第210話 森の迷い子
「暁様……」
「んー?」
「さっき、貴方は『もうすぐ着く』と言いましたよね?」
「言ったね」
「着きましたか?」
「まだ。もうすぐ着くよ」
「そうやって六回目の『もうすぐ着く』を聞いた時も、この岩を見たような気がするんですが?」
姫乃は手にした懐中電灯で前方にある岩を指し示すように照らす。
自分たちより遥かに大きい、まるで『おすわり』をする犬のような形をした特徴的な岩。
この森の守り神であるとでも言いたげな程、堂々と鎮座する特徴的な岩を見間違うはずがない。
暁に連れられ、この鬱蒼とした森に入ると聞いた時、何か嫌な予感はしていたが、恐らくその予感は的中したのだろう。
姫乃に指摘され、しばらく黙っていた暁だったが、腰に手をあて空を仰ぎ、深呼吸をして姫乃の方を向いた。
「姫ちゃん……落ち着いて聞いてくれ」
「言われなくても落ち着いてます」
「予想だにしなかった最悪の問題が発生した」
「私はだいたい予想はついてますが、何ですか?」
「だけれど、諦めなければきっと道が開けるはずだ。だから気をしっかり持って……」
「いいからさっさと言え」
「道に迷いました」
「知ってる」
森は静かに、何も言わず小さな二つの影を見つめていた。
※
「いやぁ……しかし参ったね。まさかこんなアクシデントに見舞われるとは……」
「あんな自信満々で案内してたくせに……」
道に迷った時は下手に動かず、まず落ち着いて状況を把握する。
そう教えられていた二人は、並んで地べたに座り、とりあえず暁が持参した麦茶とスナック菓子を食べていた。
細長いジャガイモのスナック菓子を口に咥えて、暁は唸る。
「いやね。僕も探検してる時に偶然その場所を見つけてさ。『ここから花火大会の花火を見たら、きっと凄いだろうな』と思ったんだけどなぁ……」
「もしかしてたまたま一回だけ訪れた場所に案内しようとしてたのか!?」
「てへぺろ」
姫乃は思わず立ち上がり、暁の頭に向かって拳を振り下ろした。
パカンと乾いた音が静かな森の中に響く。
「あでででっ……」
「ふん……」
暁を殴って少しだけ気が晴れたのか、姫乃は大きく息を吐くと、再び腰を下ろし麦茶に口をつける。
二人にとって幸運なことは、帰り道だけは来た道を辿ればいいので分かるということだった。
しかし、暁が言う『とっておきの場所』はどこにあるのか分からず、結局行けず終い。
期待し、楽しみにしていただけに、姫乃の落胆は大きかった。
「……姫ちゃーん……怒ってるよね?」
「怒ってません。
そう言って、姫乃は麦茶を飲み干すと、土を払って立ち上がり、暁の方に振り返る。
残念ではあるが、場所が分からないのであればどうしようもない。
諦めて帰ろうとする姫乃に対し、暁は黙って胡坐をかいて座り込み、何かを考えていた。
座ったまま固まった暁を、怪しむように目を細めた。
「暁様……? 帰りますよ?」
「いやだ」
「はぁっ!?」
「僕はここでそんな簡単に諦めたくない」
そう言うと、暁は立ち上がり、姫乃の腕を取る。
そして、そのまま姫乃の腕を引くと、帰り道とは逆方向に駆け出した。
「ちょっ……暁様!?」
「花火が始まるまで、まだ少し時間がある! それまでに見つければいいさ!!」
「ちょっと……待てって!!」
姫乃は立ち止まり、逆に暁の腕を引く。
引き止められた暁は、驚いた顔をして姫乃を見た。
「どうしたの? 姫ちゃんは見たくないの? 花火」
「それは……見たい……けど……」
「じゃあ、行こうよ。見にさ」
「でも……場所が分からないんだろ? それとも思い出したのか?」
「いんや。全然」
「はあっ!?」
「だけどさ」
「?」
「分かんないなら、また見つければいい。もっと凄い場所を。今度は『二人』で」
「二人……で?」
「そ。僕と姫ちゃんの二人でさ。きっと僕が見つけた場所なんかより凄い凄い場所が見つかるよ。それに、二人なら絶対に道に迷うこともないだろうしね」
そう言うと、暁は再び姫乃の腕を引く。
そして、そのまま姫乃の体を背中に乗せ、足を抱えて持ち上げた。
いわゆる、おんぶの姿勢である。
まさかおんぶをされるとは思わなかった姫乃は、顔を真っ赤にして慌てふてめいた。
「おいっ! 何するんだ!!」
「いやね。無駄に歩かせてしまったお詫びに、しばらく従順な『馬』にでもなろうかなって。乗り心地はあんまり良くないかもしれないけど、そこは我慢してよ」
「何だそれは!? こんな恥ずかしい格好は嫌だぞ!!」
「恥ずかしくないさ。さあさあ出発しーんこーう!」
「おい嫌だって言ってるだろ! 下ろせ!! 早く下ろせ~!!」
「暴れてもいいけど、そうすると僕の掌に何だか桃に似た柔らかいモノの感触が……」
「えっ……きゃあっ!!?」
「そーそー。そうやって大人しくして掴まっててねっ!」
「いや……だからちょっと待てって……!」
姫乃が背中でまだ何か言おうとしていたが、暁はそれを無視して駆け出し始めた。
森は変わらず静かに、何も言わず、少しだけ大きくなった小さな一つの影を見つめていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます