第153話 月明かりと草と光

 はぁはぁはぁはぁ⋯⋯⋯

 

 自分の呼吸が耳障りで仕方ない。

 辺りを見渡し、三人は扉へと飛び込んでいく。

 豪奢な廊下をバタバタと行き交ういくつもの足音を、息を殺し静かにやり過ごす。

 早い。

 想像より遥かに早く動かれてしまった。

 ヨークは白衣を脱ぎ棄て焦燥感に煽られる。


「どこでもいい、外に抜ける所はないのか?」

「少し時間をくれ。行けそうな所を考える」


 ブックスの顔に余裕は全くない。小さなローハスの存在が、逆に大きく目立つ。

 いくつもある空室のひとつに飛び込み息を潜めているが、このままでは見つかるのは時間の問題だ。

 逡巡するブックスの顔は優れない、良策が浮かばないのだ。

 

「いざとなったら捨て置け」

「それはなりません。ローハス様とはいえ、その願いは聞けません」

「ブックスの言う通りだ。ここに来た意味がなくなる」


 これでもし捕まれば無事ではいられない。

 ローハスのことだ、こちらの事を話したりはしないだろうが、何かを企んだとして極刑になってもおかしくはない。

 なんとしてもここから抜け出し、みんなと合流する。それしかない。

 

『まだ見つからんのか! 部屋をしらみつぶしに探せ! コソコソと隠れているだけだ! 絶対にここから出すな!』


 セロの叫びが廊下に響き渡る。

 チッ!

 面倒くさいヤツが出てきた。ブックスが心の中で舌打ちをすると眉間に皺を寄せた。

 一番近い経路は三つ先の扉、ただ出口が合流地点よりかなり遠くなる。

 それしかないのか。

 強行突破するのか? 他の手立てが思いつかない。


「三つ先の扉にある経路を使おう。集合場所から離れるが、ここを離脱するのが優先だ」

「どうやって?」

「強行突破する」

「ハハ、いいね。こいつを使おう」


 ヨークが腰のポーチから小さな玉を取り出すと投げ捨てた白衣を静かに切り裂いていった。


「何だそれ?」

「臭煙玉だ。これで口と鼻を覆っておけ。派手に行こうや」


 ヨークがニヤリと口角を上げ、ふたりに布切れを手渡すとそれを使い口と鼻を塞いでいく。

 ブックスが扉を少し開けると廊下を覗きタイミングを計る。

 肘を曲げて軽く手を上げるとヨークは火種の準備をした。

 左手に並ぶ三つ先の扉までクリアーになった瞬間ブックスが手を下す。

 ヨークが勢い良く飛び出し臭煙玉を廊下に投げた。

 いきなり白煙と悪臭が廊下を覆いつくし、怒号が飛び交い混乱を呼び込む。読み通りだ。

 その隙をついてブックスとローハスも廊下へと飛び出して行く。


「行くぞ!」


 ブックスが静かに吠えるとローハスとヨークが続く。すぐ先の扉が遠く感じる。

 混乱しているこの瞬間だけが好機。

 ブックス、ローハスがつんのめるように扉の中へと飛び込むのを確認すると、ヨークは廊下の窓に向かって燭台を投げつけた。

 ガラスの砕ける音が廊下に鳴り響き、割れた窓に煙が吸い込まれていく。

 ヨークもガラスが大きく割れているのを確認してすぐに出口に通じる扉へ飛び込んだ。


「くせえ。おい! ガラス割って逃げたぞ! 追え! 追え!」


 追手の叫び声が廊下を行きかっている。

 上手く誘導出来たな。

 ヨークはほくそ笑むと避難路の隠し扉を静かに閉める。

 部屋の扉の外で割れた窓ガラスと、閉まっている扉をセロは交互に見やり、険しい表情で逡巡していた。





 月明かりに蠢く影が地面に崩れ落ちる。

 静かな恐怖が遠のいていくのを辺りに漂う空気で敏感に感じ取っていた。

 震える小さな肩を互いに支えあい、外を覗く。

 いくつもの影が地面に転がり、猫と兎の影がキョロキョロと辺りを見渡している。

 ふたりの姿が月明かりにぼんやりと浮かび上がっていた。

 肩で息するふたつの影を見つめ、終わったと涙を流す。


「まだだよ。さあ、行くよ」

「ナヨカ⋯⋯⋯」


 震える小さき者が同胞の名を呟いた。

 外に出ると猫と兎が緊張を崩していないのが伝わって来た。

 まだ終わりじゃないのか⋯⋯。

 諦めに似た感情が頭をもたげ、心を侵食しようとしてくる。


「さあ、もう一息だよ」

 

 月明かりが照らす猫の姿が凛としてしなやかで美しかった。

 柔らかくも強い言葉に勇気を貰う。

 下を向いている自分の心を鼓舞して前を向いていく。

 

「コルカス、これで全員?」

「これで全員揃った」


 幼い顔立ちが多いので実年齢が分からないが、老若男女全ての小人族ホビットが居留地の出口へと集合した。


「これからどうなるのでしょう?」


 ひとりの小人族ホビットが不安をぶつけた。

 これから何が起こるのか全く分からないでいる。

 タントとカズナが顔を見合わせるとカズナがタントをうながした。


「ここに残るのは危険なのですぐに移動するよ。ここにはすぐに見張りが様子を見に戻ってくるからね。仲間があなた達を安全な場所に運ぶための準備をしている。そこに合流する。小人族ホビットの死体がないと分かれば追ってくる可能性はものすごく高い。だからここでグズグズしていられないのよ。いろいろ思う所はあると思うけど、まずは生き延びることを考えて」

「我々に選択肢はないのだ。行くしかないのだよ」


 ざわつく小人族ホビット達にコルカスが念を押す。

 カズナの横にいた小さな、小さな子供が、その小さな手で英雄ヒーローとなった男の手をギュッと握りしめる。

 カズナは一瞬戸惑いを見せたがすぐに握り返し、微笑みを返した。

 英雄ヒーローが見せてくれた笑顔に、不安な表情は吹き飛び小さな、小さな子が笑顔を見せる。


「行こウ」


 小さな、小さな頭にカズナはそっと手を置いた。

 月明かりだけを頼りに鬱蒼な森の中を進む。自分たちの心を写し出しているかにように真っ暗な闇の中を進む。

 不安定な足元には不安が常に寄り添う。

 灯りを使えぬ状況が歩みを遅らせる。

 タントとカズナがみんなの目となり確実に進んで行った。

 言葉を発せないほどの緊張感と、どれだけ歩くのか分からない徒労感。

 コルカスとナヨカが小人族ホビットたちに静かに声をかけ続ける。自分たちも不安に押しつぶされそうになりながら、みんなを励まし続けた。

 月明かりと草を擦る音。

 仲間たちの吐息が漏れ聞こえる静かな夜、未来に向けての行軍を続けた。





 月明かりに無数の光が蠢く。

 その光は徐々に大きくなってくる。

 いくつもの光、獣人以外も動いているのか。

 見つかるのは時間の問題だな。


「マッシュよう、どうする?」

「さてどうしたもんかね」


 ユラに苦笑いを返した。

 ここを今動くわけにはいかない、かといってあの光の数を相手にするのも得策じゃない。

 策を巡らしているうちに光の点はすぐそばまでやってきた。

 近づく光に逃げることも隠れることも出来ない。

 手に持つランプの光がふたりを照らし出す。


「どうした? こんな時間に山狩りか?」

「いたぞーー!!」


 マッシュの質問に答えようともせず仲間に向けて叫んだ。

 マッシュとユラはあっという間に囲まれてしまう。


「おいおい、何だ? えらい物騒だな」


 武装したヒューマンたちを眺めながら飄々と語る。

 ヒューマン達のこわばった表情に余裕はなく、マッシュの言葉は届いていない。

 固く握りしめた片手剣の切っ先をふたりに向け、必死の形相で相対していた。

 この手の輩は変に刺激するのは良くないな、ユラも分かっているかな。

 目で合図をすると黙って頷いた。

 マッシュは両手を上げて攻撃の意思がないことを示す。


「ここでちょっと休んでいただけだ。すぐに出発するよ、放っておいちゃくれないか?」

「無理だな」


 どこから現れたのか全身黒ずくめの猫人キャットピープルが現れた。

 まったく、次から次へ面倒くさそうなヤツが出てくる。


「そんな事言いなさんな。しがない商売人だ、おたくらが何を探しているのか知らないけどウチらは関係ない」

「いえいえ、そんなことはありませんよ。関係ない? なんてそんな! ありもあり、大ありでしょう」


 今度は犬人シアンスロープが現れた。

 何だ、この既視感。

 左の頬に縦長の傷が目立つ、やっと会えたな。

 マッシュの口元から笑みがこぼれる。

 そうかこいつが摂政、まさかそっちから来てくれるとは。


「ここで何を待っているのですか?」


 弓なりの双眸が細い目をより細く見せる、我慢しきれないのであろう喜々とした笑みが口元からこぼれていく。


「おいおい、何も待っちゃいないよ。ちょっと休んでいるだけだ」


 口元だけの笑みを見せ淡々と答えた、白を切り通すのはここまでか。

 

「そうですか。ならば忠告だけ差し上げましょう。あなたたちの待ち人はここには来ませんよ。いや、来られないと言った方が良さそうですね」


 一言、一言、楽しむかのように言葉は放つ。

慇懃無礼いんぎんぶれいな感じも変わらんな。


「何を言っているのかさっぱり分からんな。オレからもひとつ忠告しておこうか。あそこに植えようとしている金のなる木ってやつな、ありゃあ枯れて終いだ。ご苦労さん」


 一瞬、眉間に皺を寄せる。

 ここにきて初めて表情が曇らせた、マッシュはそれを見落とさない。

 

「何のことを言っているのか分かりませんね。まあ、いいでしょう、終わりはあなたたちですから」


 傷の犬人シアンスロープが黒ずくめの猫人キャットピープルに目配せをすると馬車に火を放つ。

 パチパチと木の爆ぜる音を鳴らし幌から炎があがる。

 ユラが急いで馬を放ちマッシュの隣に並び立った。

 傷の犬人シアンスロープが立ちさろうと背を向ける。


「クック!! そう焦るなよ。久々だ、もう少しお話しをしようじゃないか」


 背中を見せていた傷を持つ犬人シアンスロープが表情を作り直し、マッシュへ振り返る。

 マッシュはその姿に眼鏡をかけて、微笑みを浮かべて見せた。

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