RE023 〔杯の魔女〕

「なんだ――」

 不自然なまで凪いでいる池の水面を突き破って姿を見せた、一匹の

 背中に二枚一対の翼を生やしている以外、徒人とそう変わらない見かけをしている天使の姿を、類い稀な異能を宿すその「眼」に捉えて。ややもせず、どこか拍子抜けしたよう――それでいて、隠しきれない喜色の滲む声で――ぽつりと零した幼子が笑う。

「普通にいのちがあるんじゃない」

 その眼に天使のいのちが視えているということは、伊月の異能が天使にも通用すると証明されたようなもの。


 視えるものには、触れられる。


「キリエ」

 と強請られてしまえば、そこに逡巡の余地は生まれない。

 伊月自身が「安全地帯」と豪語する片腕に、幼子の華奢な体躯を抱いたまま。幾許の遅滞もなく動き出したキリエの体は、水に濡れそぼった翼を広げ、ぼんやりと低空に留まる天使の元へと駆け上がり、余剰魔力の内から掴み取った槍を挨拶代わりに突き立てた。

「――穿て、〔ロンギヌス〕」

 てんで練り上がっていない余剰魔力を突き破り、天使が纏うへと食い込んだ〔ロンギヌス〕はキリエからの潤沢な魔力供給を受けて、再度爆発的にその質量を増大させる。

「あっ……」

 それはあたかも、生命力に溢れた植物が太陽を求め、貪欲に枝葉を広げるように。〔ロンギヌス〕は一切の容赦なく、自らの穂先が突き立てられた「土壌」を蹂躙した。

「ああああああぁっ!?」

 容易くは抜け落ちてしまわないよう、まずとなる太い「枝」を。そこからは注ぎ込まれる魔力の限り、不規則に。

 幾重にも、絶えず枝分かれしていく〔ロンギヌス〕の、使い捨てを前提とした末枝は、伸びた端から天使がその身に宿す神性魔力に焼かれていく。

 焼け落ちては成長して、また焼け落ちては成長してと、生産性の欠片もないいたちごっこを使で延々繰り返す。ひとたび捕らわれた天使がその苦痛から逃れる術は、理由はどうあれ、その死をおいて他にない。

 けれど――


「墜ちろ」

 今日ばかりは己の信条へ目を瞑り、キリエは最早自力では宙に浮いていることも出来なくなりつつある天使を、その体へ突き立てた〔ロンギヌス〕ごと池の向こう側へと蹴り落とした。




 天使が纏う神性魔力と、〔花嫁〕を守ろうといつになく厚く保たれている余剰魔力、おまけに天使との間へ文字通りの盾として割り込んでいる装甲とで、キリエが何をしているのか、いまいち把握できていなかった伊月も、さすがに〔ロンギヌス〕と同質の刃に内側から体を喰い破られ、「針鼠」としか言い表しようのない在り様の天使が地面へ転がされているのを見せられてしまえば、何がどうなってそういうことになっているのか、薄々予想がつきもする。

「(〔ロンギヌス〕って、そういう使い方する幻想器なの……? こわ……)」

 魔力の枯渇が生命としての死を意味する人外にとっては最も厄介でいて危険な、体内魔力への干渉。それを神性魔力を持つ者と、この世界において一般的な魔力を持つ者のとの間で、最大限の悪意をもって行えば、どういうことになるか。その答えが今まさに、伊月の前に転がっていた。

「(天使の何がそんなに嫌いなの?)」

 こうもまざまざと見せつけられては、伊月とて「ヴラディスラウス・ドラクレアの神王嫌い」を事実だと認めざるをえない。

 一応、ティル・ナ・ノーグの総督として、あくまで「仕事」の一環で天使狩りをしている可能性も考えていたのだが――

「(お前を殺された)」

 そりゃあ、大陸中を駆けずり回って「神王の眷属てんし」はおろか神王を唯一神と崇める教会関係者までもを片っ端から串刺しにし尽くしてみせるわけだと。伊月はあっさり納得した。

 けれども、伊月にそんな記憶は無い。

「(それって何人目の『私』?)」

 突発性自己喪失型秩序崩壊症候群ブルーブラッドシンドロームという、世にも珍しい「記憶と引き換えに異能を得る奇病」の発症者である伊月は、一つ前の生である黒姫奈としての記憶さえ、異能に目覚めてから死ぬまでのたった三年分しか持ち得なかった。

「(私が育てた最初のお前マキナ)」

 弱々しく藻掻くばかりとなった天使の傍ら。足場代わりに浮かせた装甲の上へと伊月を下ろしながらも、キリエの腕が離れる気配はない。

 伊月がうっかり天使を殺されないうちにと、針鼠グロテスクなオブジェに向き直ると。背中を向けたキリエが、ぴったり体を寄せてきた。

「(自分を殺す天使を『助けて』なんて言い遺す、酷い女だよ)」

「(今もそんなに変わらないでしょ)」

 なるほど自分とキリエははじまりからしてだったのかと。伊月は思わず、といった具合に場違いな笑みを零す。

 そのことに気付いたキリエの、伊月の体へと回された腕の締め付けは非難するようぎりぎりと増したが、目前の作業に差し障るほどではなかった。

「(……そうだね)」


 自らの異能に導かれるよう、手を伸ばした先。触れた体が苦痛に呻き、生気を失いかけた虚ろなまなこが伊月を捉える。

 それさえ不快だとばかり、なめらかに位置を変え視界へと割り込んできた幻想甲冑リュストレーネの装甲を前に、伊月は緩く首を傾けた。

 それだけで、伊月の背中にぴったりと張り付いたキリエの頭へこつりと触れることができる。

「(見えない)」

 甘やかな仕草とは裏腹な感情を孕む魔力に、キリエの体がびくりと震え、伊月の視界を塞いでいた装甲もすごすごと元の位置へ戻っていく。

 伊月は「よいしょ」と、足を乗せた装甲の上、キリエの腕の中から身を乗り出した。


「なにを、している……?」

 生きとし生けるものの魂は「炎」。魔力いのちは煌々と輝き、眩いばかりに身体うつわを満たす。

 今にも息絶えてしまいそうな天使の体へと、伊月はさした抵抗も感じることなく両手を沈めた。

「おまえは……」

 その眼は魂の在処を詳らかにし、その手はあらゆるいのちとその身体うつわを、マテリアルボディとアストラルボディの区別もなく意のままに操ってのける。

「わたしを――?」

 ついた綽名が、〔杯の魔女〕。

 魔術として再現不能な魔法きせきの使い手。伊月はその異能をもって人造王樹デミドラシルに認められる、正真正銘の魔女だった。

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