第213話 答え

「みんな……」


 現れた少女たちに、暁は驚いたような顔をする。

 そんな暁に、久方ぶりに灰魔館に顔を出した澪夢が歩み寄る。


「紅神さんは……そんな風に思っていません……」


 澪夢の目の端には、既に涙が溜まりつつあり、瞳は水面のように潤んでいる。

 その涙は、澪夢の抑えきれない感情の発露であった。


「逢真くんは……本当に『魔王の配下ヴァーサル』を辞めることも、婚約することも紅神さんのためになるって思ってるんですか?」


「当たり前だろ。僕みたいな偏屈な男に合わせて暮らすより遥かにいい」


「だったら……何で紅神さんは泣いてたんですか?」


「泣いてた……?」


 暁は澪夢の言葉に目を大きく開く。

 唇を噛む澪夢の目の端から、とうとう涙が雫となってこぼれ始めた。


「……この間紅神さんと二人で話したんです。その時……紅神さん泣いてたんですよ!? 離れることが紅神さんのためになるなら、何で紅神さんが泣かなくちゃいけないんですか!?」


「それは……」


「さっき逢真くん言ってましたよね? 『初めて自己主張した』って……全然そんなことないです! むしろ、自分を殺して、殺して……それで苦しんでるんです!! 本当は無理矢理にでも止めて欲しかったはずです! 『行くな』って誰よりも逢真くんに言って欲しかったんです!!」


「…………」


「お願いです……紅神さんを……姫乃さんを助けて……」


 抑え切れなかった涙に、澪夢は顔を両手で覆う。

 泣き出した澪夢の肩を抱いて、ふらんも頷いた。


「澪夢ちゃんだけじゃない……私たちだって……このままじゃヤダよ……」


 ふらんの言葉に、賛同するかのように他の面々も同様に頷いた。

 皆、思いは同じだ。

 誰一人として、このままで良いと思っていない。

 姫乃の存在は彼らにとってそれだけ大きく、大切なのだ。

 それは勿論、暁も同じだ。

 暁自身もよくわかっている。

 暁は全員の顔を眺めると、ゆっくりと立ち上がった。


「少し……考える……一人にしてくれ……」


 そう一言だけ言い残すと、彼女たちの傍を横切り、黙って部屋を出て行ってしまった。

 取り残された面々は、何も言わずに出て行った暁を見て、説得に失敗したと項垂れた。


「……暁ちゃん……出て行っちゃった……」


「どうするの!? このまま暁ちゃんが何もしなかったら、本当に姫ちゃんが……」


「大丈夫だろ」


「えっ……?」


 慌てふためく少女たちに、黙って聞いていた新妻が笑みを浮かべて嬉しそうに言う。

 新妻の一言に、慌てていた少女たちの動きが止まった。


「暁のヤツ言ってたろ? 『少し考える』って。だからアイツは考えようとしてんだ。姫乃ちゃんを取り戻す方法を」


「本当!?」


 神無が新妻に詰め寄る。

 突然顔を近づけてきた神無に、新妻は驚いてソファーからずり落ちそうになった。


「ああ、本当さ。その証拠に、出ていこうとした時のアイツの目……いつもの……『灰色の魔王』の目だ。だから、もう少し待とう。俺たちの魔王は必ず『答え』を出すさ。全員が最後には笑顔になる『答え』を」


 新妻の言葉は憶測の域を出ない。

 しかし、全員がその言葉を信じた。

 今までも、そうだったからだ。

 暁ならば、必ず何とかしてくれる。

 全員が信じて暁の『答え』を待つことを選んだのだった。



 ※



「ふう……」


 暁は一人中庭に出ると、息をついて夜空を見上げた。

 外はまだ夏の気配を残し、夜空も昼間の晴天を思わせるほど澄み渡っている。

 暁は空から視線を戻すと、ズボンのポケットを弄り、あるモノを取り出す。

 取り出したのは、あの日緋彩に渡されたUSBメモリだった。

 緋彩に返そうとしたのだが、結局突き返され、そのまま所持していたのだ。

 この両親の仇である『黒い目』の情報が入ったこのメモリを、暁はまだ一度も見ていない。


「元はといえば……これが事の発端か……」


 暁はそう呟くと、何度か軽く宙に放り弄んだ後に、高くUSBメモリを放る。

 そして、放り投げたUSBを右手でキャッチすると、キャッチしたその手に目一杯力を入れた。

 暁の手の中で、バキバキと鈍い音が鳴る。

 しばらくすると音は止み、代わりに指の隙間から玉の雫となった血がポタポタとこぼれてきた。

 暁は血の滴る右手をゆっくりと開く。

 手の中から、血に塗れたUSBメモリの残骸がバラバラと地面に落ちた。


「……ややこしく考えるからいけなかったんだ……」


 姫乃のためを思って、彼女の考えに賛同した。

 初めて姫乃と衝突し、どうすればいいのかわからなくなった。

 しかし、今は違う。

 澪夢は言った、「姫乃が泣いている」と。

 だったら、暁が出す『答え』は一つだけだった。

 暁は地面に落ちたUSBの残骸と、その破片で傷だらけになった掌を見る。

 赤く染まった掌を握り拳を作ると、暁は静かに笑みを浮かべた。


「もっとシンプルにいこう。簡単なことだったんだ……全部……」


 握った拳を暁は夜空に向かって突き出す。

 その暁の動きに呼応するかのように、大きな風が中庭を吹き抜け、草花を盛大に揺らした。


「全部ぶっ壊すか。『魔王』らしくね」


 その呟きと共に、暁は笑みをさらに深くした。

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