第154話 大問題

「大問題ですっ」


「お…………おぉ…………」


 暑さがひかない夏の昼下がり。

 冷房の効いたカフェの窓際の席で、姫乃は澪夢と相対していた。

 というのも、澪夢の方から姫乃に相談したいことがあるとしてこの駅前のカフェに待ち合わせをしたのだが…………。

 注文したアイスティーが二つ、テーブルに置かれ、店員が引っ込むや否や澪夢が発したのが冒頭の言葉だった。


「あのイヴっていう人……このまま野放しにしてたら不味いことになりますっ」


「『野放し』って………」


 珍しく語気の荒い澪夢に、姫乃は圧倒されていた。

 澪夢から「相談したいことがある」と言われた時は、十中八九暁のことについてだろうと予想はしていた。

 しかし、澪夢のこの熱量は姫乃の予想を超えていた。


「だって…………もしこのまま逢真くんがアプローチを受けていくうちに、イヴさんになびいたら…………」


 想像をしてしまったのだろう。

 自分の脳裏に浮かんだ暁とイヴの仲睦まじい姿に澪夢の顔色がみるみる暗くなる。

 思い詰めたような表情をする澪夢に、姫乃は慌ててフォローを入れた。


「ま、まぁその肝心のアプローチもうまくいってなかったみたいだし、暁もたじろいでたし、そう簡単に靡きはしないさ」


「本当にそう思いますか?」


「は?」


逢真くんに、イヴさんの容姿ですよ? アプローチを受けているうちにコロッといってもおかしくないですよ」


「あぁー…………」


 澪夢の言葉に姫乃は頭を抱える。

 長身でスタイルのいいイヴと、そのイヴに目尻を下げて鼻の下をだらしなく伸ばす暁の姿が容易に想像出来た。


「だから……そうなってからじゃ遅いんです! 何か手を打たないと!!」


「はぁ…………」


 何かに燃え上がる澪夢とは対照的に姫乃は気の抜けた返事をする。

 そんなやる気のないように見える姫乃に、澪夢はテーブルに身を乗り出して迫った。


「そこで! 紅神さんに何かいい案はないかと! 逢真くんの気を惹くような方法はありませんか!?」


「『気を惹くような』と言われてもな…………」


 期待の籠った眼差しを向ける澪夢に、姫乃は答えに窮してしまう。

 日頃から生徒会長として多くの生徒の悩みを聞いてきた姫乃だが、このような相談を受けたのは初めてのことだった。

 勿論、生徒からのお悩み相談の中には異性とのことで悩む恋愛絡みのものもあったが、そういった悩みを姫乃の所に相談しにくる者は、大抵自分なりの答えを出しており、あと一歩を踏み出せずにいる者たちばかりだった。

 要するに、姫乃に相談することでその『あと一歩』を踏み出すための一押しをしてもらいたい者たちなのだ。

 そのため、今回の澪夢の相談は恋愛絡みという点ではそれらと同類だが、根本的な意味では別種のものだった。

 それ以外にも姫乃が答えに窮する理由がある。

 それは、相談内容の対象が誰でもない暁だからだ。

 幼い頃から、それこそ物心のつく前から身近にいる存在である。

 推し量れない部分も有りはするが、それでも暁が好みそうな異性というのはある程度想像出来た。

 そのことを澪夢に教えれば済む話なのだが、姫乃は何故か躊躇してしまう。

 姫乃はそんな躊躇をしている自分が酷く醜く、意地の悪い性格をしているように感じられた。


(本当に……私ってヤツは…………)


「何だか楽しそうな話をしてるねぇー」


「うわぁっ!!?」


 突然、背後から出てきた顔に、姫乃は手にしていたアイスティーを落としそうになる。

 手元で踊るアイスティーのグラスを何とか落ち着かせると、姫乃は背後から伸びてきた顔を見た。


「えっ…………栄子!?」


「ヤッホー姫乃ちゃん。凛々沢さんも」


「え……あ……こんにち……わ……」


 軽くウェーブのかかったセミロングの髪を揺らし、茂部 栄子は屈託のない笑みを浮かべる。

 クラスメートの突然の介入に、姫乃は顔の表情筋をひきつらせた。



 ※




「なるほどなるほど…………そんなことが…………」


 栄子は腕を組み、大袈裟にうんうん頷く。

 窓際の二人掛けのテーブルに、どこからか椅子を引っ張ってきた栄子を加え、三人は顔を向き合わせていた。

 あらかた話を聞いた(無論、デモニア関係のことは伏せてある)栄子は頷くのを止めると、じっーと二人を見つめた。

 栄子からの視線に二人は首を傾げる。


「なっなんだよ?」


「うーん…………二人ともそれだけのを持っていながら……勿体無いなぁ」


「えええぇ…………」


「そっそんな目で見るなバカ!」


 栄子の視線が、二人の豊かな胸や腰回りに向いていることに気づいた姫乃と澪夢は恥ずかしげに手や腕で隠す。

 そんな様子の二人に栄子はため息をついた。


「ほら。それだから勿体無いんだよ。姫乃ちゃんは元より、凛々沢さんだって結構男の子に人気あるんだよ。『可愛い』って」


「そ……そうなんですか?」


 澪夢は信じられないというような顔をする。

 今まで『男』として生きてきただけに、男子から向けられるそういった視線や評判に、澪夢はとことん疎かった。

 そもそも今まで『男』として生きてきた澪夢が周囲の者たちが何の違和感も覚えないほど『女』として受け入れられているのは、勿論『キャンセラー』の効果もあるが、『女』という性別が性格的にも『夢魔』というデモニアの特性的にも澪夢にピッタリ合致していたからだ。

 それ故に、多くの男子を惹きつける魅力を発揮しているのだが、暁にしか意識がいっていない澪夢は気づくことはなかった。


「まぁ、それはともかく二人は既に強力な武器を持っている。あとは、それの『磨き方』と『使い方』次第だよ。今から、私がそれをバッチリレクチャーしてあげよう」


「いや……別に私はそんなこと知っても…………」


「いっいいんですかっ!?」


 姫乃の言葉を遮り、澪夢は前傾姿勢で栄子の手を取る。

 栄子は得意気に胸を張り、「まかせなさい」と力強く頷く。

 そんな栄子を見て、自分が楽しむ気満々なのを見抜いた姫乃は顔をしかめるのだった。

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