RE007 〔ソロモン〕番外個体『黒姫奈』

 どうしようもなく、ろくでもない話。


 伊月が持つ黒姫奈としての記憶は、薄闇の中、誰とも知れない人外ひとでなしに逃れようもなく組み敷かれ、わけもわからぬまま体を開かれるという、屈辱的な場面からはじまっている。

 当時の黒姫奈にとっては、未だ何者でもなかったキリエ。「世にも美しい強姦魔ろくでなし」の第一印象は、言うまでもなく最低最悪。


 それでも結局、黒姫奈はキリエを憎めなかった。


 それは〔血の花嫁〕という存在への変質が理由だったのかもしれないし、もっと単純に、ヴラディスラウス・ドラクレアキリエ・エレイソンが持つ極上の魔力と絶大な権力に惹かれたせいかもしれない。

 黒姫奈がキリエを心の底から嫌うことができなかった理由は定かでないが、始まり方を間違えたキリエを許し、その愛情が確かなものであることを認めるに至った理由ははっきりとしている。


 八坂伊月として生まれ変わって、ようやく黒姫奈はキリエを許せた。




 ――だというに。


「少しは懲りたりしないわけ?」

 性懲りも無くやらかしたキリエへ、長年の鬱憤を晴らすよう、伊月はここぞとばかり容赦の無い制裁を加えた。


 相手キリエが掛け値なしのグレード1、災厄級カラミティに列せられた人外ひとでなしだろうと、伊月が黒姫奈ぜんせから引き継いだ異能をもってすれば、少しばかり痛い目を見せてやるのに苦労はしない。

 黒姫奈が〔杯の魔女〕と綽名された由縁。魔力の源泉たる魂、そのうつわへの干渉を可能とする異能でもってキリエの精神体アストラルボディ――魔力によって形作られた身体――を気が済むまで弄り倒した伊月は、抵抗らしい抵抗の素振りも見せず、されるがままに大人しくしていたキリエ――その成れの果て――をぞんざいに放り出すと、溜め息混じりに寝かされていたベッドを下りた。

「扶桑――」

 その足で寝室を出る頃には、扶桑樹によって送り込まれた扶桑式オートマタの一体が、中庭で大きく枝葉を広げた疑似王樹インスミールの根方へ姿を現している。

「お呼びでしょうか」

 丁寧に頭を下げた扶桑の脇を立ち止まりもせず通り抜け、伊月は中庭の向こうに見えているガレージへと向かう。

「あのろくでなしを今の実家いえに連れて帰るから、ラドゥによろしく言っておいて」

「お伝えしておきます」

「あと、実家いえの方の時間稼ぎと根回しも。キレてたら放置でいいけど、襲が聞く耳を持つようならすぐ戻るって伝えておいて」

「承りました」

「私が帰るまでに、キリエ・エレイソン名義の渡航許可と入国記録も――」

 秘書よろしく、斜め後ろを静々とついてくる扶桑へ矢継ぎ早に必要な手配を指示する最中。

 単なる開口部でしかないガレージの出入口をくぐったところで、伊月はと足を止めた。

「…………なにあれ」

 その視線の先には、ガレージの床にずらりと並ぶ〔クレイドル〕の一つがあって。黒姫奈が揃えた開放式とは見た目からして異なる閉鎖式〔クレイドル〕――巨大なガラス管めいた構造物――の中には、伊月にとって見間違えようもない女が浸け込まれていた。

「黒姫奈お嬢さまの死後、都築つづきさまより贈られた品です。〔ソロモン〕の番外個体、疑似人格プラグイン未設定の完全義体と伺っております」

「あれ、単なる模造品レプリカ? まさか黒姫奈わたしの死体そのまま使ってないわよね?」

「該当するログの照会を希望されますか?」

「…………」

 自動人形ドォルの素体として使われる人工生体は、自動人形オートマタのそれと同じ、出来損ないのホムンクルス。

 構造的には徒人の物質的身体マテリアルボディと変わらないそれでわざわざ黒姫奈を真似たにせよ、黒姫奈の死体そのものを使って自動人形ドォルを造ったにせよ、人造王樹による表面的な走査スキャンの結果に差違らしい差違が現れようもないことは、伊月にも容易に想像がついた。

 そして。自動人形それを送りつけてきた人形師ドォルマイスターがどういう輩かをよくよく考えてもみれば、わざわざ記録ログを漁ってみるまでもなく、答えは自ずと見えてくる。


「私が死んでいる間に、まさかあれの血を吸ったりしてないでしょうね」

 寝室から伊月を追いかけて、ようようガレージまで辿り着いたキリエは、甘えつくようしがみついた頭の上で弱々しくかぶりを振った。

「しないよ……」

 そもそもだろうとキリエが言えば、伊月もあっさり納得してみせる。

「ならいいけど」

 まさかと思い、訊いてはみたが。伊月とて、キリエがそれほど意地汚い真似をするとは考えたくもなかった。

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