第79話 気高き変態

「『覗き』の矜持として、やはり直にこの眼でしかと彼女たちの艶姿を堪能せねばなるまい」


「はい」


「しかし、見つかった時のリスクを考えると下手なことはできない。しかも、僕は既に彼女たち(ていうか姫乃に)しこたま折檻された後だ。今度見つかれば、恐らく命はない」


「そこで私の出番というわけですな」


「そのとーり」


 暁はパチンと指を鳴らす。

 その合図を聞いた湯々爺は、洗い場の鏡の一つを外す。

 すると、その下には小さな穴が一つ開いていた。

 人の片目ほどの大きさのその穴は、当然意図的に開けられたものだ。

 この穴はもちろん、隣の女湯に繋がっている。

 その穴を見て、二人は鼻の下をだらしなく広げる。


「遂にこの穴を使う時が来ましたな…………」


「話には聞いていたが、実際に使うのは初めてなんだね」


「うちに来る客といえば、ほとんどが近所の老いぼれたちですからな。かような『覗き穴』をいくつか作りはしたのですが、使う機会がなかったというのが正しいですな」


「しかし、遂にその真価が発揮される時が来たんだね」


「はい。私もこのような時を迎えることができて、感極まっております」


 極まっているのは性欲なのだが、そんなことは置いておいて、暁はその穴の前に勇ましく立つ。

 まるで戦場を前にする若武者のような雰囲気を醸し出していた。

 その背中を見て、湯々爺は優しく微笑む。


(王子様……なんと立派な背を見せるようになられたのか…………。総司様…………お喜びください、王子はかように立派な男子おのことなられましたぞ)


 湯々爺はホロリと一筋涙を流す。

 そんな変態にしかわからない度し難い感動を余所に、暁は覗き穴に自分の左目を重ねた。

 暁は針先を見るかのように目を凝らす。

 しかし、暁の目には何も映らない。

 真っ暗闇が視界に広がるだけだった。


「あるぇー? 何にも見えないんだけど?」


「はて? そんなはずは…………」


 涙を拭った湯々爺も、暁と共に首を傾げる。

 作ったはいいが、長年使っていなかったために何か塵でも詰まったのだろうか?

 そんなことまで考えながら、二人が首を傾げていると、覗き込んでいた暁の視界に何かが映る。


「ん? なんだあれ?」


 暁はそのの正体を確認しようとさらによく目を凝らす。

 壁と一体化してしまうのではないかと心配になるほど体を張りつかせ、穴を覗き込む暁。

 それほどまでに覗き込んでいたためか、そのが徐々にこちらに近づいてきていることに暁は気づいた。

 そして、気づいた次の瞬間だった。


 ブスッ。


「しょおおおおおおおおおおっっっっっっっっ!!!!???」


「まっ…………魔王様っ!!?」


「ショオッ! ショオッ!!」


「一体どうされたのですか魔王様!!?」


 突然奇声を上げブリッジをする暁に、湯々爺は困惑する。

 暁の身に何が起こったのか、最初わからなかったが、覗き穴の方を見て、湯々爺は何が起こったのかようやく理解した。


「あっ…………あれは……『針』!?」


 覗き穴から顔を出した赤く細い針の存在に気づいた湯々爺は、その針が暁の目を突いたことがわかった。

 湯々爺が「一体誰がこんなことを…………?」と考える暇もなく、その針を仕掛けた張本人の声が壁ごしに聞こえた。


『どうだぁー? 血針の味は? 中々効くだろぉー?』


「なっ……なんと!」


 大浴場に響く姫乃の声に湯々爺は戦慄する。

 その理由は三つあった。

 一つは、なぜ自分たちの覗き行為がバレたのかということ。

 二つめが、なぜ『覗き穴』の存在がわかったのかということ。

 覗き穴は、あちらからはマジックミラーの裏に隠れて見えないはずなのにだ。

 しかし、その二つの答えは簡単だった。

 それは、姫乃が依然として暁を警戒していただけだったからだ。

 暁が自分たちをこの銭湯に誘ったことを警戒していたからこそ、入浴前にふらんに頼んで浴場をスキャンしてもらっていた。

 そして、穴の存在に気づけたというだけだった。

 その答えを知らない湯々爺は、彼女たちの得体の知れなさに恐れおののいた。

 しかし、それ以上に湯々爺の背筋を冷やがらせたのは、彼女たち(姫乃)の容赦のなさだった。

 いくら覗き行為を咎めるためとはいえ、魔王の目を潰す苛烈さ。

 それが湯々爺を戦慄させた理由の三つめだった。

 そんな風に湯々爺が怯えていると、背後で左目を押さえながら、肩を震わせ立ち上がる暁の姿があった。

 立ち上がりはしたが、まだフラフラの状態の暁に、湯々爺は肩を貸す。


「大丈夫ですか?」


「大丈夫っ…………それより、次だ…………」


「えっ……!?」


 湯々爺は自分が何か聞き間違いをしたかと耳を疑う。

 しかし、暁の次の言葉は湯々爺をさらに驚かせた。


「…………言ってただろ? 『穴はいくつか作った』って。もしかしたら、姫ちゃんたちが見落とした穴があるかもしれない。僕はその可能性に賭ける…………!」


「そんな…………無謀でございます! そのような分の悪い可能性に賭けるなど…………それに……もしこれ以上目を突かれれば、魔王様の目は…………!」


 暁は手のひらを向け、湯々爺の言葉を遮る。

 暁の赤く充血した左目が湯々爺を映した。


「例え分の悪い可能性だろうと、僕は目的を果すためなら迷わずその可能性に賭ける。それに…………彼女たちの裸を一瞬でも見れるならば! 僕は明日の光をも差し出す覚悟はできている!!」


「おおっ…………! 王よ!!」


「案内してくれ! 湯々爺!!」


 暁の力強い視線が、湯々爺の心を強く揺さぶる。

 暁の変態としての気高さを目の当たりにした湯々爺は、溢れそうになる涙を堪えつつ、暁に最後まで付き従う覚悟を固めるのだった。

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