RE035 沖の浜

 瑞々しい枝葉を広げたインスミールの袂から、無機質でいて閉じられた箱の中。

 ティル・ナ・ノーグの固有領域から直接、本島のターミナルをスキップして皇国内の経済特区、通称『出島』へ。


[沖の浜セントラルタワー レジデンス

 A.A.7525/8/25 17:24]


 素人目にはエレベーターの籠とそう変わらない、物理的に密閉され、魔術的にも閉じた箱の中。

 インスタントではなく、床に刻み込まれた魔導円サークルが魔力の輝きを失うと。天井近くの物理モニターに、この手のポータルではお馴染みの案内が表示される。

 黒姫奈伊月はその内容に予定との齟齬がないことを確かめてから、閉鎖式ポータルのロックを解放した。


 物理モニター直下。黒姫奈伊月にとっては正面の壁がなめらかにスライドして開くと、その先はエレベーターホールならぬ、ポータルホールで。

「お帰りなさいませ、黒姫奈さま」

 勝手知ったるなんとやら。ミュールのヒールをかつかつ慣らしながらホールを抜け、レジデンスのロビーへと差し掛かった黒姫奈伊月へ、フロントカウンターの向こうから声を掛けてきた男女一組のコンシェルジュは、どちらともが〔扶桑〕の端末オートマタだった。

「ただいま」

 デミドラシルが直接操るモデルとは異なる、業種毎に最適化された知識と教養をインストールされた疑似人格が素体となる人工生体を動かしている個体だとしても。自動人形オートマタである以上、その根子の部分で〔扶桑〕と繋がっていることに変わりはなく。徒人としての黒姫奈が死に、その後自動人形ドォル化されたうえ転換炉しんぞうは今やキリエの魔力炉と……などと、まっとうなを持つものには到底理解されがたく、どう考えても難航するだろう事情説明おはなしの必要もなく、何重にも敷かれたセキュリティをいつもの調子で顔パスしてしまえるのは、伊月にとって幸いだった。

 〔扶桑〕の権能ちからが及ぶ範囲、いわゆるでの手続きストレスフリーであればあるほど、この先、皇国でのあれそれが憂鬱になりもするのだが。


「ただいまー」

 玄関扉をくぐってもう一度、今度は誰もいないとわかりきっている家の中へと投げ込んだ、帰宅を告げる声。

 それに応えるものがないのは当然で。あるとも思っていなかった黒姫奈伊月は――かこんっ――脱ぎ落としたミュールもそのままに、裸足の足を廊下へ乗せた。


 家主がそんなつもりもなく、十年もの間留守にしていたというのに。家の中はどこもかしこも、それを感じさせないほど掃除が行き届いている。

(ほんと、デミドラシル様様っていうか……)

 家捜しでもするよう家中を見て回った黒姫奈伊月は、最後に覗いた寝室で背中からベッドへ飛び込んだ。




 〔傀儡廻しマリオネッター〕用の自動人形ドォルでありながら、疑似人格がインストールされていないことを考慮して。きっちりしっかり目を伏せてから、伊月は一旦、黒姫奈ドォルの制御を手放した。

 専用術式プラグインは終了させることなく、待機状態へ。

 位置固定を解除した補助端末ゴーグルを外すと、それなりの開放感がある。


 キリエを座椅子代わりに座っていた伊月のはいつの間にやらずるずると体勢を崩し、気がつけば、緩く胡座をかいたキリエの膝へと体半分乗り上げながら、見慣れた子供部屋の畳に寝そべっていた。

 双子の世話役兼、お目付役の天谷に見られてしまえば小言をもらうこと間違いなしの、だらけきった姿勢。

 その天谷が、おそらくは未だ襲の手にあることをこれ幸いと。子供らしく、行儀などそっちのけで揺らした足は、手の平で水面を叩いたようべちべちと、畳にあるまじき感触を伊月へ返す。

「…………」

 そろりと振り返ってみた先に、畳を覆うのっぺりとした「影」を認めて。伊月が一際強かに振り下ろした足は、そのままずぼっ、と影に沈んだ。

(あっ)

 ひんやりと冷たい泥に足をとられたような感覚。

 咄嗟に引き抜こうとした足を、影の中で足首と膝に絡んだ何本かの「手」が引き止める。

 同じ事をキリエ以外の誰がやっても、伊月にとってはぞっとしない状況だが。それがキリエの仕業だと分かっていれば、どうということもなかった。

「……楽しい?」

「わりと」

 その言葉どおりに緩んだ顔を無理矢理に伸ばした手で抓り、伊月がそのまま寝返りを打つと。影に捕らわれていた片足は、おかしな捻り方をしないうち、ひんやりと纏わり付く諸々から解放される。

「黒姫奈に着せるバリアジャケット編んで」

 仰向けになった伊月が、キリエを見上げてにっこり強請れば。〔花嫁〕へと注がれるためだけにあるようなキリエの視線が、煮詰めた蜂蜜のようどろりと甘さを増す。

「いいよ」

 伊月は端から、それ以外の回答こたえを受け付けるつもりがない。

 それはそれとして。すんなり呑まれた要求に機嫌良く伸ばした手を、キリエは――ついさっき、その頬を抓った指先と同様に――避けようともせず、受け入れた。

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