RE036

 白の帰還祝いということで、祝い酒が振る舞われた夕食後。

 アリバイ工作というわけではないが、伊月は普段通りに鏡夜と揃って入浴を済ませ、さっさと離れへ引き上げた。


「もう寝るの?」

 何もかもが普段通りであれば、眠気がくるまでの暇潰しに読書なりはじめるところ。押入れから引っ張り出した布団に伊月が寝転がると、活字中毒の気がある鏡夜に胡乱な目を向けられる。

 まさか君、本の一冊も読まないで今日を終えるつもりなの? ――とでも言いたげな視線に、伊月は白々しいばかりの愛想笑いを返した。

「もう寝るの。電気はそのままでいいけど、あんまり夜更かししないのよ」

「はいはい」


「キリエ、ゴーグル出して」

 胸元まで引き上げた薄手の羽毛布団。その下でばたつかせた伊月の手に、姿の見えないキリエがどこからともなく差し出した補助端末アクセサリを握らせる。

 理屈がわからなければ、ちょっとした心霊現象もかくや。けれど、種も仕掛けも心得ている伊月は何食わぬ顔で渡された補助端末ゴーグルをかけ、位置固定用の限定術式プラグインを起動した。

「おやすみ、鏡夜。また明日」

「おやすみ」

 マテリアルボディの五感を完全に遮断する、全感覚没入フルダイブ

 〔クレイドル〕を利用しない場合、推奨されないモードを警告無視でしったことかと、伊月は「八坂伊月」の体を放り出す。




 微かな断続感を経て。次に目を開ける頃、伊月の意識は違和感らしい違和感もなく、黒姫奈ドォル筐体ボディへと押し込められていた。


 護家八坂の隠れ里から直線距離で五十と数キロ。西都圏唯一の出島、「沖の浜」のランドマーク。沖の浜セントラルタワー内のレジデンス。

 前世かつての本宅で無防備に横たわる筐体からだにはいつの間にか、ほんの数時間前、伊月がキリエに強請って作らせた黒姫奈専用のバリアジャケットが着せかけられている。

 魔術師のローブバリアジャケットと、そう呼んでおかしくない状態まで仕上げたあと、ひとまず荷物持ちキリエに預けていたものだ。

「キリエ――?」

 一足先に此方へ来ているのだろうかと。黒姫奈伊月が発した呼びかけに、なんの気配もなかったはずの背後から伸ばされた腕がするりと応える。

「もう、出てきていいの?」

 拗ねたような声音は、伊月が記憶しているキリエのそれより幾分高い。

 とはいえ、その口振りはどう考えてもキリエのもので。そうでなくとも、たとえ自動人形ドォルであったとして、嫉妬深い吸血鬼が〔花嫁〕の意識が入っている器を他の誰かに触らせるはずもない。

 黒姫奈伊月はほとんど直感的に、背後からしがみついてきた相手がキリエであると判断していた。

「脱衣所から追い出されたくらいで拗ねないでよ」

「拗ねてない……」

 すっかり抱え込まれた頭に、おそらくはベッドの上で膝立ちになったキリエの顎が乗せられる。

 その抱きつき方と背中に感じる体つきから、伊月は今、ここにるキリエの体格を少年のそれと推定した。

 つまり、伊月が見慣れたキリエよりも幾分小さい。

「なんで縮んでるの?」

「……生まれたてだから?」

「眷属とは違うんでしょ?」

「違うけど、似たようなものだよ。魔力炉たましいが小さければ、最適化された器アストラルボディも小さくなる」

「それもそうか」

 黒姫奈伊月が振り返ろうとする動きに逆らわず、キリエの腕はすんなり解けた。

 振り返ってみた先にはやはり、伊月が想像したとおりの年若いキリエがいて。

「キリエが若い頃って、そんな感じだったの?」

「特に意識して変えてはいないから、多分……?」

 なるほどこれはこれでだな、と……今度は自分から手を伸ばし、黒姫奈伊月はキリエへ抱きついた。

「向こうのキリエもこれくらいなら嵩張らなくていいのに」

「お前を抱き上げるのに不便だよ」

「ハグするにはちょうどいいんじゃない?」

 そのまま強引にベッドから持ち上げたキリエの体は、重量的なものはともかく、質量的には黒姫奈でもそれができてしまうほどのものでしかない。

 その場に立たせたキリエと黒姫奈ドォルの身長差は頭一つ分もなかったが、黒姫奈の方がやや高い。


「そのサイズなら外で腕組んであげても良いわよ」

 にんまりと笑う黒姫奈伊月を前に、キリエはちっぽけなプライドを投げ捨てた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます