第72話 所属寮の妄想は鉄板だよね

 かつての私につけられたあだ名は『男限定の死神』である。

 あまりにも安直が過ぎる名称だけれども、小学生男子のネーミングセンスなんざ、そんなもんだろう。




 小学生の時に蒼兄と離れてから、私は久しく恋愛というものから遠ざかって生きてきた。

 だけど、皆無だった、というわけではない。


 蒼兄がいなくなってから、しばらくメソメソ過ごしていたのは本当だ。今から思えば、割と末期だった。

 当時はなんだか男の子全般が蒼兄を連想させてしまい、その都度また涙腺が崩壊しそうになっていたので、男子とはほとんど関わらないよう過ごしていた記憶がある。


 それでも数年が経過すれば、多少は立ち直る。

 いい加減に立ち直らねば、社会でやっていけないのでは? という危機感が子どもなりに芽生えた、ということもあった。

 不幸な偶然が起こり始めたのは、そこからだ。




 まずは小学四年生の時。隣の席になって仲良くなった男の子と一緒に帰宅途中、彼は大きな野良犬に噛まれ、数針縫う羽目になる騒ぎになった。


 特に道草をしたわけでもなく、いつも通りの通学路で起きた事故である。一緒にいた私が咎められることはなかったけれど、元々過保護気味だったという彼の母親の意向により、スクールバスの出る私立の学校に転校してしまった。



 小学五年生の時には、まず臨海学校のフォークダンスで私と踊った全員が、クラゲやハチや、何かしらに刺される事件が起こった。

 もっとも、フォークダンスなんてのは流れ作業である。それに臨海学校でクラゲに刺されるなんてのはザラだ。だからこれ自体を私と結びつけた人は、初めほとんどいなかった。


 だけど後日になって、クラゲに刺された一人である男子が、去年の野良犬騒ぎのことを思い出し、私と踊ったせいじゃないかと冗談半分にからかった。今から思えば、それは子どもによくある、好意故のひねくれた意地悪だったのだろう。


 するとその男子は、直後の図工の授業で友人とトラブルになり、手に深く彫刻刀を刺されて病院送りになってしまった。

 詳細は知らないが、この件は当然、双方の親も巻き込んで揉めに揉めたようだ。結果として、彼も加害者の方も、両方が転校する事態となった。


 彫刻刀を刺したのは私じゃない。もちろん、大人たちから私が何か言われることはなかった。

 けれどタイミングがタイミングだったのと、六年間ある小学校生活でもそうそう起こらない『転校』という顛末へ、二回とも私が関わっているということに、もっぱら男子から影で『死神』という呼称を囁かれるようになった。



 因みに。

 こうした私の悪い噂を表だって吹聴した人物には、大なり小なり悪い出来事が降りかかったらしい。

 詳しくは知らない。

 あまりに数が多かったから。

 それもより一層、影での噂に拍車をかけていった。



 正面から悪くは言われないものの、半数程度の男子からはそっと距離を取られるようになった小学六年生。修学旅行の時に班長をやっていた私は、副班長の男の子と、それこそいい感じになったことがある。

 その子は良い子だった。本当に良い子だったのだ。

 去年と一昨年の騒動を踏まえた上で、「偶然なのにね」と笑い飛ばしてくれて、やや男子から倦厭されていた私のグループと班を組んでくれた。


 私と彼とは、授業内に組み込まれた時間だけでなく、放課後や休みの日に図書館に行って調べ物をしたり、一緒に買い物に行ったりした。

 多分、私はその子のことが好きだったんだと思う。自覚に至るまで、きっと時間の問題だっただろう。


 彼のことを差っ引いても、男女共に仲が良い班だった。噂のことを忘れ、私は準備段階から本当に修学旅行を楽しみにしていたのだ。

 きっと、鎌倉への修学旅行は、小学校生活の得難い思い出になっただろう。


 彼が、修学旅行前日に、近所の神社の階段から転がり落ちて、骨折さえしなければ。


 当然、修学旅行は欠席。旅行中は他のメンバーも沈みがちで、特に男子は急によそよそしくなり、楽しみだったはずの修学旅行は浮かないものとなってしまった。

 彼は転校こそしなかったけれども、そんなことが起きてからは、ほとんど口をきかなくなってしまった。




 ここまで来ると、噂を馬鹿にしたり興味がなかった残りの男子も、そして自分自身も、「まさか」という心情に誤魔化しが効かなくなってくる。

 ただの偶然だと、理性で納得しようとするにはまだ幼かったし、その他大勢の男子が許してくれなかったのだ。


 口さがない小学生は、影では容赦なく『呪い』だなんだとはやし立てた。

 そして、少しでもそれが目立ってしまうと、実際に不幸な出来事が起きる。

 それこそ、触らぬ神に祟りなし状態だった。


 幸いにして、女子には味方になってくれる子が多かった。

 けれども、男子は以前より、分かりやすく私を避けてくるようになった。だから私は女の子に囲まれながら男子から隠れ、ひっそりと残りの小学校生活を送ったのだった。




 ほどなく中学に進学したので、ほとんど噂はたち消えた、ように思う。裏で密やかに言われていた可能性はあるけど、少なくとも私の耳には入らなかったし、中学生ともなれば、真に受ける人もあまりいなかったのだろう。


 しかし。泣く子も黙る黒歴史時代、中二の頃。

 噂の言葉を借りるなら、最大級のが起きた。

 こればっかりは、本当に思い出したくないので割愛するけれども。


 ともあれそれから後は、男子とは必要最低限の関わりだけに留めたのだ。

 中学校では小学校と違い、男子と関わる機会が減ってくれたおかげもある。部活は女子だけだったし、思春期まっただ中の中学生は、必要がなければ異性と話す機会も少なくて済むので、それも幸いした。




 そして高校は、うちの県が普通科の男女別学率が高いのをいいことに、女子校を選択し、大変お気楽に三年間女子だけ生活を満喫したところで、現在に至る。




 つまり、いわゆる思春期でアオハルな時代を、私はほとんど女子だけに囲まれながら安穏と過ごしていた。

 それはそれで見栄とか抜きに、めちゃくちゃ楽しかったけどね。


 ともあれ。

 それ故に、単純に恋愛云々の経験値が絶望的に足りないのみならず。

 件の不幸な出来事のおかげで、すっかり私は自分の色恋沙汰に及び腰になってしまったのだった。






 水を飲み干し、私は重苦しい息を吐き出した。


「そうはいっても、こんだけ事例が山とあるとね。

 そもそも遡るなら蒼兄だって、私の呪いが炸裂した第一例というセンも否めないですし」

「例のお兄ちゃんね。

 っていうか。生き別れた元義兄と再会とか、そっちの話も大概なんですけど。個人的にはそっちルートの方が美味しいは美味しいんですけど」

「美味しい言うな」

「まさかお前。セーブできないからって、同時に攻略をしようとしているのでは」

「大馬鹿野郎」


 物騒なことを言うんじゃあない。


「気をつけろ。ルートを間違えると監禁エンドになったりするぞ。容赦ないやつだと下手をするとデッドエンドを迎える羽目になるぞ」

「乙女ゲーから離れろ!!!」


 あとエンドではなかったけど、既に監禁まがいの出来事はありました。

 ……流石にそれは話せない。




 瑠璃も水を飲み干して、肘をつき両手を組み合わせた。


「冗談はさておき」

「ホントだよ」

「お兄ちゃんは別に、あんたのせいで不幸にはなってなくない?」

「ええ……」

「だって。お兄ちゃんはそもそも、白香と会う前から爆弾を抱えていた訳でしょ」

「……そうですけれども」


 そのとおりだった。蒼兄の家庭事情は、小さな私が介入する前からであって、むしろ出会った時には一応の区切りはついていた。

 その後に父親が乗り込んで来はしたけど、私がいようがいまいが、父親が後で関与してきた可能性は高いだろう。

 そもそも蒼兄の一件には、きちんと因果関係があるのだ。小学校以後のあれこれとは、質が違う。


 ううむ。落ち着け、私。

 自虐もいいところだぞ。度の過ぎる自虐は自愛みたいなもんで気持ち悪いぞ。


 いつも瑠璃は、私がネガティブスパイラルに陥りそうなところを、理性的な観点から切り込んでくれるので大変に助かる。



「まあ。そもそも呪いを差っ引いて、蒼兄は白香の恋愛トラウマその一だけどね」



 ソウデスネ。



 ……うん、こうして容赦なく指摘してくれるので、思考も整理できるというものだ。


 瑠璃の言うとおり。

 蒼兄との離別が初手で、その後の数々の事件で完全に詰んだ感じだった。




 小学校からの一連の出来事を経て。男性という存在に対しては、嫌いとは言わないが、どうしても苦手意識があった。

 けれど少し前までは女子校だったから、この辺りのことを考えずにいられたのだ。


 つまり、このトラウマを克服する必要性が別になかったので、過去の出来事はひとまず忘れたふりをして、完全に思考放棄していた。


 母親たちを見ているせいか、いわゆる「大きくなったら結婚してお嫁さんになるの☆ キャピ☆」という思考ではなかったのも影響しているだろう。

 人生プランを考える時に、恋愛云々については、基本的にいつも除外していたのだ。

 むしろ、お一人様を想定して、独居用の快適そうな老人ホームを探したことはある。流石にそれは、途中で我に返って止めたけれども。




 けれど今は、いい加減に克服しないといけない。


 高校時代と現在とじゃ、環境ががらりと変わっている。私の周りには、今や普通に男性が存在しているし、むしろ学部とサークルの比率で言えば女子より多い。


 何よりも、今は、紅太くんという存在がいる。


 大学に入学した時には、まだ忘れたままでいられたんだけどな。少しずつリハビリできればなという気持ちは心の片隅にあったけど、とりたてて男子と仲良くなろうとは思ってなかったし。

 環と会った時は、入りが女子だと思ってたからな。



「そう。それにだ」


 瑠璃はびしりと私に人差し指を突きつけた。


「仲良くなった人間がアウトなら、とっくにサークルの他の人たちに実害が出てるでしょ」

「他の人」

「若林少年が出てくる前から、環様とはずっと仲良くしてたでしょーに。

 文学フリマで環様の話を聞いた時、てっきり白香はもうその辺の話、割り切れてるんだと思ってたわ」



 ……そっか。

 そうだよな。環が大丈夫だったんだもんね。


 きっと。きっと、大丈夫な、はずだ。


 ちょっと恐る恐るな気持ちはあるけど、いい加減に過去の頃は切り替えなきゃ。

 あれから随分、時間も経ってるんだし。

 全部、あれは偶然なんだ。


 うん。ちょっと、気持ちが切り替えられた気がする。

 瑠璃と話ができて良かった。






「白香」

「なに?」


 帰り際。

 いい友人を持ったなと浸っていると、瑠璃はおもむろに神妙な面持ちで言う。


「若林少年と緋人氏の所属寮はオクタヴィネルがいいと思う」

「黙れ」


 何かと思ったらそれかい!!!

 それは、お前の推しがおるからでしょうが!!!!!


「ツイステから離れろ!」

「ハリポタ然り、寮がどこかって妄想はするでしょう」

「しますけれども!!!」

「ハリポタならスリザリンだよね」

「会ったことないのに妄想すな」


 あと紅太くんはスリザリンじゃなくてグリフィンドールでしょうが!!!

 いやでもあの二人を引き離すのはつらい。



「いやぁ。もしデートが上手いこといって若林少年が彼氏になったら、緋人氏とセットで是非会わせてくれ」

「何故」

「だって。あの二人は絶対に参考になる」



 なんの!

 なんの参考だよ!!!

 いや分かっちゃうけれど!!!!!






 やはり撤回。

 相談相手は盛大に間違えたかもしれない。

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