第164話 仇討

 やはり、ダメか。

 まるで他人の脚みたいだ。


 カズナは前方を睨んだまま、表情は変える事なく心の中でもどかしさを嘆く。

 力を込め直した所で全く言う事を聞いてくれず、カズナはズルズルと脚を引きずるだけ。

 スピードも勢いも全くない。前方から何度となく鞭が唸り襲い掛かった。

 それでもケルトへと近づく。一歩また一歩。

 顔の肉を幾度となく抉られ視界が赤くはじける。

 もう一歩、もう一歩、しかし鞭を避ける気力は弾ける赤い鮮血とともにこぼれ落ちていく。

 鞭が唸りを上げる度に刺した痛みが襲い、その痛みが全身を包み込む。

 

 もう一歩。

 

 折れそうになる膝を必死に耐えた。

 倒れないカズナにケルトが目を剥き、焦りの色を漂わせる。

 叩いても、叩いても、カズナの歩みが止まらない。

 背中から重い足音がする。岩熊ラウスベアか?

 もう少しだというのに、折れそうな膝と気力。

 目的のものは目の前だ、笑え。

 カズナは血まみれの口元に弱い笑みをこぼした。





 マッシュの長ナイフとアッシモの手斧が何度となく切り結ぶ。

 甲高い金属音を何度も鳴らし、うす暗い洞窟に火花を散らす。

 一度距離を置き仕切り直すと、睨み合うアッシモが慣れた手つきでクルクルと手斧を弄ぶ姿が目に映った。

 流石に厄介だな。

 マッシュに少しばかり焦りが生まれる。

 名の知れたソシエタスの団長の事はある。手練れ感が半端ない。

 視線が交じる。

 互いに鋭い視線を向けあった。

 マッシュが先に動いた。全身をバネにして真っ直ぐに疾走して行く、アッシモは手斧をクロスさせ、そのスピードを迎え撃つ。

 直前でマッシュが体を沈め、アッシモの懐から抉るように斬り上げる予想外の動きを見せた。

 トリッキーな動きにも、アッシモは動じない。

 沈み込んだマッシュの体に合わせ、躊躇なく蹴り飛ばす。


「ごはっ!」


 マッシュの顎を捕らえ、脳みそが激しく揺れた。

 一瞬、意識が飛ぶが、すぐに後ろへと転がり態勢を立て直す。

 口の中が鉄の味で満たされ、ペっと血だまりを吐き出した。

 体中からオーラでも出ているのか、アッシモから殺気が立ちこめる。

 飛び込む隙が見当たらない。

 先ほどのイメージが新鮮な残像として刻まれ、体が飛び込む事を拒絶する。


 唐突だった。

 アッシモが手にする手斧を投げる。

 唸りを上げ回転をしながら飛び込んでくるそれを必死に躱す。

 マッシュの態勢が崩れるほんの一瞬、アッシモはそれを見逃さない。

 残る斧をマッシュへと振り下ろす、脳天目掛けて銀色の硬い刃が迫る。

 クソ!

 必死で頭を振り斧から逃れる。


 ザクリ。


 致命傷は逃れたが頭を掠めて行った斧が左の肩へと深々と食い込んだ。


「がぁはっ!」


 肩を押さえ後ろへと下がる。

 切断しなかっただけマシか。

 血がダラダラと地面を濡らす。

 しくじったな。

 アッシモがこの好機を逃しはしない、落ちた斧を拾いマッシュへとにじり寄って行く。

 アッシモの顔に油断はない。

 冷静沈着、そんな言葉がしっくり来そうな慢心のない眼差しで、マッシュへと近づいて行った。





 ハルヲの目に違和感が宿る。

 あの岩熊ラウスベアたちは何? テイム? 

 カズナを追いかける姿が目に入る。

 岩熊ラウスベアの先に、フラフラとやられ放題のカズナの姿が見えた。


「カズナーーー!!」


 ハルヲの叫びはカズナに届かない。

 マズイ。

 急いで剛弓を構え岩熊ラウスベアへ向けて矢を次々に放つ。

 腕や体に深々と突き刺さる矢に怒りの矛先をハルヲへと向けた。

 血走った目、岩熊ラウスベアと思えぬ程の速さ。

 近づけば近づく程その違和感が増していく。

 

「誰か! カズナのフォロー!」


 岩熊ラウスベアに向けて矢を放ちながらハルヲが叫ぶ。

 一筋の白い光。

 カズナに向けて飛んで行った。



 飛びそうな意識を怒りで繋ぎ留める。

 狭くなる視界に映るのは鞭を振るい続けるケルトの姿だけだった。

 息苦しい、とりあえず腕を振って鞭を払ってみる。

 鞭に当たることもなく目の前の空気を掻き回しただけだった。

 ズルズルと引きずる脚が重い、動いてくれない。

 クソったれ、目の前だというのに。

 真っ赤に染まる視界の片隅に映った。

 あれは⋯⋯真っ白な光?

 ケルトに向かって飛んで行くその光にカズナは見入った。

 聖なる光……?

 ぼんやりと思考する。途切れそうな視界に映るケルトののけぞる姿。

 ハハハ、キノ!

 白銀のナイフを逆手に二本握り、爆発的なスピードでケルトへ迫る。

 地を蹴り上げ疾走する姿はまるで閃光。

 そのままの勢いで体を回しながらまるで踊りでも踊るかのように舞い、ケルトを斬り刻む。

 

 カズナに気を取られていたケルトは、白光に目を剥く。

 気がついたときにはすでに手遅れ。キノを見下ろすことしか出来ない。

 キノが懐に入り込むのを簡単に許すと、なす術なく体中から血を噴きだしていく。


「ぁぁぁぁああああー!」


 一瞬の出来事に何が起こったのかケルトの頭の中が混乱を来し、恐怖に叫ぶ。

 勝ったも同然。もう終わるはずだった⋯⋯。

 キノの素早い動きにケルトは全くついて行けず、後ろへとズルズル下がることしか出来ない。

 キノが致命傷を避けるように腕に脚にナイフを突き刺していくと、ケルトの体は血を噴きだし、腰から砕けるように尻餅をついた。


「はぁあわわわわ⋯⋯」


 恐怖に震えるケルトの眼前にカズナが立った。

 手の甲から伸びる短い刃をケルトへゆっくりと向ける。


((殺すな!!!))


 誰かが叫びが飛びそうな意識に届く。

 キルロ? 


「チッ!」


 カズナはひとつ舌を打つと、ガタガタと座り込んで震えるケルトの髪を、グっと掴み自分の血塗れの顔へ寄せた。

 涙目のケルトがカズナから視線を逸らす。


「良く見ロ! おまえらが蹂躙した兎人ヒュームレピスダ!」

「ぁあぁぁぁ⋯⋯、殺すな! やったのはオレじゃない!」


 カズナは髪を握る手に力を込める。


「良く見ておケ。おまえが最後に見る光景ダ。弄んだ一族の顔をおまえの腐った脳みそに刻んでおケ」


 グチュ、グチュ。

 

 カズナの刃が両の眼球をついばんだ。


「あああああああああ!!!!」


 ケルトは両目から血の涙を流し、暗闇の世界へと飲まれる。


「目! 目!」


 カズナは両目を押さえながらのたうち回るケルトの頭を蹴り飛ばす。

 ケルトの意識が飛び、静かになった。

 その姿を一瞥し蔑む。


「キノ、助かっタ」


 キノの頭を撫でるとカズナは、そのままばたりと地面へ倒れ込んだ。

 




 岩熊ラウスベアの動きが鈍ってきた。

 何本もの矢を体からぶら下げ、ハルヲへと向かってくる。

 えらいタフね。

 頭を狙いすまし、ブォンと低い唸りとともに矢を放つ。

 テイムした人間が悪かったってことでゴメンね。

 ボスッと狙い通り眉間に突き刺さった。

 よし!

 ??

 倒れる気配がない。

 なんで? 

 

 スピードは一気に落ちたが、前へと進み続ける。

 イヤがる素振りも見せない、吼えることもない。

 やがてずるっと足を滑らせ地面へと伏せると、動きが唐突に止まった。

 血走っていた目から一気に生気を失っていく。

 

 これ知っている。

 

 沸き起こる既視感と吐きたくなるほどの嫌悪感。

 コイツら動物たちにまでやりやがった!

 怒りに打ち震える。

 こんなやり方って! あの仔のために流した涙って!

 ゴメン。

 救ってあげられなくて。

 すぐに楽にしてあげる。

 近づくもう一頭の岩熊ラウスベアへゆっくりと弓を構えた。


「はぁー」


 狙いを定めながら大きく息を吐く。

 眉間へと突き刺さった矢の勢いに岩熊ラウスベアの首が、後ろへとガクンと折れた。

 突進するスピードは目に見えて遅くなり、ハルヲの目の前で動きが止まる。


「ホント、ごめんね」


 倒れた岩熊ラウスベアの頭へ手を置き、後悔と懺悔を口にした。





「カズナ!」


 キルロが眼前の犬人シアンスロープを蹴り飛ばし、駆け出した。

 ピクリとも動かないカズナに背筋からは、冷ややかな汗が滑り落ちていく。

 体が上下しているのが見えた、呼吸はしているな。

 少しだけ安堵する。

 

「キノ!」


 キルロの呼びかけにすぐにナイフを構えた。

 周りを見渡す、敵はまだ遠い。

 岩熊ラウスベアの側に佇むハルヲと目が合った。

 ハルヲもすぐに弓を構えフォローの態勢を取る。


癒白光レフェクト・レーラ


 キルロの手から黄金の光玉がカズナに落ちていく。

 その様子に取り囲む敵が気づき始める。


「おい、あそこ」


 目配せをするとなぶり殺そうと、動きの取れないキルロたちの元へと一斉に駆け出した。

 

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