RE053 彩花と愛花

 敷地内に「賊」が入り込んだと聞かされて。彩花あやかが真っ先に思い浮かべたのは、自分では悲鳴一つ上げられない「母」のことだった。

(いかなきゃ……)


「いけません、彩花さまっ」

 彩花は、彩花のことを必死に止めようとする側仕えの女たちが、彩花たち「日代の女」のことを陰でどんなふうに言っているのか、知っている。

 だから、その言葉に足を止めはしなかった。

(私が、守らなきゃ)

 皇主さまの御杖代となるべく育てられ、無事に勤めを終えた「日代の女」はこの上ない縁起物として、その身を一夜毎に違う男へ売られて余生を過ごす。

 貴い巫女として生まれ、汚らわしい娼婦となるため、生かされている。

 彩花たち「日代の女」は、人と同じ姿形をした家畜。そういうだと、彩花はとっくに知っていた。

 だから――


 その「務め」を果たさない、果たしたくないと「母」だけが、彩花にとってたった一人のだった。




「――母さまっ」

 息せき切って飛び込んだ先で、彩花の「母」は朗らかに笑っていた。


 生まれてこの方、ただの一度も、言葉はおろか視線一つ交わしたことのなかった生みの親。

 一つ目の嫁ぎ先から日代に戻って以来、ずっと眠ったまま、一度も目覚めたことなどなかったはずの愛花がベッドの上に起き上がっている。

 そんな、夢か幻としか思えない光景を目の当たりにして。「日代の眠り姫」の寝室へと飛び込んだ彩花の思考は一旦、早く逃げなければ、母を守らなければという焦燥までもが綺麗さっぱり漂白された。


「かあさま……?」

 彩花が体当たりするような勢いで開いた扉。その音に驚いたよう振り返った愛花の眼差しが、戸惑う「娘」の姿を捉え、温かな熱を灯す。

「彩花」

 痩せ細った腕は、それでも重たげに持ち上げられると、扉の前で立ち竦む彩花を手招いた。

「彩花も一緒に行きましょう?」

「行くって、どこへ? 母さま、どこかへ行ってしまうの?」

「ふふっ」

 それはそれは嬉しそうに、愛花は笑う。

 そんな母の姿を、少しでも長く見ていたくて。彩花は娘を手招く母の手へ飛びつくよう、愛花のベッドへ乗り上げた。

「お父さんのところよ。彩花のお姉ちゃんがね、迎えに来てくれたの」

「お姉ちゃん……?」

 母が見つめる先を目で追って、彩花ははじめて、その存在に気がついた。

「いいわよね?」

 愛花がそう声をかけたのは、大小二つの「影」だった。

 その小さい方が、溜め息を吐くよう微かに揺れる。

「お好きにどうぞ」

 彩花にもはっきりと聞こえたその声は、母のそれとどこか似ていた。

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