に出ると、真夏の強すぎる日差しが突き刺さり、つい思い切り顔をしかめてしまう。

 一方の緋人くんは、至って涼しい表情である。なるほど、フードをしてたのはこういう時の日よけか。

 服と靴しか頭になかったけど、帽子についても考えとくんだったな。何しろあんまり外を動き回らないからな……。


 地元では考えられない、巨大な交差点で信号待ちをする最中。私はちらと傍らに佇む緋人くんのフードの中を覗き込む。

 今日も今日とて、一見は優しげな面持ちに、左目の下の泣き黒子による色っぽさで彩られたフェイスが大変に麗しくはある。

 が、その表情は、何かを懸念したように思わしくない。

 そしてフードの下から密かに目を配らせ、周りをしきりに気にしている。


 これは。

 これは、今までの経験上、よろしくないことが起きた予感が致しますね……。


「ねえ、どういうこと? 何かあったの?」


 小声で緋人くんに尋ねれば、やはり辺りには聞こえないような小声で返答がある。


に気取られた」

「あいつら……って」

「夏合宿の時に狙ってきた連中だよ」


 ほらやっぱり、よろしくないことが起きてるぅ!


「こんな早く!? 夏休みの間は大丈夫だろうって話じゃ!?」

「そういう訳でもなかったみたいだな」


 緋人くんは口元だけ笑みを浮かべる。


 ええー、緋人くんには珍しく、割と断言に近い感じで仰ってたのに!

 それよりも、敵が一枚上手だったとか、裏をかいてきたというところだろうか。


「今日のデートについての情報が漏れてる。だからあのまま、あそこにいるのは危険だ。間に合って良かった。

 徒歩圏内に別の駅があるから、そこから移動しよう。後で若林と合流できるように手筈は整えるよ」


 なるほど。池袋駅の方が路線はいろいろあるけど、駅を移動する途中で見つかるかもしれないもんね。もし現時点で見つかってたとしても、外に出て移動した方が、相手を撒ける可能性も高くなるし。


 だけど、あれ?




 何かに引っかかるが、信号が青になり、人垣に流されるまま進み始める。

 慣れた様子で混雑した道を縫うように進む緋人くんの後を、必死に着いて行く。手首を引かれてはいたが、如何せん人混みの中で動ける範囲が制限されるせいか、余計に疲れる。



「ちょっ……と、待って」



 早足の相手と慣れない靴とのコンボに加え、真夏の日差しで体力を削られ、私は人通りの少ない路地に入ってからすぐ音を上げた。少しばかり苛立った様子で、緋人くんは振り返る。


「これくらいでへたるなよ。今はとにかく、早く移動しないと」

「分かっ、てるけど」


 ぜいぜいと息をつきながら、顔を上げる。

 半ば焦り、半ば呆れた様子で、彼に見据えられ。




 荒く吐き出していた息が、ヒュッと止まった。






「誰?」


 




 掠れた声で呟いた私に、彼は怪訝に眉根を寄せる。


「こんな時に何を言って」

「緋人くんは」


 私は。

 目の前の人物を。

 彼のを、じっと見据える。




「緋人くんの泣き黒子は、でしょう」




 そう。

 なんで、気付かなかったんだろうか。

 

 奥村緋人の泣き黒子は、右目の下にある。


 それが、変動することなんて、普通はあり得ない。

 まるで間違い探しのようなポイントだったけれど。

 気が付いてしまえば、違和感の塊でしかない。



 それに、そうだ。

 緋人くんは、紅太くんのことを『若林』と呼ばない。

 公的な場ならともかく、少なくとも私と二人の場面では下の名前の方で呼ぶはずだ。






「へぇ?」



 緋人くんのものより、ワントーン低い声で呟き。

 その声に、暑いはずなのに、ぞわりと鳥肌が立つ。



「よくそんなところ気付いたね。案外、見てるんだ?」



 まさか。

 こいつは、もしかして。



「……黒崎くろさきさく?」

「ひさしぶりぃ」



 間延びした暢気な口調で言い、ひらりと空いた方の手を振ってみせてから。




「でももう、遅いけどねぇ?」




 そう。

 人通りの少ない路地で。

 私の手首を掴んだ状態で。




 左目の泣き黒子を有した黒崎朔は、久方ぶりに姿を現した。

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