第224話 心の奥

「ん…………」


 姫乃はゆっくりと目を開く。

 久しく開かれることのなかった瞼が、酷く重く感じられる。

 それでも、ようやく開いた瞳が映したのはこれまた久しく見ることのなかった顔だった。


「…………暁?」


「や、久しぶり」


「ニッ」っと笑いかける暁の顔を見ているうちに、ぼんやりとした意識が徐々に覚醒してくる。

 そして、全て思い出した。

 意識を失う前のことを全て。


「暁っ……大変だっ!」


 暁に詰め寄ろうとしたその時、自分の体の自由がきかないことに気づく。

 何事かと見れば、自分の肩から下が巨大な樹木の中に取り込まれていることに気づいた。


「これは……!?」


「恐らく、これが呪いの正体なんだよ。こうやって深層意識の中で魔力の枷を使い捉える……そうすることで自分の意のままに操るって寸法だ」


「深層……意識?」


「そ。ここは姫ちゃんの頭の中の奥も奥ってわけ。そこに僕が意識だけをお邪魔している状態かな?」


 暁の言葉を聞いた瞬間、頭の中をいくつもの光景が一気に流れていく。

 身に覚えがない、記憶にないはずの数々の光景。

 言われるがままに白い花嫁衣裳を身に纏う自分、『背信の裁き手』としての証である『咎ノ剣』を自分、そして……躊躇もなくその凶刃を振るう自分。

 身に覚えはなくとも、何故か姫乃にはそれらの光景が事実であるとはっきり分かった。

 全て自分が行ったことなのだと、頭の中でしきりに声がするのだ。


「っ…………!!」


 思わず姫乃は開いた瞳を再びきつく瞑る。

 息が苦しく、上手く呼吸が出来ない。

 きつく閉じた目の端から自然と涙がこぼれ始める。

 突きつけられた事実に、心が追いつかない。

 顔を伏せ、両手で耳を覆いたくても、自由のきかぬ身ではそれも叶わない。

 姫乃はただただ見えない刃で傷をつけられ、声にならない叫びを上げるしかなかった。


「姫ちゃん」


 過呼吸のようになる姫乃の頬に、暁はソッと手を添える。

 しかし、その手すら姫乃は顔を背けて払った。


「姫ちゃん! 大丈夫! 大丈夫だから落ち着いて!!」


「やめてくれ! 私にそんな優しい言葉をかけないでくれっ!」


「姫ちゃん……」


「私に……そんな資格は……ない……」


 暁から顔を背け、姫乃は肩を震わせる。

 暁はその震える肩に手を置き、優しく問いかけた。


「どうして?」


「分かってるだろ……! こんなことになったのは……全部私が余計なことをしたからだ!! 一人で勝手に突っ走って……勝手に失敗して……しかも……みんなに迷惑までかけて……」


「姫ちゃん。誰も迷惑だなんて思ってないし、今回のことが姫ちゃんのせいだとも思ってないよ。っていうか、そんなヤツがいないことくらい姫ちゃんもよく知ってるだろ?」


「だから尚更だ!! 神無もふらんも、メルもイヴも、ムクロさんも新妻さんも……みんながそんな優しいから……だから私は自分が許せないんだ……」


「姫乃……」


「教えてやるよ暁。私はどうやら既に人を一人……新妻さんを殺めてしまっている」


「えっ……?」


「身に覚えはないが、記憶があるんだ。ビルの屋上……ヘリポートだ。そこで背後から剣で一突き……確かに私が、この手でやったんだ。やってしまったんだ」


「…………」


「私は……みんなから心配される資格も、助けられる価値もない。だから暁……お願いだ」


「ん?」


「私を……殺してくれ」


 悲痛な、絞り出すかのような声で姫乃は暁に懇願する。

 暁は姫乃のその言葉を聞いて、何も言葉を返さない。

 ただ、黙ったまま姫乃を見つめた。


「もう、私は後戻り出来ないところまで来てしまったんだ。もうこんなこと暁にしか頼めない。この深層心理の世界で私が死ねば、自ずと私の肉体も活動を止めるだろう。だから……頼む」


 姫乃はそう告げると顎を上げて、暁の方にその白い首を差し出す。

 ひとおもいに……そんな姫乃の願いが聞こえるようだった。

 暁は差し出された首筋に指をかける。

 暁の指先の感触を首に感じた姫乃は、どこか安心したように目を細めると、そのまま瞳を閉じた。

 姫乃自身、心は限界をとうに超えていた。

 ここ最近の様々な出来事に、心は疲弊し切っていた。

 そこに、今回の一件である。

 姫乃が自らの死を望むのは、償いの意味もあるが、悲鳴を上げることすら出来ないほど心が限界を迎えてしまったことも大きな要因だった。

 だからこそ、姫乃は心のどこかで安心していた。

 やっと全てから解放される―――――――と。

 そんな安心感に浸っていた姫乃の首から、スッと暁の指先の感触が離れる。

 このまま楽になれると思っていた姫乃は、指先が離れたことを不思議に思う。

 思っていると、突然両頬に痛みが走り、姫乃は驚き閉じていた目を開いた。


「いひゃいいひゃいいひゃい!!」


「あのね姫ちゃん……僕がわざわざ心の中こんなとこまで来て、そんなことをするなんて本気で思ってるの?」


 姫乃の頬から手を離した暁は、不服そうに顔をしかめて姫乃を睨む。

 睨みながら、暁は姫乃の首に腕を回すと、顔を包み込むように頭を抱きしめた。


「あっ……暁!?」


「悪いけど、僕はもう君の話を聞く気はない。ここに来たのは、僕の我儘を押し通すために来たんだ」


「なっ……なにぃ!?」


 暁の胸から何とか顔を出した姫乃の鼻先に、暁の顔が近づく。

 間近で視線を合わせた暁は、姫乃に無邪気な笑みを向けるのだった。

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