第200話 薄いエール
お世辞にも綺麗といえない安酒場、扉は開け放たれ、夜も深くなろうかというのに喧騒が溢れていた。
四人掛けのテーブルが三つ、あとはカウンターに十脚程の小さな店のカウンターで
一日の仕事を終えた男達が疲れた体を安酒で麻痺させようと、次々に口へと運んでいた。
酔うわけにもいかねえし、呑まない分けにもいかねえし、意外と難儀なミッションだわい。
溜め息とともに塩辛いピクルスをまたつまむ。
ピクルスなのにしょっぱいってなんじゃ? なんか間違っているんじゃねえのか。
ピクルスの塩辛さにまた溜め息を漏らす。
穴堀りの仕事を求めて二日目、それらしいヤツは目に付くが、近づくチャンスがなかなか来なかった。
「兄さん、どうした? 景気の悪い顔して。仕事でイヤな事でもあったのか?」
ロクは一瞥だけして、
「仕事でイヤな事なんてありゃあせん。その仕事がねえんだからな」
その姿に
慣れ慣れしく肩に手を回し、耳元で呟く。
「なあ、金になる、話あるのだが一杯飲みながら、聞いちゃあみないか? 一杯おごるぜ」
ロクは少しばかり驚いた表情を見せた。
穴堀りか? そんだったら話は早いんだがのう。
「ほほう。穴掘りの仕事だったら喜んでやるぞ」
「いや、穴掘りではないんだ⋯⋯」
「なんじゃ。なら、興味ないわ。他当たれ」
ロクはそう言うと肩に回された手を外した。
そう、簡単にはいかんか。
また、塩辛いピクルスを口に運んで、エールで流し込んでいった。
さて、次はどの店行くかな。
安酒場が立ち並ぶオーカの南部、手っ取り早く酔っぱらった輩が笑い、大声を上げ、怒号を放っていた。
【伊達男の囁き亭】
なんつう店の名前だ。
ガトがぶら下がる小さな看板を見つめ呆れていた。
囁き所かガラの悪いおっさん達の怒号しか聞こてこねえぞ。
開け放した扉から店を覗く、ここも小ぶりな店だな。
いくつも並ぶ店と大差ない、ドワーフが多い。
うん?! あいつ!
ガトの目が見開く、体内のアルコールが一発で吹き飛んだ。
いた。
カウンターのドワーフに懲りずに話し掛けてやがる。
怪しい動きにならないようにカウンターから見えない位置に移動し、開け放した扉から中の様子をじっと伺った。
肩に回された手をドワーフが払いのけると、
断ったか、良かった。
「おい!」
いきなり背後から掛かった声に縮み上がった。
体をビクリと硬直させ後ろを振り返る。
「よお! 久しぶりじゃん、何やってんだ?」
「ダラン! びっくりさせるなよ」
「?? 声掛けただけじゃん」
垂れ目がちで人の良さそうな旧知の
ニコニコと目を細め、人懐こい笑みを向けてきた。
「ガト、ヒマだろう飲もうぜ。ここどうだ?」
目の前の店を顎で指す。
ガトは首を横に振り、ダランの背中を押した。
「おごってやるから、他の店にしようぜ」
「マジか!? ラッキー。行こう行こう」
足早に立ち去り、少し離れた安酒場に滑り込んだ。
店を変えた所でそうは変わらないが
片っ端から声を掛けていれば、こっちの事なんて覚えちゃいないだろうが、それでも探っている負い目がある。
不安要素は排除したい所だ。
「乾杯!」
ダランの上機嫌な声が弾けた、ガトも笑みを見せる。
久々といっても一週間も経ってない、いつもつるんでいるだけにそう感じた。
「おまえがおごるなんて珍しいな。あ! アルバのあれか。いい金になるとか言っていた話。あれでうまい事稼げたのか? オレにも教えろよ」
「あぁ~、あの話な、ありゃあダメだ。命がいくつあっても足りねえ。あんな割の合わない話はねえよ。おまえもアルバには下手な手は出さないほうがいいぞ」
嘆息まじりに答える真剣なガトの姿に、そんなシビアな話だとは思ってなかったのか、ダランは少しばかり驚いた表情を見せた。
「わ、わかった。肝に命じておくよ。でもさ、おごってくれるなんてどういう風の吹き回しだ? いい仕事見つかったのか?」
「あぁ、いや。仕事は見つかってねえよ。短期の仕事で臨時収入が、ちょこっと入っただけだ。おまえこそ仕事見つかったのか? 工房の仕事が流れたのに」
ガトが薄いエールを流し込む。
味しねえなこれ、水で薄めているのか? カップの中のエールをしかめっ面で睨む。
「それがよう、一昨日くらいに急に声が掛かってよ、何でも急な穴掘りの仕事が出来たとかで今日終わったんだ。金はまあ、ぼちぼち悪くなかったんで、取り合えず穴掘りしたけど。現場仕事は辛いな。あちこち痛いよ」
「そらあ、ごくろうさんだったな」
ガトはそう言うとカップを差し向け、ふたりはコツとカップを合わせた。
「じゃあ、また無職か」
「そうだな。また職探ししないと」
「はぁー、めんどくさいな。そういや、穴掘りってどこ掘ったんだ?」
「オレらは西の森から中央の議事堂に向かってえらい長い距離だけど、雑な掘り方だったんですぐ終わった。こんなんでいいのかって。金貰えたからいいんだけどな」
「へぇー、なんの穴だ?」
「知らねえ」
ダランは肩をすくめて、エールを仰ぐ。
とりとめのない話で笑い合う、いい感じに酔ってきたところでダランが何かを思い出した。
胸のポケットから小さな実をテーブルの上に転がす。
ガトの心臓がイヤな高鳴りを見せ、酔いが一変に冴えた。
なんで? おまえがこれを持っている?
「仕事が無事終わったから、ボーナスだって寄こしたんだけど、いい感じに酔えるとか怪しくねえ? こんなもん寄こすんだったら金寄こせって話だ」
ニヤニヤしながらダランが転がした実。
ガトは視線を外せない、心の中で警鐘が鳴り続ける。
その様子を怪訝な表情でダランは覗き込んだ。
その視線にガトが我に返る、どうする、どうすればいい。
「どうした?」
「あ、あ、いや。本当にこんなので酔えるのか? ってな」
「アハハハッハー、だよな。オレもそう思う。帰ったら試してみるよ」
「ダメだ!」
思わず声を荒げたガトに小首を傾げる。
憐れむように心配そうな目をして、ダランが見つめた。
しまった、思わず声に出ちまった、苦い笑みをダランに向けごまかす。
「どうした?」
「すまん、すまん。なあ、ダラン。その実売ってくんないか? ちょ、ちょっと興味がでちまってよ」
「ハッハァ~ン、そういう事か⋯⋯⋯。んで、いくらで買う?」
ガトがポケットを震える手でまさぐる、ジャラジャラとテーブルの上に並べた。
「これで五千ある。どうだ?」
「え!? まじか。乗った、交渉成立。ほらよ」
ダランがテーブル上の実を軽く弾いた。
コロコロと転がりガトの目の前で止まる、その実を手の取るとすぐにポケットへねじ込んだ。
あの狼の言っていた通りだ、こんな身近で起こるなんて。
これはヤバイ事が起きている気がする、バカなオレでも分かる。
あの人の話は本当だったんだ。
疑っていた分けではない。
だがたった今、それは確証に変わった。
薬剤の混じり合う臭い、カーテンまで閉め切った部屋にこもる臭いが扉を開くと襲ってきた。
盛大に顔をしかめるキルロが、今や実験室と化したヤクロウの執務室を覗き込む。
部屋の中にヤクロウの姿が見当たらない。
便所にでも行っているのか? しかし臭くてたまらん。
換気でもするか。
窓側へと進む、床下にも書きなぐったメモやらが散乱している。
一枚取って眺めてみたが、さっぱり分からない。
嘆息しながら奥へと進む、足元になんだか柔らかい感触を感じた。
ムニムニと足先で触れていく。
なんだこれ?
唐突に床にバラ撒かれたメモが宙を舞い、何かが起き上がった。
「ぎゃああー」
突然の動きにキルロが叫びを上げた。目を剥く先には上半身を起こしたヤクロウの姿。
「びっくりさせるな!」
「ああ? 足蹴にしといて何言ってやがる」
寝起きなのか、ぼんやりとした目つきでキルロを睨む。
大きく伸びをして立ち上がった。
「寝ていたか⋯⋯⋯、今、
「もう昼すぎだ。少し、換気しようぜ。空気が淀んでいるぞ」
「ダメだ。光に反応する成分があったら変質しちまう」
「しかも⋯⋯、ヤクロウ臭うぞ。つか、くせえー、湯浴みしているのか?」
起き切らない顔でぼんやりとキルロを見つめ、頭をバリバリと掻いた。
「とりあえず、湯浴みしてこい。一回休憩しろ!」
ヤクロウは舌打ちしながら、部屋を出て行った。
しかし、この長時間でどれだけ集中しているんだ。
書いてある膨大な資料とメモや殴り書き、壁に貼られている謎の単語や記号。
あいつらが何年も掛かってたどりついた研究に、たったひとりで挑んでいる。
感服するが、あのだらしなさは許容出来ない、全く。
没頭すると身の回りがどうでも良くなるんだな、こっちでしっかり管理してやらないと。
患者のいない待合いで、湯浴みに向かったヤクロウをぼんやりと待った。
「ああー、さっぱりした。それで小僧どうした?」
「様子を見に来ただけだ。ぶっ倒れているとは思わなかった」
「気が付いたら寝ていただけだ」
「そういうのをぶっ倒れていたって言うんだ! 実際はどうだ? そんなに日が経っていないけど進捗具合は?」
ヤクロウは顎に手をやりながら、背もたれへ体を預けた。
その表情には自信に満ちている。
「解析についてはおおよその目処はついた。仮説が実証できれば種明かしは完了だ。そうすれば、抗製剤を作れるかっていう肝の段階に入れる。今の所は順調だな」
「すげえな。良くわかんねえけど、早くないか?」
「どうだろう、そういうのは良く分からん。ただこの感じは久しぶりだ、久しく忘れていた感じが呼び戻った。なぁ、もう小僧、おまえか誰かが大統領やれよ。オレは
大きく体を伸ばしながら言うとヤクロウは天井を仰いだ。
分からなくはない、自分も鎚だけ振るっていたい。
キルロも同じように天井を仰いだ。
「分かるけど、無理だな。しばらくは諦めろ。その内あとを継ぐ人間が現れるさ」
「チッ!」
ヤクロウはキルロに向かって舌打ちするとまた天井を仰いだ。
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