RE068

「鏡夜――」

 穏やかな声とともにかけられた手が居心地の良い「殻」を引き剥がし、ぐっすりと眠り込んでいた鏡夜の目を覚まさせる。

「起きて」

 願うような響きの言葉はその実、拒否を許さない命令だった。


「鏡夜に会わせたい人がいるの」

 奪った上掛けの代わりとばかり与えられた服に着替え、顔を洗い直し、寝乱れた髪を梳り……いつになくしっかり身仕度を調鏡夜を、伊月は家の外へと連れ出す。


 ぐるりと塀で取り囲まれた「本家」の敷地を出て、舗装もされていない田舎道をいくらか歩き、石組みの鳥居からはじまる参道を辿って行った先。

「襲」

 八坂の地を治める国津神の一柱を伊月が呼びつけたのは、鏡夜共々「八坂神社」の境内に随分と入り込んでからのことだった。

 こんな場所までわざわざ足を運ばずとも、護家八坂の直系であり襲の後継となるべく育てられた神子が呼ぶ声を、双子の父神が聞き逃すはずもないのに。


「――呼んだ?」


 娘の呼びかけから一拍置いて、伊月が立つ神楽殿の前に降って湧くよう現れた襲。

 十にも満たないとはいえ、それなりに育った子供の「親」にしては年若い外見の男が浮かべる笑みは、その安売り具合と相俟って、いかにも軽薄そうな印象を見るものに与える。

「黒姫奈が速見の分社で鈴を鳴らすから。向こうで『荷物』を受け取って、こっちに運んでくれない?」

 対する伊月は澄ましたもの。

 ただし。鏡夜には伊月が何かしら企んでいることがわかってしまうので、非の打ち所のない澄まし顔が、どこか白々しく見えていた。

「分社から本社こっちに? 地脈経由の疑似転移でいいなら大した手間でもないし、運ぶのは構わないけど……それって、どうしてもが受け取らないと駄目なやつ? 鏡夜くんもなんだかしてるし、あんまり良い予感がしないのは気のせいかなぁ」


 気安く伸ばされた襲の手が、鏡夜の髪をくしゃりと乱す。

「いてっ」

 ぱちっ、と弾けた紫電が襲の手を遠ざけて。父が息子に触れていられたのは、ほんの短い時間だった。

「あー……」

 気まずそうな襲の視線が咄嗟に向かった先は、伊月がぬいぐるみのよう抱える「ペット」。

「キリエ」

 伊月に窘められた銀鱗の小竜は、けれども素知らぬ顔で尻尾を一振り。

 伊月に対しては酷く従順な「ペット」の反応はもとより、双子の片割れである鏡夜だけが感じ取ることのできる伊月の機嫌からも、伊月の「注意」が口先ばかりのものであることは明白だった。


「……あ、かな?」

 場に落ちた微妙な沈黙を、不意にどこを見るともなし、顔を上げた襲が破る。


「じゃあ、ちょっと行ってくるね」

 そう言い置いた襲が一旦姿を消してから再び姿を現すまでに、さして時間はかからない。

 あまり気の長くない鏡夜が大人しく待っていられるほどの時間、双子の前から姿を消していた襲は次に現れた時、大きな「荷物」と一人のを連れていた。

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