RE078 キリエ、食事にありつく

「私は腹ぺこ吸血鬼にご飯あげてこないといけないから――」

 わかりやすい物理筐体ハードが存在しない仮想端末バーチャル・コンソールを鏡夜の前に立ち上げて。簡単にその使い方をレクチャーした伊月は――「ここからライブラリにアクセスできるから」と――目新しい場所に来たからといって、いそいそと探索に乗り出すほど好奇心旺盛でない鏡夜の性格をわかりきった口振りで、皇国のものとは建築様式からして違っている邸宅の、中庭を囲むよう伸びる通路に幾つもの窓と大きな開口部を持ち、通路や中庭から部屋の中の様子を容易に窺うことができる、開放的な作りをした一階の一室を指差した。

「気が向いたらどこでも好きに見て回っていいけど、二階は『吸血鬼立入禁止おことわり』だからあんまり入り浸らないように。本格的に読書はじめるならリビングでね」


 説明がてら試しに一つ、〔扶桑〕のライブラリからきちんとした装丁込みで紙媒体に出力プリントアウトされた「本」を両手にしっかりと抱えた鏡夜が気もそぞろに頷く傍ら。双子のやり取りを大人しく見守っていたキリエがふと、何か思いついたような素振りで伊月の手を取る。

「――なに?」

 そのまま伊月の手を使い、キリエが指差した先にはリビング同様、中庭を取り囲むよう伸びる通路に面した一室があって。双子の視線が揃うか揃わないかのタイミングで、連続するアーチ状の開口部を部屋の内側から覆っていたカーテンの一部が、触れるものもないのにシャッと小気味いい音を立てて開かれる。

 もちろん、どこか見えないところからキリエが「手」を伸ばしているのだろうが――

「私の書斎にある本も、好きに読んでいいよ」




 双子の生国よりも長く生きている、ティル・ナ・ノーグの総督ヴォイヴォダ。「ヴラディスラウス・ドラクレアの蔵書」と聞いて目の色を変えたのは、なにも活字中毒の気がある鏡夜に限ったことではなかった。


「魔術関係の本があるなら私も読みたい」

 そそくさと書斎へ向かう鏡夜の後ろ姿を羨ましそうに見送る伊月が、本格的に気分を変えてしまわないうち。キリエは両手でしっかりと抱えた〔花嫁〕を、書斎と同じ棟にある寝室へと連れ込んだ。

「そこまで珍しいものはないよ」

 それなりに長く生きている長命種メトセラ、あるいは単純にキリエが自分の主観で口にする「そこまで」は信用ならないとばかり。あからさまに疑わしげな目を向けてくる伊月を抱きしめたままベッドへ上がり、単純な状態拘束により洋服のよう振る舞わせていた魔力の一部を解いてしまえば、〔花嫁〕としての義務感から己の知識欲へ傾きかけていた体から、溜め息混じりに余計な力が抜けていく。

「(最初のお前が気に入って手元に置いてた本がほとんどだから、実用書よりあの頃流行ってた物語の方が多いんじゃないかな)」

 膝に乗せた幼子こどもの、痛み止めを兼ねる魔力を馴染ませるためひと舐めした柔肌へ、キリエはこれといった前置きもなく卑しい牙を突き立てた。



「あー……」

 伊月をなるべくにさせないよう、よくよく気を使いながら食事をしているキリエの忍耐を知ってか知らでか。甘く匂い立つ鮮血の主が、最早刷り込みのような素直さで熱の上がった体を揺する。

「だめ……きもちいい……」

 熟れるどころの話ではない体に収められた魂だけがその先にある快楽を知っているというのも、難儀な話だった。


?」

 真新しい咬み痕から滲む程度に加減した鮮血を舐め取り、当座の飢えを満たしたキリエ。

 夢魔紛いと揶揄されることもある吸血鬼が自ら進んで伸ばし、眠りへ誘うよう目元を覆った手の平を、伊月はいつになく弱々しい仕草で押し返す。

「しない……」


「少しだけ……ね?」

 その抵抗が形ばかりのものでしかないことは、常日頃、伊月の機嫌重視で己の振る舞いを決めているキリエの悪びれない態度が物語っていた。

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