第40話 『男』らしく

「はぁ……」


 夕暮れの商店街を歩く澪夢の動きに合わせて、買い物袋が揺れる。

 澪夢のついたため息は、買い物袋が揺れ摩れる音にかき消された。


(今日でもう九日目か……全然上手くいかないなぁ……)


 実際は魔力を操作する精度は段違いに上達しているのだが、突発的に起こる性別変化は全く改善していない。

 むしろ、ここ数日はその頻度が上がっている。

 そのことが澪夢に成長を実感させずにいた。


(このままじゃ、皆さんに迷惑がかかるよね……)


 練習に熱心に付き合ってくれる姫乃。

 心配して常に気にかけてくれる神無とふらん。

 もう数日はお世話になっているのに、甲斐甲斐しくもてなしてくれるムクロ。

 そして、寝る間を惜しんで自分のために奔走してくれている暁。


 トクンッ…………。


「っ…………」


 一瞬走った鼓動に、澪夢は胸を押さえる。

 これ以上、みんな――――そう、みんなに迷惑をかけられない。


(もう家に帰ろう。 これ以上居座っていたら迷惑だよね)


 暁たちは自分のことを迷惑だなんて思うような者たちでないことは澪夢自身よくわかっている。

 しかし、それに甘え続けることを澪夢は良しとしなかった。

 そう考えた澪夢が、屋敷に戻ろうと足を早めた時だった。

 自分の進む先、数十メートル先の人の流れがおかしい。

 そこだけを避けるように、人々が流れて行っている。

 不審に思った澪夢は、その人々が避ける場所に近づいた。

 近づくに連れて、人と人との間隙から、何故人々がそこを避けて通っているのか、その理由が見えてきた。

 数人の男が、一人の女性を取り囲んでいる。

 男たちの好色なにやけ顔と、大人しそうな女性の明らかに嫌がるような表情と素振りから、おおよその状況は把握できる。

 女性は先ほどから周囲に視線を送り、助けを求めているようだが、周囲の人々は目を合わせようとせず、足早にその場を通り過ぎていく。

 彼女に絡む男たちの人相の悪さを見れば、関わろうとは思わないのは当然だろう。

 しかし、澪夢は違った。

 元来の正義感の強さもあるが、女性の姿と周りの反応が、自分の幼い頃の光景がダブって見え、見過ごすことなどできなかった。

 なら、必ず助けに入るだろう。

 現に、自分はそうやって救われた。

 その思いが、澪夢を男たちの前へと駆り立てた。



 ※



「なんだぁ? てめえ?」


 お楽しみのところを邪魔するように目の前に現れた澪夢に、男たちは露骨に不愉快そうな顔をする。

 澪夢は絡まれていた女性を守るように間に立つと男たちを睨み付けた。


「なんだその目はぁ? あぁあ!?」


 男の一人が凄みながら、澪夢に向かって手を伸ばす。

 すると、澪夢は男の手首を掴み、関節とは反対の方向にひねった。


「がぁっ!! いだだだだだだっ!!」


「今のうちに逃げて」


 男に関節を極めながら、澪夢は背後の女性にそっと耳打ちする。

 女性は突然の乱入者に一瞬戸惑った様子だったが、すぐに状況を察し、会釈をすると足早にその場を去っていった。

 女性がその場を離れたことを確認すると、澪夢は男の手首を離す。

 手首を離された男は足をもつらせながら、地面に倒れた。

 それを見ていた男の仲間たちは、殺気立った様子で、今度は澪夢の周りを取り囲んだ。


「いきなり割り込んできやがって……ヒーロー気取りか?」


「どうしてくれんだよ? 今夜のお楽しみが逃げちまったじゃねぇか」


「…………」


 睨み付けながら凄んでくる男たちに、澪夢は何も言い返さない。

 いや、正確には言い返せないでいた。

 義憤に駆られ助けに入ったはいいが、いざ女性の安全が確保され一人になると、途端に喉が渇きだす。

 足もすくみ、震えを抑えるのがやっとな状況に陥っていた。

 澪夢はのようになるために、格闘技を習っていた。

 そのため、やろうと思えば先ほどのような技を扱うことができるが、それを実行するだけの勇気は女性を助け出した時点で萎んでしまっていた。

 それでも、男たちにそのことを悟られまいと、必死に睨み返し続けた。


「何とか言えよコラッ!」


「っ……!」


 一言も返さない澪夢にしびれを切らした男は、澪夢の胸ぐらを乱暴に掴む。

 澪夢の着ていた服のボタンが数個弾け飛び、その白い肌が顕になる。

 それを見た男は、一瞬驚いたように目を見開いたかと思うと、澪夢の顔を見てすぐにいやらしい笑みを浮かべた。


「なんだ……お前、男のくせにやけに色っぽいじゃねぇか。 まるで女みてぇだ。 今夜はお前で楽しむとするか」


「えっ……!?」


「どうだお前ら!?」


 男は仲間の方に視線を向けると、掴んでいた澪夢の服を力任せに引っ張る。

 先ほどよりも勢いよく、残ったボタンが全て弾け飛び、澪夢の白い絹のような胸元から臍部さいぶは公衆へと晒された。


「きゃああぁぁ!」


 澪夢は慌てて、両腕で隠そうとするが、男の仲間が背後から両腕を掴み、それを阻む。

 澪夢の反応に満足したのか、男たちは下卑た笑い声を上げる。


「聞いたか!? 『きゃああぁぁ!』だってよ!! 『きゃああぁぁ!』!! ますます女みてぇだな!」


「なぁ、コイツ本当に男かどうか確認しようぜ。 ここで裸に引ん剝いてよ」


「止めろ! 離せ!!」


 澪夢は男の手を逃れようと暴れるが、しっかりと羽交い締めにされ、身動きができない。

 いくら澪夢がデモニアといえど、力は常人と大差無いため、振り払うことはかなわなかった。

 暴れる澪夢を後目に、男の指が澪夢のズボンの淵にかかる。

 澪夢は身を固まらせ、強く目を閉じた。

 男の手が澪夢のズボンを下げようと力を入れようとしたその時だった。

 男の足元に百円玉が一枚、ゆっくりと転がってくる。

 自分の足に当たって止まったそれを男が不思議そうに見ていると、影が一つこちらに伸びてきていることに気がついた。

 影の伸びてくる元に男たちが視線を送ると、そこにはヘラヘラと軽薄そうな笑みを浮かべた男が申し訳なさそうに立っていた。


「すいませーん。 小銭落としちゃって。 拾っていいですか?」


「……今度はなんだてめぇ?」


「いや、だからその足元の百円。 拾っていいですか? 拾えばさっさと立ち去るので」


 そう言いながら、イソイソと近づいてきた闖入者ちんにゅうしゃは、男の足元に屈み込む。

 あまりに空気を読まない介入に、澪夢に手を伸ばしていた男は呆気にとられ、その動きを黙って目で追っていた。

 しかし、突然鼻頭に強い衝撃と痛みが走り、男の意識を根元から奪い去る。

 小銭を拾うフリをして、仲間に頭突きを食らわせた闖入者に、男たちは驚き、目を大きく見開く。

 男たちが動揺しているうちに、闖入者は澪夢を羽交い締めにしている男を殴り飛ばす。

 男は澪夢から手を離し、体ごと後ろへと飛んでいった。


「大丈夫?」


「逢真くん……」


 暁は自分の着ていた上着を澪夢の肩にかけてやると、優しく微笑んだ。


 トクンッ……トクンッ……トクンッ……。


 澪夢の胸の鼓動は、早鐘はやがねのように激しく鳴り響いていた。

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