第15話 世界よこれが本家だ

 ああ……。


 本物だ。

 本物で本家の、純然たる純粋な若林くんである。


 顔が良い……。

 顔も中身も良い……。



「なんだ、お前か。思ったより嗅ぎつけるのが早かったね」



 擬態若林は落ち着いた様子で若林くんを見据えるが、さっき私を相手にしていた時より、声が固い。警戒しているみたいだった。


 というか、また声自体がちょっと変わってないか?

 白澤から鬼灯様くらい変わってるぞ??

 声帯広すぎない???



 一方の若林くんも、普段よりかなり声のトーンは低かった。

 背を向けているから表情は見えないけど、ぴりぴりとした怒気が伝わってくる。

 明らかに怪しい&昼間の犯人っぽい奴だもんね……。


「どこの誰だか知らないけど。ここにまで踏み込んでくるってことは、覚悟はできてるんだよな?」

「ご冗談」


 擬態若林は、後ろ手で素早く窓を開け放ち、窓枠に飛び乗った。


「面と向かってお前を相手にする気はないよ。

 オレは。多少の成果は得たし、帰らせて貰うよ」


 そう言い残し。擬態若林は窓から飛び降りて逃げた。

 すかさず若林くんが窓まで走り寄ったが、外を確認して舌打ちする。どうやら既に姿を消してしまったらしい。ここは二階のはずだが、身軽なことである。


 なんにせよ危険な奴が去ってくれたので、気が抜けて大きく息を吐き出した。

 と、勢いよく振り返った若林くんに両肩を掴まれる。


「望月さん、大丈夫!? 何かされた!?」

「大丈夫。未遂でした!」

「本当に? 変なことされてない?」

「されそうにはなったけど、その前に若林くんが来てくれたから平気だったよ」

「……何されそうになったの」

「ええと……」


 説明が。説明が、大変に憚られる。

 だけど若林くんはすこぶる真剣な表情である。心配してくれている手前、答えないわけにもいかない。

 セクハラにならんかな? 大丈夫かな???


「いや、ね? なんか、食うとか言われてさ。

 最初は物理的にバリバリ食われるのかと思ったけど、そういう意味ではなかったようで、まあ、そんな感じ」

「……ろす」

「え?」

「いや、なんでもない。間に合って良かった」


 深い息を吐き出して、ようやく若林くんは私の肩から手を離した。その手元に、思わず目が行く。

 さっきの侵入者同様、黒ジャージを身にまとう彼は、やはり萌え袖である。

 あの擬態若林、悔しいが再現度が高い。


「来てくれて助かったよ。ありがとう」

「逆だよ。本当ごめん」

「なんで謝るの? 別に、謝られるようなこと、」


 話している途中で。私は大事なことを思い出し、全身から血の気が引いた。

 そうだった。土下座ものなのは、私の方だ!!!


「ごめん!」

「え?」

「私。若林くんたちの秘密、漏らしちゃったかもしれない」


 私は、擬態若林とのやりとりの一部始終を説明した。

 記憶を辿って、交わした会話はできるだけ再現したつもりだけど、なにしろ状況的に私も軽くパニックだった。漏れがないか心配ではある。そこまで長い会話じゃなかったけど、相手にとってどこが要点だったんだろうな……。


 ともあれ話を終えて、改めて腰を折り謝罪すると。

 若林くんは「なんだ」と呟いた。


「望月さんが気にすることじゃないよ。元はといえば、俺が原因なんだし。

 それに、どうせ相手はその辺の情報は知ってた。再確認くらいの意味合いだったんだと思う」

「でも。それでも話しちゃったことに変わりないから。本当ごめんね」

「謝ることじゃないって言ってるだろ。それにあの姿で来られたら、誰だって俺本人だと思うよ。

 っていうか、よく見破れたよね」

「あ、うん。ちょっとね」


 可愛いがあざとすぎたから、とは言えない。

 そこを突っ込まれるとちょっとアレなので、少し話を逸らす。


「昼間、若林くんを撃ってきたのって、あいつなのかな」

「多分。そうだと思う」


 頷いて。若林くんは、顔をしかめた。


「心当たりが、ないでもないんだ。けど。

 巻き込んでおいて、申し訳ないけど。今は、話せない」

「あ、大丈夫、分かってるよ。ごめんね、余分なこと聞いちゃって」


 慌ててぶんぶんと手を振る。いかん、話のチョイスを間違えた。


 さっきだって、考えてたはずなのに。

 私みたいな何の関係もない一般人が、興味本位で首を突っ込んじゃいけない。

 あくまで、私はただの血の提供者に過ぎないのだ。深入りしちゃ、思い上がっちゃ、駄目なんだ。二人の迷惑になるだけだ。


「違う。そうじゃ、ないんだ」


 首を振り、若林くんは私の手を掴んだ。


「血を貰っておいて。ここまでしてもらっておいて、今更なことを言うようだけど。

 これ以上、君を僕の事情に巻き込みたくないんだ。

 緋人とも相談して、……ちょっと、考えさせて」


 それは。

 現時点における、最大限の彼の優しさなのだろうと思う。


 たまたま今回、ちょっと危うい目にあってしまったことで、彼は私への引け目を感じてしまっているのだろう。

 彼らの事情は分からないけれど。あの擬態若林みたいな危ない奴が手を出してくるくらいだ。一筋縄じゃいかないものなんだと思う。


 その事情を、何の力もない私に話してしまうことは、そして側に置いておくことは、彼らにとってそれなりのリスクが伴う。

 それこそ、緋人くんが最初に懸念していたように。


 だから。これが原因で、距離を置くことを選択されたのだとしても。

 それは、仕方のないことだろう。

 二人が決めたのなら、私は彼らのためにも、大人しく身を引かないといけない。


 推しの健康に貢献できなくなることに。

 寂しさと悔しさは、あるけれども。




 そんなことを考えながら、既に感傷に浸り始めていると。

 私の指先から、若林くんの手の甲にまで、血がたらりと伝い落ちた。


 いかん。忘れていた。

 そうだった。怪我してたんでした。


「あのさ。このタイミングで非常に悪いんだけど」


 私の手を握りしめたまま、若林くんが申し訳なさそうに言う。


「血。もらっても、いい? 流石に、こう、……理性が」


 かッ……!

 かっわいいなぁぁぁ!!!


 そうだよねー目の前で出血してるんだもんね! 飲みたいよね!!

 いいよーいくらでも飲みな? こんな変態のうるさい血でよければいくらでもあげちゃうよ?


 既視感があるけど、可愛らしさの中に慎ましさもあるこれが本家だよく覚えとけ擬態若林ィ!

 アッいやあんまりトレースされると、もしまた現れた時に見破るの困りそうだからやっぱ覚えないで!


「そういえば。若林くんがここに来てくれたのって、もしかしてそれが理由?」


 少々意地悪なその問いかけに「うっ」と言葉を詰まらせてから。

 萌え袖で隠れた手の甲で口を隠し、彼は気まずそうに目を逸らした。


「だって勿体ないんだもん……」


 ハイ天使!!!

 ハイご馳走様です!!!


 いいよいいよもうなんでもいいよ!

 どっちみち天使は確定だから!!!

 私の前に彼を顕現させてくれてありがとう世界!!!!!


「その言動は心臓がまろび出てしまいそうになるので寿命に悪いよ大天使……」

「なんて?」


 うん。これだよこれ。

 本家はこうでなくては。






 若林くんに血を提供した後、しかしすぐには飲み会場に戻らず、私は若林くんたちの宿泊する部屋の前で待機していた。


 血を吸った後、若林くんはいつもの流れで傷を治してくれていた。

 私にとっちゃありがたいけど、さっき私が怪我したことは周りの人たちに知られている。なので、今度は傷の治りを隠すために絆創膏を貼る必要があったのだ。

 元々は幹事の先輩から絆創膏をもらう予定だったけど、この状態だと怪我してないことがバレるので、若林くんの手持ちの絆創膏を貼らせて貰うことになったのだ。さすが天使である。



 若林くんが絆創膏を持ってくるまでの短い間。手持ち無沙汰になんとなくスマホを確認すると、Twitterからの通知が来ていることに気付く。

 アプリを開いてみれば、私のメインアカウントに、見知らぬ人物からダイレクトメッセージが来ていた。

 相手のアカウント名は『黒崎くろさきさく』とある。


 なんだろう、と思って開いてみると。

 そこにはたった一言、こう書かれていた。



『ごちそうさまでした』



 なんの事か分からず、首を傾げる。

 と、私が既読にしたのを見計らったかのように、次のメッセージが届いた。



『君が喰わせてくれないからいけないんだよ』



 その直後に送られてきた写真を見て。

 私は、目を見開いた。


 次の瞬間、私は数部屋離れている自分の部屋に飛び込んだ。部屋の隅に放置されているバッグに飛びつき、中を開けるが。


「嘘ぉ!?」


 いや待て。

 待て待て待て待て待て待て!?!?!?


 バッグの中に入っていたはずの、紗々さしゃが、ない。


 正確には。

 中身が空になった箱しか残っていなかった。


 まだ未開封だったはずのパッケージの中には。

 一つ一つ丁寧にチョコを包んだビニールが、一つも、ない。



 ――念のため補足しておくと。

 紗々とは、うっとりするような口溶けと、パリリとした触感が大変によろしい、美味しく素敵なチョコレート菓子であり。


 つまりは私の好物である。


 合宿の夜にちょっと先輩たちと分け合ったりしながら話に花を咲かせようと思っていた、

 でも大多数は後で自分がゆっくり堪能しようと思っていた、


 つまりは私の好物である。




 黒崎朔なる者から送られてきた写真には。

 食い荒らされた紗々のビニールと、ふざけたピースの手が写っていた。




 数秒間、現実を受け入れられずに天を仰いでから。

 数秒後、この情報が繋がって脳が処理を完了する。




 つまり、だ。

 つまりは。

 お前だろ、擬態若林。



 おい。

 おいこら擬態若林……いや。


 黒崎朔。


 おいこら黒崎朔!!!!!!


 普通に泥棒じゃねーか!!!



 返せ!

 返せ、私の紗々さしゃ!!!!!



「こ……このやろう……!」



 自然と口から罵倒が漏れ出た。

 だけど既にぶつける相手がいない台詞は、虚しく空に浮くだけだ。


 そんな私を嘲笑うかのように、またもやスマホが震える。



『あいつに血をあげたんだし、オレにだってなんかくれなきゃ不公平だよねぇ』



 ふざけた文面に、スマホを壁へ叩き付けたい衝動に駆られるが、ダメージを負うのは私だけなので踏みとどまる。


 なんだよコイツ。

 本当になんなんだよコイツ!?



 このとんでもない不届き者へ抗議すべく、猛然とフリック入力を開始しようとしたが。

 気が付くと、画面の一番下には次のメッセージが表示されていた。



『今後、この方にダイレクトメッセージを送ることはできません。詳細はこちら。』



「ぶ……ブロックしやがった……!?」



 剛速球で投げ返そうと思っていた怒りの行き場を失い、私はスマホを取り落とした。


 言い逃げだ。

 言い逃げだよ。

 ていうか食い逃げだよ。


 いや、なんだお前。

 さっきのも合わせて、ほんと、


 なんっっっだお前!?!?!?



「いつか! いつか!

 いつか泣かす!!

 いつか絶対泣かしてやるからな!!!!!」



 階下で騒ぐサークル員たちには気付かれぬよう、抑えた声量で叫び。

 何事かとやってきた若林くんを尻目に、私は拳を握り固く決意したのだった。




 覚えておけ。

 食べ物の恨みは、かくも恐ろしいものであるということを――!









 こうして、私は。

 胡乱な襲撃者、黒崎朔を天敵と認定した。

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