第188話 安寧の残滓
「暁ちゃんアルバム見てたの?」
暁を助け出した三人は、彼を埋めていたアルバムをそれぞれ手に取る。
暁のこれまでの日々を記録した写真帳。
今時珍しい写真媒体なのは、暁の母である始の趣味の一つが古いカメラだからである。
その数々の写真の中には、暁だけではなく、幼なじみである姫乃や神無、ふらんの写真もあった。
始が幼なじみ三人のことを実の娘のように可愛がっていたため、暁のアルバムは実質三人のアルバムでもあった。
「あ、懐かしい~! これ七五三の時のヤツだ!」
「神無が着物着るのをすごい嫌がって大変だったな…………」
「だってぇ! 動き難いんだもん!」
少女たち三人は、アルバムを見ながら数々の思い出を懐古する。
暁はそんな三人の様子を、黙って見つめていた。
彼女たちの反応から、このアルバムに記録されたことの事実性は十分証明された。
しかし、同時に当事者であるはずなのにそれを実感できない自分に、暁は強い疎外感を感じる。
こんなにも賑やかなのに、暁は孤独だった。
ふと、暁からのそんな視線に気づいた三人は申し訳なさそうにアルバムを閉じる。
「ごめん暁ちゃん……勝手に盛り上がって…………」
「いや……いいんです。僕のことは気にしないでください」
暁の他人行儀な返答に、三人は複雑な顔をする。
目が覚めてから、暁はずっとこのような態度で三人に接している。
三人に限らず、今の暁に心を許せる相手はいない。
三人も、事情を察しているだけに、何も言うことができない。
何も言うことはできないが、それでも寂しさを感じずにはいられなかった。
「まだ……記憶は戻らないんだな」
「ええ、残念ながら。アルバムでも見れば少しは思い出すかもと思ったのですが…………
「暁ちゃん…………」
寂しげにアルバムの表紙を撫でる暁に、三人は心が痛くなる。
確かに、十数年共に過ごした日々を忘れられるというのは、三人にとっても辛い。
しかし、暁はそれ以上に辛く、苦しんでいる。
何もできない自分たちに、三人は歯痒さを覚えるのだった。
「だけど……僕は幸運だ」
「へ?」
「確かに『個人としての記憶』は失ったけれど、既習の知識や生活習慣、言語機能なんかは何一つ損なわれていない。だからこうやって何の苦もなく生活できています。記憶喪失の度合いから見ても、僕はまだ軽度で済んでいる」
「けど…………」
「それに…………」
「ん…………?」
一旦言葉を区切った暁は、三人の少女の顔を見る。
そして、寂しさを隠すように、努めて作り出した微笑みを浮かべた。
「姫乃さん、神無さん、ふらんさん……それにムクロさんや他の人たちも…………こんな僕をこうやって気にかけてくれている、心配してくれている。なんて僕は恵まれているんだろうって…………記憶を取り戻した時、どんな僕の『日常』が待っているんだろうって…………そんな楽しみを抱ける僕は本当に幸運だ」
「暁…………」
「だから、皆さんには感謝しています。本当に……心から…………」
心配げな表情を浮かべる三人を気遣っての言葉だろうが、それは紛れもなく暁の本心だった。
確かに、今は孤独感に苛まれる時もある。
だが、それでも折れずにいられるのは、三人の存在が大きかった。
目が覚めてから、彼女たちは毎日自分の元を訪れてくれる。
そして、今までのことや自分との思い出をたくさん話してくれた。
時には楽しそうに、時には寂しそうに。
誰に頼まれたわけでもない。
それでも彼女たちは毎日やって来てくれた。
誰一人欠けず、唯の一日も欠かさずだ。
自分のためにそこまでしてくれる彼女たちのためにも、一刻も早く記憶を取り戻したい。
今や、暁は自分だけのために記憶を取り戻そうとしていなかった。
むしろ、彼女たちを安心させてあげたい。
彼女たちと一緒に、『日常』を取り戻したことを喜び、分かち合いたい。
そう、強く思う様になっていた。
しかし、微笑みを浮かべていた暁だったが、すぐにその笑みも陰りを見せる。
先述した思いが強くなればなるほど、同時に暁の心を焦りと不安感が蝕んでいった。
色んな人から、自分にまつわる話を幾度も聞いた。
自分の過去の写真や映像を何度も眺めた。
だが、そのどれもが全て他人事のようで、何一つ自分の記憶を揺り動かすことがなかった。
もしかしたら、もう二度と自分の記憶を取り戻すことなど、できないのかもしれない。
そんな不安を抱かずにはいられなかった。
「暁ちゃん……」
「…………ん?…………は……?」
名を呼ばれ、暁はハッと顔を上げ、正面を見る。
そして、目の前に広がる光景に、暁は一瞬何が起こったのか分からなかった。
目の前に広がる、グレーの逆二等辺三角形。
その等辺から伸びる、健康的な小麦色。
逆さになった底辺からも同様の小麦色が伸び、その中心には、可愛らしい小さな窪みが見られる。
「かっかかかかかか神無ちゃん!!?」
ふらんの動揺した声に、暁はさらに顔を上げる。
顔を上げた視線の先には、小首を傾げ、何かを伺う様子の神無の顔があった。
暁は再び目線を下げ、正面を見る。
ここに来て、暁はようやく目の前の逆二等辺三角形が、神無の身につけているグレーのスポーツショーツだということ、そこから伸びる小麦色は、神無の引き締まり無駄の一切ない健康的な美脚とウエストであることに気づいた。
気づいた次の瞬間、神無が捲し上げていたスカートは戻され、グレーのショーツは暁の視界から消える。
神無の背後に立ち、スカートを戻した姫乃は、神無の鼻先に詰め寄った。
「神無! いきなり何をしてるんだお前は! はしたない!!」
焦った様子で怒る姫乃に、神無はキョトンとした顔をする。
「だって……暁ちゃん元気がなかったから、大好きなパンツ見たら元気になるかなって…………でも私のパンツじゃ駄目みたいだね…………そうだ! 姫ちゃん! ふらんちん! 二人もいっしょに暁ちゃんにパンツを見せよう! そしたらきっと元気になるよ!! ね!?」
「ええええええぇぇぇ!? でっでも……私……今日そんな可愛いヤツ穿いてないよぉ…………」
「違う! ふらん! 問題はそこじゃないだろうっ!?」
「大丈夫! 暁ちゃん昔私に『女の子のパンツは皆平等に美しい』って言ってたもん!」
「ちょっと待って! 僕ってそんなことを言ってたの!? まるでただの変態じゃないか!!?」
灰魔館のリビングがにわかに活気づく。
今、この瞬間だけは昔の『日常』に戻ったかのような騒がしさだった。
騒がし過ぎて、その場にいる誰一人、そのことに気づくことがなかったが。
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