第157話 ため息
「クッキーの追加持ってきた」
「いっ…………あ?」
開いた口から言葉が出ようとした瞬間、それを遮るように姫乃の背後からイヴの声が飛んでくる。
いつの間にか入室していたイヴは、無遠慮に二人の間に割って入ると、書類の溜まったデスクの上に山盛りのクッキーが入ったボウルを置いた。
「え…………何これ?」
「だから、追加のクッキーだ。
初めは呆けた顔をしていた暁だったが、目の前に置かれた山盛りのクッキーと、既に部屋にあったもう一つの山盛りクッキーを交互に見ているうちに、だんだん顔色が青ざめていく。
恐る恐るクッキーの山の先にいるイヴの顔を見ると、無表情ながら明らかに何かしら期待を込めた眼差しをこちらに向けていた。
「っりが……と…………ぅ。ちっ……丁度おかわりが……ほし…………かった……んだ…………」
「そうか。それは良かった。今度はマムシの
暁は胃袋からせり上がってくるものを堪えながら、消え入りそうな声を絞り出す。
期待した通りの答えに、イヴは満足気に頷いた。
「さ、食べてくれ。足りないようならまだ焼いてくる」
「えぇ……あー……そうだ! ごめん姫ちゃん話の途中で…………ってあれ?」
イヴからの勧めを誤魔化すためにあからさまに話を逸らそうとした暁は姫乃の方に話を振る。
しかし、先ほどまでそこにいたはずの姫乃の姿は既になく、退室したことを示すように扉が閉まる音だけが部屋に残っていた。
※
「はぁ…………」
「相変わらずおっもいため息だな」
吐いた息といっしょに沈んでいきそうなほど意気消沈するふらんに、メルは呆れた顔をする。
暁がデスクワークに追われているため、何をするでもなくサロンでお茶をしていたふらんとメルの二人だったが、ずっとため息ばかり繰り返すふらんにメルの方まで同じく重い気分になってしまうようだった。
イヴが来てからというもの、ふらんのこの様子を見ていれば、どんな馬鹿でもふらんの暁に対する好意はわかる。
わかる故に、現状を見て憂えるばかりで行動を起こさないふらんに、メルはやきもきしてしまう。
「メルちゃん……だって…………」
「だっても何もどうせ暁とイヴのことだろ? そんなに気になるんだったらイヴのヤツにガツンと言ってやれよ。『暁に近くな』とか『暁は渡さない』とかさ」
「そそそそそんな! 無理だよ無理!!」
「じゃあお前も変な格好して暁に迫ればいいじゃねぇか? 何だっけ……『こすぷれ』ってヤツ」
「もっと無理!!」
「だぁ~! じゃあどうしたいんだよ!? このままアイツに先越されてもいいのかよ!?」
煮え切らないふらんに、苛立ちの募るメルはテーブルを指で叩く。
イライラするメルに怯えながら、ふらんは視線を下に落とした。
「私は……イヴちゃんに『勝ちたい』とか、暁ちゃんを『渡さない』とかじゃなくて…………ただ…………」
「『ただ』なんだよ?」
「…………ただ……暁ちゃんがいて、姫ちゃんや神無ちゃんがいて、メルちゃんがいて…………みんながいて…………みんながいっしょで…………」
「………………」
「それがずっと続けばいいなって…………
「……はぁ…………」
ふらんの言葉を聞いて、メルはテーブルを叩いていた指の動きを止める。
ふらんは、恥ずかしがって行動を起こさないのではなく、自分が行動を起こすことによって、
彼女にとって、周りの人々との関係は暁と同じくらい大切なものなのだ。
「でもよ…………黙って見とくだけってのも何にもならないぜ。現にイヴが
「うん…………」
メルに言われていることは、ふらん自身が一番よくわかっている。
でなければ、ここまで心乱されることはないのだから。
だが、それでも答えも出せず、踏み止まってしまう自分がいる。
ふらんは、視線を落としたまま、目の前のカップに注がれた紅茶に映る自分の顔を見つめた。
「ま、お前だけじゃないみたいだけどな」
「え?」
メルの言葉に、ふらんがカップの中で揺らめく自分の顔から視線を上げた瞬間、サロンのテーブルに備え付けられた椅子が音を立てて動く。
その椅子を引き、腰かけた人物に、ふらんとメル二人の視線が集まる。
「…………紅茶……少し冷めてるけど、飲むか?」
「………………ああ」
メルはポットから温かい紅茶をカップに注ぐと、新たに席についた姫乃の前に差し出す。
姫乃は差し出されたカップを手に取ると、軽く一口、口に含む。
口内を満たす丁度いい温かさの紅茶をゆっくり飲み下すと、姫乃は温かい呼気を大きく吐き出した。
それは、ただ単に口内に溜まった熱を外に逃がすためか。
それとも、ふらん同様憂いを含んだ大きなため息か。
姫乃の事情を知らぬふらんとメルの二人には、憶測は出来ようとも、確信ある答えを出せなかった。
しかし、それでも二人は姫乃のことを思い、示し合わせることなく、同様に深く追求するまいと考えたのだった。
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