RE056

 それらしい魔力の揺らぎもなく、唐突に降って湧く気配。

「(ただいま)」

 かけられたに、鏡夜が振り返ると。離れの縁側には「ちょっと出かけてくる」と鏡夜へ言い置き、そのまま姿を眩ませていた伊月が手足の長い下僕ペット共々、何食わぬ顔で戻ってきている。

「(おかえり)」

 期待していたわけではないが、嘘を吐かれる道理もない。

 度々集中を切らされることを好まない鏡夜が、そのまま「待ち」の姿勢をみせると。伊月も心得たよう、キリエに言って足下の影から取り出させた「厚みのある硝子板」を鏡夜へと差し出した。

「はい」

 その大きさは、鏡夜が両手を乗せてもまだ余裕があるほどで。丸みを帯びた角の一つには、なだらかな窪みの下に、青みがかったとろみのある液体が封入されている。

「なに、これ」

 お互いに、傷付け合って得るものはなく。ちょっとした悪戯ならまだしも、悪意ある罠を警戒する必要のない相手からの「お土産」を、鏡夜はなんの警戒もなく受け取った。


 水に落とせば見失ってしまいそうなほど透き通った見かけのわりに、さらさらとした手触り。硝子にしては軽く感じる晶石板タブレットを、ためつすがめつ。一頻り眺めたところで、伊月の手が鏡夜の手からそれを抜き取っていく。

「本当は、ティル・ナ・ノーグかアルカに身分IDがないと使えないんだけど――」

 机の上に置かれたタブレットへ少しばかり魔力を流すよう促され、その通りにすると。鏡夜の前に、伊月が見慣れない懐中時計を叩いて呼び出すものと同じ「窓」が立ち上がった。

「私と鏡夜は『魂の双子』で、どっちの魔力炉たましいも元は黒姫奈のそれだから。魔力認証は鏡夜でも普通にパスできちゃうのよね」

 したり顔で肩を竦めた伊月は、表示領域スクリーン上にぽつん、と置かれたアイコンにその指先を触れさせる。

「ここから、デミドラシルのライブラリにアーカイブされてる本が粗方読めるから。あとは好きにして」


 活字中毒の気がある鏡夜にとって、それは「それなり」レベルの厄介事であれば目を瞑り、場合によっては伊月の利益に沿うよう動いてやっても構わないと思えるほど、素晴らしく魅力的な袖の下おみやげだった。




「(何やった)」

 鏡夜からじっとりと注がれる視線に、伊月はわかりやすい作り笑顔で応じる。

「(まだそうと決まったわけじゃない)」

 そう言いながらも、嫌な予感をひしひしと感じてはいた。

 だからこその袖の下であって、そんな伊月の魂胆がわからない鏡夜ではない。

「ふぅん?」

 そうと理解したうえで引いてくれるなら、それは許されたのと同じことだった。


 これで一安心と肩の荷を下ろした伊月は元いた縁側まで戻り、大人しく待っていたキリエにもたれ、胸元へしまったままの端末を服の上からとんっ、と叩く。

 余剰魔力の縁に沿うよう浮かぶ表示領域スクリーンの位置を微調整して。伊月がまず目を通したのは、マメな〔扶桑〕から適宜送られてくる報告書レポートの類。

 幾つか並べた表示領域スクリーンの一つには、皇国とティル・ナ・ノーグのヘッドラインを流していたが。その日の夜になっても、御三家日代の「禁苑」が襲撃され、先代の日巫女が娘共々拉致され行方が知れない……などという、話題性抜群の事件が素っ破抜かれることはなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます