RE039 ナナキ

 黒姫奈として死んでから、ざっくり十年。

 それだけ長期にわたって寄りつかずにいれば、見慣れた場所がすっかり様変わりしていたとしても不思議はないが。少なくとも、黒姫奈伊月が真っ先に訪れた神門の沖の浜支部は、一歩足を踏み入れてなんだと拍子抜けするほど昔のままだった。

「――もしかして、黒姫奈さん?」

 エントランスを抜けるなり声をかけてきた職員が、十年分の老いを感じさせない若々しさを保っていれば、なおのこと。徒人よりも長命種メトセラが多く暮らす街での「十年」が、徒人としてまっとうな感覚で考えるほど長くはないことを実感する。

「こんばんは」

「はい、こんばんは。お久しぶりですねぇ。今日は姫更きさらちゃん、一緒じゃないんですか?」

「メンテ中」

 よければどうぞと促され、壁際に並ぶ端末へ向かうつもりでいた黒姫奈伊月は予定を変えて窓口へ。

 有人か、無人か。他愛ないお喋りを要求されるか、否か。端末と窓口の違いは、それくらいのものだった。


「そちらの方は?」

 顔見知りのためにわざわざ閉じていた窓口の一つを開けた職員が、それこそ本題だとばかり目を輝かせながら問うてくるのを、黒姫奈伊月は呆れ混じりの半目で見遣る。

「旦那」

 飽きもせず黒姫奈ドォルの腕を捕まえているキリエが顔を上げたことに気付いても、そちらを振り返るような愚は犯さなかった。

「やっぱり! そうじゃないかと思ってたんです」

 あぁそうですかと気のない素振りで頭を揺らしながら、個人認証のため身分証IDを窓口の読み取り機へと翳す。

「式はもう挙げられたんですか?」

「挙げてないし、そんな予定もないから。失効したライセンスの再交付手続き」

「もし気が変わったら、式にはぜひ、ぜひとも呼んでくださいね!」

「はいはい」

 読み取られる個体情報パーソナルデータは、伊月が〔扶桑〕に用意させた――黒姫奈が死んだ時点に遡って皇国からティル・ナ・ノーグへ籍を移し、そのまま生存していたという体の――もの。

 徒人でありながら微塵の変化もない容姿や変質した魔力については、そのどちらともが、キリエという伴侶ひとでなしの存在で説明できる。

「ライセンスは以前と同じ二種をご希望ですか?」

「一応三種で。駄目だったら諦める」

「黒姫奈さんは実務経験もありますし、大丈夫だと思いますよ? 実技試験は規定により免除されます。筆記試験、頑張ってくださいね!」


 そういうつもりでキリエを伴っていたわけではないのだが、結果的には説明の手間が省けて良かったと。必要な手続きを終え、職員に見送られながら窓口を離れた黒姫奈伊月は、大きい方のキリエが小さな八坂伊月に対してするよう、隣を歩く少年姿のキリエに頬をすり寄せた。




「支部長、さっきの方とお知り合いなんですか?」

「あとで内覧の資料を送るから、あなたも目を通しておきなさい。彼女、ここだと結構有名よ」

「そうなんですか? 私、お見かけするのはこれがはじめだと思いますけど……」

「記録によると、ここに来るのは十年振りね。まだひよっこのあなたは知らなくても無理ないわ。急に見かけなくなったから、心配してたんだけど。メトセラとのハネムーンだったみたい」

「そういえば、お連れの方も凄かったですねぇ。なんというか……迫力? みたいなのが。グレード2くらいでしょうか」

「どうかしら。黒姫奈さんがグレード1だから、そのパートナーなら同じグレード1でも驚かないわ」

「えっ……でも彼女、マテリアルボディでしたよね? ハネムーンということは十年前はただの徒人ひとで……それでグレード1って凄くないですか!」

「凄いわよ。クランも組まずにグレード2を無傷で討滅できるんだから。黒姫奈さんが復帰してくれるなら、塩漬けになってる案件が随分片付くはずよ」

「凄いというか、最早怖いですよ、それ……。夜勤でもない支部長がすっとんでくるのも納得です」

「彼女、標的の居場所がはっきりしていて、ただ殺せば良い仕事はいくらでも受けてくれるから。朝までにそういう案件をまとめておいてくれる?」

「了解でーす」




「――キリエ?」

 小首を傾げた黒姫奈にどうかしたのかと視線で問われ、キリエはなんでもない、とかぶりを振って返す。


 二時間おきに開場となる筆記試験までの時間潰しも兼ねて、一夜漬けならぬ一時間漬けを目論む黒姫奈が足を運んだフロアの、[学習室]と書かれたプレートが掲げられた個室でのこと。

 端末が埋め込まれた机の前。樹脂製の安っぽい椅子に腰を下ろした黒姫奈が、上体を大きく傾け覗き込んだ机の下からずるずると背もたれのない椅子スツールを引っ張り出して、キリエを座らせる。

「禁帯出の資料とか見るのに使ってたから」

 手慣れているな、とキリエが向けた視線の含みを、黒姫奈は齟齬なく汲み取った。


「キリエがこんなところに居るの、変な感じ」

 備え付けのものではなく、人型端末としての黒姫奈ドォルへ組み込まれた端末由来の仮想端末バーチャル・コンソールを立ち上げた黒姫奈の視線が、スツールに腰を下ろしたキリエの姿を横目にちらりと捉えて笑う。

「たとえばの話……黒姫奈わたしがブルーブラッドシンドローマーじゃなくて、ちゃんと記憶を持ったままキリエと再会してたら、もっと上手くやれてたと思う?」

?」

「もっと普通の、どこにでもいる『吸血鬼と〔花嫁〕』みたいに、ちゃんと」

 正面の表示領域スクリーンを向いて外れた視線の代わりに、キリエは自分から黒姫奈へすり寄った。

 そこに焦がれる魂はなくとも、触れたことを感じられるなら手を伸ばす意味はある。

「お前ほど吸血鬼に理解のある〔花嫁〕は、そういない。お前がどこにでもいる普通の〔花嫁〕だったら、私はとっくに駄目になってたよ」

「怖いこと言わないでよ」

「本当のことだから。お前はもっと自分を誇っていい」

 どんな理由があったとしても、キリエが欲望のままに黒姫奈を組み敷いた事実は変わらない。それを理由に黒姫奈から疎まれた日々は当然の報いで。

 それとて、なんの約束もないまま待ち続けた三千年より余程満ち足りていたのだから。黒姫奈がキリエに対して何かを後ろめたく思う必要は、どこにもなかった。

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