第10話 ゲス黒(確信犯)

 衝撃のスーパー攻め様タイムから、二日が経過した水曜日。

 私はご主人様、違った、奥村くんにサークル部屋へ呼び出されていた。


 今日も私たち二人だけだ。ただ今回、他のサークル員がいないのは、単なる不幸な偶然らしかった。私も時間割を確認したから間違いない。

 大変に冷や汗が出るので、早く誰か来て欲しい。


 奥村くんに弱みも手綱も握られた私は、けれど特にこれまでの生活と変わらない日々を過ごしていた。漫画とかでよくある展開よろしく、パシリにでも使われるのかと思ったけど、そういうことは一切ない。

 本人曰く「しょうもないことのために優位を振りかざしてどうするの。むしろ普段は優しく飼いならしておいて、いざという時のために切り札は取っておかなきゃ」ということらしかった。

 なんかガチっぽくてやべぇ。


 それに本日呼び出されたのも、班発表の原稿を先輩に上げる前に、お互いにチェックし合おう、という至極まっとうな理由だ。

 そういえば同じ班だった。ガチで忘れかけてた。


「締切は来週だけど。シロに間抜けなレジュメを作ってこられたら困るからね」

「恐れ入ります」


 実は、昨日連絡を受けてから慌てて作っただなんて言えない。

 だってまだ期限まで時間があるのに!


 一通り私の作成したレジュメに目を通してから、奥村くんはじろりと厳しい視線を私に向けた。


「どうせ締切間際に書き上げるつもりだったんだろうけど、事前に呼び出して正解だった。この完成度で発表するつもり?」

「いやっそれはまだ初稿で、これからじっくり推敲をですね」

「推敲の余地が出来たのは僕が呼び出したからだろ。容赦なく赤入れるから覚悟してね。

 それからシロもちゃんと僕の原稿に意見してよ。その為に呼んだんだから」


 不満混じりにそう言ってから、奥村くんは赤ペンをくるりと回し、真顔で原稿に向き直る。


 …………。


 思いの外、真面目に活動をしていらっしゃるー!

 普通に申し訳ねぇーーー!!!


 慌てて私も手元に目を落とし、奥村くんのレジュメをチェックしだす。

 あっれ、これ凄い分かりやすくまとまってるな。私が赤入れる余地あるのかこれ? もうこれ完成で良くない?

 でもちゃんと意見しないと怒られるやつだな……。


 唸りながらしばらく原稿に向き合っていたが。どうにも作業が難航して、私は奥村くんをちらりと窺う。

 彼は赤ペンを指先で弄びながら、真剣な面持ちでレジュメを読み込んでいた。時折シャッと小気味よくペンの動く音が、静かな室内に響く。


 待って。今、段落全部にバツつけなかった?

 やだ、怖い。


 それにしても。

 笑顔の彼も(本性を知らなかった時は)いいと思ってたけど。男性のね、このね、真面目な表情ってね、ちょっとキュンとするよね! ときめくよね!

 まあ中身が真っ黒だけどなー。


 ……いや。

 逆だね?


 むしろ本性が凶悪だからこそ、こういう不意な時に見せる何気ない表情がたまらんな?

 性癖だな?


 そうだよ。この人、ぶっこんでくるものが多すぎて、属性ラッシュにパニックでこの思考までなかなか辿り着かなかったけど。

 優しく見えて裏は真っ黒とか、ビーでエルでヤンでデレな疑惑とか、ドSとかご主人様とか、エトセトラエトセトラ。

 奥村くんも大概にして、とてつもない性癖だな?


 しんどい。



「真面目にやらないとお仕置きするよ?」

「ごめんなさい!」



 雑念まみれでぼうっとしていた私に気付き、ご主人様せいへきからお叱りの声が飛ぶ。

 ひえっと肩を跳ねさせて、今度こそ私は真剣にレジュメを熟読し始めた。



 が。




 ……いやちょっと待って、反射的に返事しちゃったけど。




 『お仕置き』って何?




 どうしてそんな語彙がさらっと出てくるの?

 おかしくない?


 日常生活でその言葉、ほとんど使わないよね??

 二次元でしか見ないよ??


 つまり日常でも頻繁に使ってるの???

 頻出単語なの???




 ……誰に?

 誰に使ってるの?




 わ……。


 わか……。


 わかば……。




 …………。




 ……若葉マーク! 若葉マークゥ!

 若葉マークなんだよ私はこの辺!!

 いきなりぶっこんでこないで!!!

 思考回路がショート寸前よ!!!!

 なにもかも追いつかない!!!!!




 しんどい。




 …………。




 奥若、若奥……。

 いや緋紅ひべに? 紅緋べにひ



 ……緋紅ひべに(確定)。




******




 レジュメの検討会がひととおり終わり、私は脱力して机に突っ伏した。

 溢れ出す雑念で全く集中できないながらに、どうにか数個ひねり出した指摘事項は、奥村くんも納得するところであったようだ。ありがとう火事場の馬鹿力。

 なお、私のレジュメは真っ赤になって返ってきた。

 赤ペン先生だ! 赤ペン先生がいるよ!!

 帰ったら直さないと……。締切前にもう一度、提出を命じられてしまった……。


「じゃあ、今日はこんなところかな。

 ああ。あとそれから、一応言っておくけど」


 レジュメを揃えてクリアファイルにしまってから。

 彼は無駄のない動きで、サッと赤ペンを私の喉元に突きつけた。


「もし、俺と紅太とでいかがわしい妄想したら、八つ裂きにするよ?」


 この人エスパーかな!?

 どうして私の思考回路を読んでるのかな!?!?!?


「返事」

「わん!」


 間違えた。


 あ、でも状況からしてこの返事は正解なのかもしれない。

 ……いや違うな。間違えてるな。人の道とか。


 奥村くんは、冷や汗だくだくな私へペンを押し当てたまま、その先端をぐりぐりと回した。

 痛くはないけど、その力加減が絶妙で、怖い。

 お願いですので突き刺さないでください。しんでしまいます。


「お前のだらしのない目元と口元を見てれば大体考えてることは分かる。

 人の思考までは制御できないから、仕方のないことではあるけど。ちゃあんと学習するように、その都度、矯正していくからそのつもりで」


 脳内は!

 脳内くらいは許してください!!!

 脳内に自由を!!!!!


 しかしもちろん、その主張は口に出せなかった。次は本気で刺されるかもしれない。

 奥村くんはようやく赤ペンを離すと、片付けをしながら淡々と続ける。


「それはそれとして、話を戻すけど。修正原稿が出来たら、僕に送ってね。またチェックするから」

「あ、ありがとうございます」

「あんまり字が綺麗じゃないから、読み辛いとかあれば言って。

 もし何か分からないことあったら聞いてよ。同じ班員なんだしさ」


 親切に告げられたはずの、その台詞に。

 思わず私は思い切り怪訝な顔で、まじまじと奥村くんを見つめてしまう。


「なんで引いてるの」

「だって。なまじ裏の顔を知ってるだけに、その優しさが怖い」


 『優しさが怖い』なんて台詞、リアルで言う日が来るとは思わなかったよ!


 手を止めて、彼はフラットな表情で私に向き直った。


「脅しはしたけどさ。俺はサークルの同期として、普通にシロと付き合っていきたいと思ってるんだよね。表向き」

「表向き」

「他意はないよ。本性知られてるのに、こういう場所でまで隠すつもりはないって意味。

 俺だって四六時中、気を張ってるわけじゃない」


 奥村くんは。さっきまでは『僕』だった一人称が、『俺』になっていた。

 彼の場合。多分、表の顔を取り繕わずに深い話をしているとき、『俺』になるのだろう。

 だからきっと、これは彼の本音だ。


 彼の詳しい事情は、何も分からないけど。

 先週や月曜日のことを考えれば、若林くんに関すること、末裔に関することなんかについては、なるほど過激になるきらいがあるのだろう。

 けど、今日の(それなりに)平和だったやり取りの全部が全部、演技ではないはずだ。だって彼の言うように、もう私に隠す必要はないのだから。

 彼の本性は。腹黒いというだけでは、きっとないのだろう。


「それから。もう一つは」


 奥村くんは立ち上がり、椅子に座る私の隣で中腰になると。

 肩に手を回して、頭を抱え込むような形で私を撫でた。

 ふわふわした彼の髪が頬に当たって、こそばゆい。


 突然のことに私が硬直していると。

 そのまま奥村くんは、耳元へ口を近づけ、ほとんどゼロ距離で囁く。




「下手に紅太に惚れられるくらいなら、俺に惚れてもらって、手玉にとっておく方が都合がいいからね」




 いや真っ黒やないかーい!

 やっぱこの人ゲスいわ真っ黒ーーー!!!




 あ、そして存外に声が良い……。

 岡本信彦さんばりの甘いボイスが、とんでもねぇ……。


 良い……。

 しぬ……。



 いのちをだいじにするために、両手を伸ばして奥村くんを引き剥がす。案外と彼は、あっさりと離れてくれた。よかった、しぬところだった。


「オトそうとしてる奴に手の内を明かしてどうするの!?」

「むしろお前は、こういう前提がある方が萌えてくれそうな気がしたからね。

 最初は相手に興味がないはずなのに、だんだん絆されて惹かれていく、っていう設定でちょっとずつ接し方を変えていけば、案外チョロそうだ」


 うんまあ、確かにそのシチュエーションにはテンションちょっと上がりかけたけど。

 なんでこの人、私の性癖を把握しつつあるの!?


「俺みたいに裏表があるキャラクターも好みなようだしね」


 そう言って、奥村くんはにやりと笑う。


 ……そうだ。


 本性だだ漏れのアカウント知ってるからだー!

 政略結婚で愛のない契約関係からのいちゃらぶな恋愛小説いろいろブクマしてるからだーーー!!!


 逃げられねーーーーー!!!!!

 ゲス黒ぉーーーーー!!!!!




 奥村くんは、なまじ自分の性格も私の性格も性癖もきちんと把握した上で、それを上手に利用してるだけに。

 とんでもなく、タチが悪くて。

 とんでもなく、性癖だなと思いました。




「今なにか、いかがわしいこと考えた?」

「わん!」




 間違えた。

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