RE087 伊月、閃く

「(なに、あれ)」

 怒りに我を忘れるほどではないが、床へ引き倒した弟を真顔で踏みつけてみせるほどには内心穏やかでないキリエ。

 珍しく魔力オドを唸らせている吸血鬼を指し、鏡夜が

「(吸血鬼相手に伴侶はなよめの格だの箔だの口走ったらああなる、っていうわかりやすい見本)」

 それに応える伊月の念話こえは、キリエの振る舞いが人外、こと吸血鬼界隈の常識に照らした場合、いっそ手緩いくらいだと理解できている分、鏡夜のそれより一段と落ち着いていた。


 そも。徒人と人外では「暴力」に対する認識も、少なからず異なっている。


「キリエ」

 普段から注意深く伊月の顔色を窺い、その勘気に触れることがないよう臆病なくらい慎重に振る舞っているキリエが伊月の呼びかけに対して身構えもせず、平然と振り返ってみせた時点で、色々とお察し。

「マリアが落ち着かないから、その物騒な魔力をさっさと引っ込めて」


 失言からノータイムでキリエに折檻されたラドゥ。そのすぐ隣の席に着いていたマリアは、キリエのアストラルボディが編み上がる直前、ラドゥが椅子ごと引き倒されると同時に素早く席を立ち、とばっちりを避けるよう壁際まで退いていた。

 壁にぴったりとつけられたその背中は、不自然に濃い色の影へ僅かに沈み込んでいる。

「まだ聞きたいことが残ってるの」

 こっちにおいでと伊月がキリエを手招けば、現金な吸血鬼はのこのことそれに引き寄せられた。

 自身になんの落ち度もないマリアも、伊月を一旦抱き上げてクッション代わりとばかり椅子との間に収まったキリエの纏う魔力オドが落ち着く頃合いを見計らい、元いた席へと戻ってくる。

「父さまが、ごめんなさい」

「あなたが謝るようなことじゃない」

 本来、伊月へ謝罪すべきラドゥはといえば、既にキリエから手痛いしっぺ返しをくらっているわけで。このうえ何かしらの報復や制裁を加えようと考えられるほど、伊月自身はラドゥの発言を重くみてはいなかった。

 キリエが怒るのも理解できるし、やり過ぎなければ脊髄反射で行われるそのを止めるつもりもさらさらないが。黒姫奈として生きていた頃に色々と(主に皇国で)苦労した覚えのある伊月にしてみれば、あれくらいの失言でいちいち腹を立てていてはきりがない、というのが正直なところ。


「そんなことより――」

 手元に呼び出した表示領域スクリーンの複製を、伊月はマリアの前へと滑らせた。

「〔ハイブラゼル〕の運用に関して、幾つか思いついたことがあるの。あなたさえ良ければ、現役のハイドゥクとして意見を聞かせてくれない?」


 それからの話にラドゥが加われないまま終わるのは、自業自得の結果でしかない。

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