第219話 治癒と接触

 詠唱が止まらない。

 最北のレグレレクィエス(王の休養)は野戦病院と化していた。

 難を逃れたいくつかのテントの中に並ぶ尋常でないベッドの数が、異常な光景を見せる。

 応急処置を施した者を次々に運び込んでいく。怪我人を抱える者もまた怪我人だった。

 比較的軽傷だった者が、肩を貸し、そっと抱えベッドへと運んでいた。

 キルロもエーシャもマーラもそして【イリスアーラレギオ(虹の翼)】の治療師ヒーラー、ラランとリコスもこの惨状に歯止めを掛ける為に駆け回っている。


「【癒白光レフェクト・レーラ】」

「【癒光レフェクト】」

「【癒光レフェクト】」

「【癒復回光レフェクト・サナティオ・トゥルボ】」


 テントの中はヒールの光が溢れていた。

 その間をハルヲとフェイン、その後ろをキノが駆け回る。

 点滴を準備し、薬を与え、怪我と回復の具合は見て回った。

 怪我人と瓦礫の山に復旧するまでどれだけ時間が必要になるの?

 ハルヲは辺りを見渡しながら、溜め息を漏らしていく。


 

 ベッドから静かな寝息が溢れ出すと、レグレクィエス(王の休養)にも落ち着きが戻って来た。

 無傷の人間を探す方が難しい。

 体の一部を欠損してしまい、前線への復帰が厳しい者もひとりやふたりではなく、間に合わなかった者もひとりやふたりではなかった。

 間に合わなかった者達を広場に集め、丁重に寝かせて行く。

 涙を流し、佇む者があとを絶たない。

 キルロは魔力の切れた気だるい体で、その姿をぼんやりと眺め、無力感に苛まれていた。


「王子、お疲れ様」

「シル⋯⋯」


 穏やかな表情を浮かべてはいるが、その弓なりの双眸に悲しみが伺える。

 あの一件以来、どこか寂し気な印象が抜けない。

 仕方ないとはいえ、何も出来ない自分がもどかしくもあった。


「シルもお疲れ様、大変だったな。しかし、詠唱ひとつでこの惨状とは。セルバのパーティーは、そう簡単にはいかないよな」

「そうね。ある意味【ノクスニンファレギオ(夜の妖精)】の精鋭部隊ですもの、敵に回ったら厄介でしかないわ。もうちょっとの所までは行けただけに悔しいわね」


 シルは溜め息まじりの笑みを見せる。

 せめてもの強がりをその笑みから感じた。


「こんな魔法を連発されたら、どうにもなんねえ。どうしたもんかね」

「確かに強力だけど、詠唱に時間かかるし、何より射程が短いので対峙した状態では使えないわ。それでも厄介な魔術師マジシャンが数名いるので面倒だけど、同じ手は食らわない」


 その口調から悔しさが滲み出た。

 しかし、立て直すにしても時間が少し必要だ。

 最前線のアントワーヌも気になるし、復旧に補充、課題がここに来て山積みで頭が痛い。


「シル、少し休め」

「私は平気よ。王子こそ休みなさい。今、ここを支えるのはあなたよ」


 キルロはシルの大仰にも取れる言葉に肩をすくめる。

 魔力、体力の削れた体で出来る事なんてたかが知れている。ここは魔力の回復に努めるかな。

 積んである資材に腰掛け、ぼんやりとしているとキノが隣にチョコンと腰掛け、足をブラブラと振って見せた。


「キノもお疲れ様。ハルヲの所はいいのか?」

「うん」

「そうか。疲れてないか?」

「うん。大丈夫」

「めちゃくちゃだな」

「うん。みんな泣いている」

「そうだな」

「キルロ、しっかりやれ」

「うん? ハハ、そうだな。頑張るよ」

「うん」


 今は悲しみが覆う、やがてそれは憤りになる。

 キノとの短い会話で少しばかり頭が微睡まどろむと、気の張った心が少し解けた。

 ミルバ達帰還組が必死に体を動かし、瓦礫を片づけている。

 前線から戻ったばかりなのに⋯⋯。

 止めようと思ったが、きっと体を動かす事で悲しみに抗っているのだ。

 そっとしておこう。

 ここに来て反勇者ドゥアルーカの動きが活発すぎる。

 オットの所、シルの所、メイレル、そしてここ⋯⋯。

 血が多く流れた。

 そういった意味ではウチは狙われてはいない。

 そうだ、最初はアッシモから仲間になれと誘っていた。

 邪魔にもならない小さな存在とでも思われている?

 【ヴィトーロインメディシナ】の金が目当てというのは、あるが何か釈然としない。

 ふいに眉間をグニっと指差された。

 キノが皺を寄せていたキルロの眉間を、指でグニグニと押していく。


「ちょ、ちょっと、キノ!」

「ダメよ。キルロ、ここをシワシワするの。フィリシアがダメって」

「わかった、わかったってー」


 やっと離れてくれたキノを睨む。

 全く。

 ただ、おかげで何かすっきりした。

 うだうだ考えるより、今すべき事をするだけだ。


「シャロン!」


 キルロは資材から飛び降りると、シャロンの姿を探した。

 遠目に指示を出しているシャロンの姿が目に入る。


「シャロン! ちょっといいか?」

「どうされました?」

中央セントラルにこの状況を伝えて欲しいんだが、どうかな?」


 シャロンはニコリと微笑んで見せた。

 穏やかな表情をキルロに返す、キルロはその意味が分からず困惑の表情を見せる。


「なんか変? だった?」

「あ、いえいえ。ハルが同じ事を言っていたので、すでに中央セントラルに使いを出していますよ。なんか似た者同士って感じですね」


 そう言うとまたシャロンが微笑んだ。

 キルロはバツ悪そうに頭を掻いて、照れを隠す。

 ま、オレが考え付く事なんて、みんな思いつくか。

 嘆息しながら、忙しく動き回るミルバやマッシュに見入っていった。





 わずかな灯りが、坑道に埋まる白精石アルバナオスラピスにキラキラと小さな反射を見せていた。

 人ひとりがやっとの狭い坑道を三人の男が、黙って進んでいる。

 厳しく結ぶ口元から声を発する者はおらず、黙々と重い足を引き摺っていた。

 吐く息は荒く、体力の限界はとうに超えている。

 ただ、もう考える事を止め、足を動かす事だけに集中していた。

 やがて、遠くに見える灯りが大きくなって来ると、ボロボロの三人は顔見合わせ、最後の踏ん張りを見せていく。

 灯りの中へと飛び込むと、複数のエルフが、睨みを利かせていた。


「アッシモ、アシッモじゃないか。どうした? こんな所に」


 セルバの大仰なセリフ回し、歓迎されていない事は一目瞭然だった。

 フラフラと力なく睨み返す。


「食いもんと水、あとセロにヒールを頼む⋯⋯」


 それだけ言って、目の前の椅子にへたり込んだ。

 その姿にセルバは眉をひとつ動かし、団員に顎で指示を出す。

 目の前に出された食料を胃袋に詰め込んで行くと、徐々に生気が戻って来る。

 セルバは黙ってその姿を椅子にもたれ眺めていた。

 開けた空間に書斎机に簡単な書棚、椅子とテーブルにソファが雑然と置かれている殺風景な空間。

 どこに繋がっているのか、いくつかの洞口が見受けられ。

 空間の中にはヒリつく緊張感が流れていた。


「やっと落ち着いた。助かったよ。セルバ」

「ああ」


 セルバのパーティーから剣呑な雰囲気は消えない、その姿にアッシモが嘆息する。


「おいおい、オレ達が必死こいた作った空間で寛いでいるんだ、歓迎しろとは言わんが、もう少しあるだろう。今にも刺し殺されそうな雰囲気だぞ」

「歓迎するのは難しいが、確かに君の言う事には一理ある。利用しているのはこちらだからな」

「だろう、だったら⋯⋯」

「だから、言う通りにした。いい加減君達の尻ぬぐいは勘弁して欲しいのだけどね」


 アッシモの言葉に被せるようにセルバは冷たい声色を被せた。

 その姿にアッシモは、再び嘆息する。

 クックとセロはエルフ達を睨み返し、再び一触即発の雰囲気が醸し出されて行く。

 

「飯出したくらいで、随分な口ぶりだな」

「そんな事ではない。レグレクィエス(王の休養)で待ち伏せされていた。お前がしくじったからだ」

「はぁ?! そんな訳あるか!! お前らとの接点がバレるミスは犯してないわぁっ! お前が勝手にしくじったんだ!」


 穏やかに話していたアッシモも、ヒートアップしていった。

 さらに雰囲気は険悪さを増していく。

 無表情なセルバと激高するアッシモが睨みあう。

 その間にひとりのエルフが割り込んだ。


「まぁまぁ、ここでやり合っても互いにメリットはありませんよ。元々、互いに利点があるから手を組んでいるだけで、慣れ合う必要はないのですから、もうバレた所で何も変わりませんよ。違いますか?」


 ジャックが薄気味悪い作り笑いを浮かべながら、ふたりを交互に見やった。

 水を差されたふたりは大人しくなっていく。


「まぁ、そりゃあそうだ。慣れ合う必要はないしな」

「さて、今後の動きですが、悟られてないでしょうね」

反勇者ドゥアルーカなんて言っているうちは大丈夫。ヤツらはなんもわかっちゃいねえさ」

「確かに」


 アッシモとセルバ、ふたり瞳の奥が氷のような冷酷さを覗かせ、冷たい感情を見せていった。

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