第175話 わからない

「止めろ暁! 一体どうしたん……んんっ……!」


 露になった胸元に暁が顔を埋めると、姫乃はビクリと体を震わせた。

 荒い息遣いが肌を撫で、時折痕が残りそうなほど強く吸われる度に、姫乃はくすぐったさに似た感覚を味わう。

 初めての感覚ながら、それが性的な快感に根差したものであると、姫乃は直感的に理解した。

 理解したが故に、姫乃を言い様のない不安と恐れが同時に襲う。

 常日頃から暁にセクハラ紛いの行為を受けている姫乃であるが、そのセクハラもどこか稚拙な戯れの域を出ることはなかった。

 しかしながら、今回は違う。

 暁がここまで『男』としての欲望を露骨に顕にし、それを思うまま姫乃にぶつけてきている。

 初めての性的快感に加え、暁の初めて見せる本能のままの『男』も、姫乃の不安感と恐怖心を掻き立てる要因だった。


「暁っ……! いいかげんにしろっ!! いくら何でも悪ふざけが過ぎるぞ!!」


 姫乃は押さえつけられていた右手を振り払い、覆い被さった暁の体を押し返そうとする。

 しかし、暁がすぐにその手を掴み直し、さらに全身で覆い被さってくる。

 いくら姫乃がデモニアといえど、血を摂取しなければただの女の子とほとんど変わらない。

 抵抗をしても、それ以上の力でいとも容易く捩じ伏せられてしまう。


「あっ…………!!」


 姫乃の抵抗がピタリと止まり、全身が強張る。

 暁の指先が、露になった姫乃のブラのフロントホックにかかったからだ。


「止めろ暁……本当にこれ以上は…………!」


「はぁっ……! はぁっ……!」


 訴えど返らず、その瞳にも正気はない。

 あるのは、目の前の『女』を貪らんとする欲情に駆られた男の悲しい姿だった。


 ブチッ


「いやっ! いやぁっっ!!」


 フロントホックが外されたことで、姫乃の豊かな双丘は戒めを解かれ、ふるるんとこぼれる。

 姫乃は唯一自由のきく首を左右に振り、必死に懇願した。

 もう、止めてくれと。

 しかし、尚も暁は止まらず、遂には姫乃のショートパンツに手を伸ばす。

 暁の指が、今度はショートパンツのウエスト部分の縁にかけられた時だった。

 姫乃は首を振るのを止めた。

 抵抗もしない。

 全身の力も、抜けてしまっていた。

 もう、どうにでもなれと自棄になったわけではない。

 姫乃には、もうわからなかった。

 何が起こっているのか、自分はどうすればいいのか。

 わからなかったが、もう不安感も恐怖心もない。

 あるのは、悲しさだけだった。

 姫乃は、ただ、悲しかった。

 愛する男からの、一方的なこの仕打ち。

 その仕打ちすら、愛しているが故に、理解したい。

 愛しているが故に、共有し、通じ合いたい。

 自分だけは、その訳をわかってやりたい。

 しかし、それが叶わないとわかり、姫乃の心は悲しみに支配されていた。

 姫乃の瞳から、涙が一筋零れる。

 自分では、暁を理解してやれない。

 その悔しさと悲しさが、涙となって次々零れ始めた。


「暁……お願い…………暁…………」


「っっっ!!!」


 ショートパンツを引いていた暁の手がピタリと止まる。

 次の瞬間、暁は弾かれたように姫乃から離れ、全身を震わせる。

 両腕を交差し、自分自身を抱くように肩を両手で掴む。

 指先が白くなるほど、自分の肩を掴む暁の姿は、必死に自分自身を抑えているように見えた。


「あ……暁?」


 姫乃は露になった胸を腕で隠しながら、体を起こす。

 様子が急変した暁に戸惑う姫乃だったが、暁の唇から一筋の赤い線が引かれていることに気がつく。

 それが、暁が強く噛み締めたことで唇から流れた血であることを姫乃はすぐ看破した。


「ひめ……の…………」


「暁! 大丈夫か!? 正気に戻ったのか!?」


 ようやく言葉を介した暁に、姫乃は表情を明るくする。

 しかし、暁が苦しそうに首を横に振ったことで、再びその表情は陰りを見せた。


「……アンプル……は残ってる……か…………?」


「え…………?」


「血は……! 持ってるかっ!?」


「えっ……あっ…………いやっ……さっきの戦いで手持ちはもうない……が」


「…………そう……か……」


 姫乃の返答を聞いた暁は、親指で唇を拭うと、姫乃の方に差し出す。

 姫乃が差し出された暁の親指の先を見ると、さっき唇から流した血で赤く染まっていた。


「暁……一体何を…………?」


「姫乃……この血を吸え! そして…………ありったけの血糸で僕を縛れ…………!」


「えっ…………!?」


「そうしなければ…………取り返しのつかないことになるっ…………!」


「取り返しのつかないって……一体どうした!? 暁っ!!」


 意味不明な暁の頼みに、姫乃はただ問い返す。

 暁は戸惑い混乱する姫乃を、余裕のない必死の形相で見詰めた。

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