RE052

 黒姫奈のマテリアルボディを取り込んだ、着ぐるみ状態の銀竜を義体感覚で飛ばすこと二時間弱。

 二枚一対の翼に風を掴み、思うがままに空を飛ぶ事への目新しさも薄れ、慣れてしまえば単調な舵取りに伊月がすっかり飽きてきた頃。徒人のそれよりも遥かに優れた銀竜の視界へようよう捉えられた経路案内の終点は、東都の郊外に広がる広大な緑地、その中に点在する離宮の一つだった。


「鏡夜――」

 すっかり座椅子代わりが板に付いてきた、キリエの腕の中。ずるずると体勢を崩すがままになっていた体を起こし、寝返りを打つよう抱きついたキリエの肩越し。伊月は部屋側の障子も庭側の窓も開け放った離れの縁側から、部屋の中の鏡夜へひらりと手を振る。

「(ちょっと出かけてくる)」

 相も変わらず本の虫。

 それでも律儀に伊月を振り返った鏡夜の視線に、遠慮の無い呆れが滲む。

「(しばらく大人しくしてるって、言ってなかった?)」

「(予定は未定ってやつね)」

 念話によるやり取りは、言葉によるそれの比ではなく、速い。

「(お土産期待してて)」

 一秒にも満たない刹那の時間で鏡夜に断り、伊月は鏡夜と繋がるそれとはでキリエに

「(固有領域に)」

 声に出して告げないのは、土地神の盗聴対策も兼ねていた。



 どこからともなく降って湧き、頭からすっぽりと被せられた薄布が視界へ影を落とすなり。膝立ちで寄りかかっていたキリエごと、浮遊感に包まれた体が影へと沈む。

 〔真祖〕の血統でもない徒人にとっては、深い闇との違いが分からない影の中。背中を抱いていた腕が足を抱え直し、水へ飛び込んだような圧迫感から解放されると。そこはもう、伊月が生まれ育った皇国の「外」であり、〔アングルボダ〕のどこでもない、疑似王樹インスミールを要とする亜空間の中だった。


 無難に固有領域の中庭へと出たキリエの前へ、その到着から間髪入れず、浮かび上がった魔導円サークルが一体の扶桑オートマタを送り込む。

「お急ぎのところ、失礼致します」

 挨拶もそこそこ、扶桑が差し出す腕の先。バリアジャケット代わりの薄布に包まれた伊月の前へ、立て続けに二つの表示領域が開かれる。

「日代愛花が目覚めました」

「……本気で言ってる?」

「はい」

 扶桑が提示した表示領域の一つには、ピンを立てられた地図が。地図上のピンから派生するよう開かれたもう一つの表示領域には、天井近くに設置された監視カメラのものと思しき広角映像が映し出されている。

「現地の警備室へ送られる映像は、覚醒の兆候が見られた時点から差し替えてあります。ナースコールについても対処済みです」

 ピンに貼られたラベルは[日代愛花]。

 さほど鮮明でない映像のおおよそは、銀竜を飛ばしている間に伊月が確認したものと変わりない。

 ただ一点、年単位で昏睡状態にあった日代愛花が目覚めて、あまつさえベッドの上に起き上がっていることを除けば。背景となる部屋の内装はもちろん、中途半端なカーテンの開き具合にいたるまでそっくりそのままだった。

「目が覚めたどころの話じゃないでしょ、これ。昨日の天使といい、どいつもこいつも寝起き良すぎじゃない……?」

「皇国内では観測精度に限界があるため、断言は致しかねますが、日代愛花に干渉する第三者の存在は想定しておくべきかと」

「はぁー……」

 監視カメラの向こうで喉を押さえた愛花が、軽く咳き込みながら、何かを探すよう辺りを見回す。

 話に上がったナースコールについては、それらしいものがベッドの上に放り出されたまま。目覚めた愛花はそれに触れようともしなかった。

(めんどくさ)

 長いこと原因不明の昏睡状態に陥っていた女が「夫」の前で奇跡的に目覚めるのと、実家から無断でされた事実を自覚したうえで「口止め料」として差し出されるのとでは、色々と話が違ってくる。

 年単位で続く昏睡の原因など〔クレイドル〕に放り込んでしまえばわかることだと高をくくっていた伊月は、さりとて、今更「引く」という選択ができるほど軽い気持ちで「日代の女」の誘拐など企ててはいなかった。


 面倒臭かろうと、なんだろうと、一度はじめたことは自分が勝って終わらせなければ気がすまない。

 伊月はそういう性根の女で。今となっては、それを望みさえすれば勝利が約束された「王」でもある。

「予定通り、銀竜黒姫奈が警備を引きつけてるうちに日代愛花を攫う。観測精度が欲しいから、扶桑も来て。愛花に干渉してる『何か』の正体がわかるまで、彼女から目を離さないように」

「畏まりました」


「捕捉できたら殺さず生け捕りにすること」

 〔扶桑〕に対しては言うまでも無いことをわざわざ口に出したのは、キリエに対する釘刺しに他ならなかった。

 キリエに限らず、〔花嫁〕を持つ吸血鬼は大抵の場合、自分自身より〔花嫁〕に対する敵意へ過敏に反応する。

 それをにできないようはっきりと言い含める伊月は、わかりやすい袖の下として、見るからに不満げなキリエの頬へと口付けた。

「できるわよね?」

「…………」

 被せられた薄布越し、伊月が慣らしたリップ音に振り返ったキリエ。その鼻先で、形状の定義を書き換えられた魔布が下から上まで一直線にはらりと裂ける。

 強請るよう寄せられた唇を、伊月はその掌で受け止めた。

「返事は?」

 至近距離での睨み合いは、それほど長くは続かない。

「見つけたら生け捕りにする……」

「よろしい」

 押しつけられた掌の下で不承不承の了承を告げたキリエに、同じ手の甲へと口付けた伊月は一言、「成功報酬」と囁いた。

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