RE079 鏡夜、対面する

 壁一面の書架からまず一冊、目に付いた本を手に取り、表紙をめくって……気がつけば、書斎のアルコーブで敷き詰められたクッションにゆったりと体を預け、すぐ傍には用意した覚えもない飲み物が……というような状況と少なくない時間の飛躍は、ここ最近の鏡夜にとって「わりとよくある」レベルの出来事だった。

 読書中の鏡夜が護家の生まれにしては隙だらけであることを差し引いたとしても、ティル・ナ・ノーグの自動人形メイドは気配を消すのが上手い。


 だから。鏡夜がに気がついたのは、単なる偶然。


 次の本を見繕おうと、居心地の良いアルコーブから抜け出したところ。鏡夜の意識が活字から逸れ、周囲へそれなりの注意を払っているタイミングで、その視界をそれまで認識していなかった魔力の輝きが掠める。

(今、何か……)

 常日頃から病質的なほどの用心深さで魔力の痕跡に目を光らせている片割れとは違い、目に見える魔力光痕跡でも見つけない限りその気配に気付きもしない鏡夜が興味を引かれ、目をやった先。インスミールが中庭の主シンボルツリーとして幅を利かせる中庭には、その地面すれすれに一つの魔導円サークルが、描く者もいないのに忽然と現れていた。

(誰か来る……?)

 歪みない円環の内側で転回する魔術式ワスカタは、転移の先触れとなる空間予約の定型文。


 ひとまず、手に持っていた本を棚へと戻し、立ち上がった目的の半分を果たした鏡夜がもう一度、窓と出入口代わりの開口部越し、書斎の前を横切る通路の向こう側へと目をやる頃には。そこに、が一人、役目を終え掻き消えた魔導円サークルの残滓のような魔力光を体に纏わり付かせながら立っていた。

「…………」

 こと、自分たちの身の安全に関しては慎重に臆病を重ねた――それこそ、石橋を叩き割ってから迂回路を探すような――振る舞いをする片割れ伊月が「絶対に安全だ」と言い切ってみせた、固有領域内でのこと。

 音もなく、判を押したよう描き出される魔導円サークルを先触れに現れた女の視線が自分を捉えようと、鏡夜は気にも留めず。立ち上がった目的の残りもう半分を果たし、居心地良く整えられたアルコーブへと後戻りする。


 こつ、こつ、こつ――。

 鏡夜が書斎の奥まった場所にあるアルコーブへと戻ったことで、一旦その視界を外れた女は、程なく書斎の前に姿を現した。


「誰だお前、くらい言ってくれてもいいんじゃない?」

 出入口として設けられた開口部にもたれたが、拗ねたような口振りで言う。

「絶対に安全だ、って言ったろ」

 程良い温さで保温されている飲み物に口をつけていた鏡夜は、女の存在そのものにさして興味の無い素振りで、手にした本の装丁を検めるよう古めかしい風合いの表紙に指先を滑らせた。

「それ、たとえ殺されても蘇生できるから大丈夫って意味の『安全』だから。私がその気で殴ったら普通に痛いし怪我も……キリエがいないタイミングでよっぽど手早くやれば……する、かもしれない……わよ?」

「だいぶ安全そうなことしか伝わってこない」

「もうっ……キリエはちょっと黙ってて!」


「声に出てるよ」

 そろそろ読書をはじめて構わないだろうかと、鏡夜は手元に置いた本へ視線を落とす。

「誰だお前って訊いて!」

「だれだおまえ」

 面倒な要望へ求められたとおり対応したにも関わらず、書斎の入り口に立つ女は苛立たしげに履いている靴の踵を鳴らした。

「私たちの前世ひとつまえの体!」


 強引な暴露を受けて。今度こそ、これまでよく見もしないでいた女の姿をしっかりとその視界へ捉えた鏡夜。

 その脳裏で、真っ先に閃いたのは――

「保存食……?」


「やっぱりそう思うわよね!?」

 我が意を得たりと表情を輝かせ、はしゃいだ声を上げた女の背後に、その影から立ち上る煙のよう細身の少年が姿を現わす。

「してないってば……」

 どういうわけか、見慣れた青年姿より若返っている吸血鬼。背後から負ぶさるよう女に纏わりついて恨めしげな声を上げるキリエが姿を見せたことで、伊月のお遊びに付き合い終わったと判断した鏡夜は今度こそ、手元に置いた本の表紙をぱたりとめくる。

 そうして。活字以外の何もかもを、意識の内から追い出した。

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