RE016

「そういえば……」

 襲へ幾つか確認を取ってから対応を考えるつもりでいた報告書の存在を、ふと思い出して。

 纏わり付いてくるキリエの腕を脇へと除け、胸元のデバイスを服越しに叩いた伊月は、目立った遅延ラグもなくすんなり立ち上がった仮想端末バーチャル・コンソールの入力面へとその指先を滑らせた。


 〔扶桑〕が通常業務の片手間に纏め上げた「黒姫奈向けの諸報告」のうち、「重要」と「取扱注意」のタグがセットで付けられた唯一のそれ。


 伊月が入力面からの操作で情報の閲覧レベルを一時的に開放すると、デバイス所有者の余剰魔力を流用して形作られた半実体の表示領域スクリーンへと映し出されている報告書の内容が、デバイス本体のプライバシー設定を無視する形で襲へと開示される。

 そこには、伊月と鏡夜――八坂の次世代を担う双子――が普段は立ち入ることを許されていない里の奥まった場所を写した幾枚かの写真が、報告書に添えられた資料の一部として映し出されていた。

「どうして、ナカオの池に天使なんて飼ってるの?」


 その不用意な発言を切欠に、伊月の間近で不穏な気配を孕んだ魔力が膨れ上がる。



(――てん、し?)

 伊月が示した招かれざる者の存在は、目先の幸福へどっぷりと浸るキリエの目を覚まさせるのに、充分すぎる――いっそ、過剰なまでの――インパクトを備えていた。


「天使が、いるの?」

 心地の良い微睡みはその余韻さえ跡形もなく消し飛び、半ば休眠状態にあった魔力の根源たましいが励起する。

 色めき立つよう膨れ上がった、災厄級カラミティの魔力。

 その煽りをもろに食らいながらも平然としていられたのは、魔力に関してキリエとの間に自他の区別を持たない伊月くらいのものだった。


「私、襲と話してたんだけど」

 子供が拗ねたような口振りとは関係なく。伊月の言葉一つで、沸々と湧き上がる怒りと怖れで焼き切れそうになっていた意識へ、情け容赦の無い冷や水を浴びせかけられたような心地になって。つい先程までとはまた別の意味で周りのことなど見えなくなっていた思考が、幾らかの平静を取り戻す。

「天使がいるなら、殺さないと……」

 それでも。その存在を知ってしまったからには、看過しがたい危険を一刻も早く排除しなければと、気が急くことに変わりは無かった


 だというに。


 キリエが発した精一杯の反駁を、伊月は鼻で笑って取り合わない。

「キリエ」

 伸ばされた幼子の手が、知らず立ち上がりかけていたキリエの頬を挟んで引き寄せる。

 場違いに穏やかな笑みを刻む唇が、どれほど酷いことばを吐きかけてくるのかと。ぞくりと走った悪寒に、キリエは弱々しく体を震わせた。

「二度は言わないわよ」

 正面から交わる視線。瞬きもせずキリエを見つめる黒々とした瞳には、徒人の感情の機微などわからなくなって久しいキリエでさえはっきり理解できるほど、感情らしい感情が込められていない。


 それが、キリエは酷く恐ろしかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます