第167話 見てくださいっ……!

「りっ…………凛々沢くん!?」


 素っ頓狂な声を出し、暁は目を丸くする。

 視線を落とすと、自分の胸元に収まる澪夢のサラサラの髪が目に入った。

 とても艶やかで、絹を思わせる美しい髪。

 暁の中で、即座にある欲望が膨れ上がる。

 触れてみたい…………この手で…………撫でるように…………!

 そう思った瞬間、軽い目眩が暁を襲った。


(っ…………!! まずい!!)


 暁はすぐに空を仰ぎ、両目をきつく閉じる。

 堪えるように唇を噛み、自分の中で膨らむ邪な欲望を必死に抑えつけた。


「僕の話を聞いてたよね!? 頼むから離れてくれ!! このままじゃまずいんだって!!」


「いやですっ!」


「えええええ!!?」


 無下に断られ、思わず暁はまた視線を澪夢に向けそうになる。

 しかし、今度澪夢の姿を見れば抑えがきかなくなるのを予感した暁は、落ちそうになる目線を無理矢理上に引き戻した。

 その間にも、澪夢はますます腕に力を込め、顔を胸元に埋めてくる。

 まるで澪夢の強い意志を表すかのような力強さに、暁は戸惑うばかりだった。

 逆上せ上がりそうな頭をフル回転させ、暁はこの状況を打破する方法を必死で考える。

 考えた末に、まずは落ち着いて話を聞くしかないと結論を出した暁は両目を閉じたまま、できるだけ穏やかな声色で澪夢に問いかけた。


「凛々沢くん……何かあったのかい? 僕で良ければ話を聞くよ? だから、まずは互いに落ち着いて、話を聞かせてほしいんだけど…………」


「……聞きたいですか?」


「え……うん…………そりゃあ……まぁ…………」


 若干怒気を孕んだ澪夢の返答に、暁は動揺する。

 暁からしてみれば、何故澪夢がこんな行動に走ったのか皆目見当がつかない。

 しかし、暁の問いかけは、澪夢からすれば自分の熱くなった頭をさらに加熱させる愚かな問いかけ、まさに『愚問』だった。


「…………何で自分がこんなことしてるか…………本当に知りたいですか?」


「…………出来れば……聞かせてほしい」


「…………わかりました。なら、お話します。その前に、一つ約束してください」


「うん?」


 フッ………と胸元から柔らかい温もりが離れる。

 暁は、きつく絞められた背中や両脇から澪夢の腕が離れたことにホッとする反面、自分の中で言い様のない後悔めいた感情が沸き上がるのを感じていた。

 それは、自分の元から『最上の雌』が離れていくことに対する『雄』としての名残惜しむ心か、それとも…………。

 今はそのことを追求すべきではないと判断した暁は、すぐにそんな感情を外に追いやる。

 しかし、体の方はそういう訳にもいかず、澪夢が離れたというのに、全身は鳥肌が立ちっぱなしだった。

 対する澪夢の方は、未だに両目を閉じ、自分の方を見ようとしない暁に、歯痒さと寂しさを覚える。

 それでもここまで来たらもう後戻りはできない。

 そう考え、意を決した澪夢は、震える手で暁の右手に触れた。


「約束してください……今から自分が……何を言っても、逢真くんは自分に嘘をつかないでください。正直な、偽りも同情も憐れみもない、本心で答えください…………」


「それはどういう…………」


「約束…………してくださいっ」


 震える澪夢の手に、力がこもる。

 暁は、触れ合った手から、指先から、澪夢の計り知れない覚悟を感じ取っていた。

 それを感じ取った暁もまた、覚悟を決めて閉じた両目を開く。

 両目を閉じたままでは、今の澪夢に失礼だと思ったからだ。

 例え、自分自身を抑えられなくなっても。

 いや、その時は舌を噛んででも無理矢理抑えつける。

 そう覚悟を決めて、暁はしっかりと双眸そうぼうを開いて澪夢と相対した。


「あっ…………」


 目の前の澪夢を見た瞬間、暁の頭が完全にフリーズした。

 今まで必死に繋ぎ止めていた理性も、堅固たる覚悟も、全てが容易く溶かされてしまう。

 鬱蒼とした夜の森だというのに、何故か澪夢の姿がはっきりと見える。

 それどころか、澪夢そのものが輝きを放っているような気さえした。

 まず、惹き込まれたのは目だ。

 潤んだ、大きな瞳に捉えられた瞬間、その奥の深みに全て吸い込まれていくような錯覚に陥る。

 次に、唇。

 ふっくらとした桃色の唇は、男を誘うためだけに存在するかのような色気を振り撒いていた。

 言葉を失い、思わず見惚れる暁に、艶やかな唇を動かして、澪夢は言葉を紡ぐ。

 鈴のような声で紡がれた四つの音は、フリーズした暁の頭の中にも確かに響いた。


「…………好き……です」


「…………は…………?」


「貴方が好き…………どうしようもなく……好き……なんです」


「え……? ええ……………?」


 澪夢の言葉に、暁は惚けた声しか出ない。

 そんな暁の右手を、澪夢は自分の方に強引に引き寄せる。

 そしてそのまま、自分の胸に指先が沈むほど、強く押しつけた。


「えっ……!!?」


「ぁ……ンん…………!?」


 暁は突然右手に感じた柔らかな感触に驚き、思わず指先を動かしてしまう。

 暁の手に余るほどの大きさを誇るその果実は、その大きさに違わずどこまでも指先が沈んでいきそうな柔らかさだった。

 澪夢の方も暁の触れる胸から全身に電気が流れるような感覚に陥り、体を震わせる。

 自分のものとは思えない艶かしい声に驚いた澪夢だったが、それでも視線は絶対に暁から離そうとしない。

 暁もまた、手から感じる抗い難い柔らかな感触と、頬を紅潮させ、潤んだ瞳を向ける澪夢から目を離せずにいた。


「ごっ……ごめん! つい手が…………」


「いいんです…………もっと…………触れてください…………もっと…………」


 そう言いながら、澪夢の顔が徐々に暁の顔に迫っていく。

 顔が近づくにつれ、心臓が五月蝿いほど高鳴っていくのを二人は感じていた。

 やがて、互いの荒い呼吸を肌で感じ合うほど、二人の顔が近づく。

 少し口先を伸ばせば、唇同士がくっついてしまいそうなほど、二人は体を密着させていた。


「りり……さわ…………くん…………」


「もっと…………見てください…………『私』を…………見て…………」


 浮かされたように言葉を呟いた唇が、静かに触れ合う。

 不思議なことに、手の震えはいつの間にか収まっていた。

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