第103話 嘆息と苦笑ときどき臆病

 父のヒルガを筆頭に首を傾げ苦い表情を浮かべている。

 なるほど、これはネスタも苦労するわけだ。キルロは家族の浮かない反応に溜め息しか出ない。

 夕飯時、給料の説明をこころみたが見事に玉砕。

 家族の築く壁は思っていた以上に高くそびえ立ち、二人の頭を悩ましていた。

 100万だろが30万だろうがこの家族には大差がない事を失念し、この難題に対しての解決の糸口が見つからない。

 金を受け取るだけなんだけどな。

 母イリアの調子もだいぶ取り戻しているのだが、先日の事件のせいでお金は怖いものとインプットしてしまい首を縦に振る気配すらない。

 安請け合いしてしまった。これはなかなかのミッションだ、どうすればいいのやら見通しが立たない。

 ヴァージを横目でチラ見すると、気づいたヴァージが首を軽く横に振った、ヴァージを持ってしても手立てなしか。

 溜め息だけが漏れていく。


「30万くらい、いいじゃねえか。受け取っちまえば」

「うーん、いらないものを貰えと言われてもねえ」


 次兄クルガの口調は柔らかだが、頑なに首を縦には振らない。クルガの言葉に家族が首を縦に振る。

 そこまで拒む理由が分からない、参った。

 キルロは額に手を置きどうすればいいのか悩む。

 頑固者の集まりか!

 心の中で叫び、嘆息する。

 ハルヲはずっと黙って、やり取りを見続けていた。

 お金を受け取る……使わないから、じゃあ使い道を示してみたらどうなのかな?

 ハルヲの中でハラっと目の前を塞いでいたものが落ちると、何か掴めそうな感覚を覚え、口を開く。


「手にしたお金の使い道が分からないというのが大きいのでしょうか? お母様はやはりこの間の一件で懲りてしまっているという所ですよね」

「そうですね、おっしゃる通りです。使う必要性も感じないので貰う必要性も感じない」


 長兄アルタがハルヲの言葉に肩をすくめながら答える。ハルヲはアルタの答えに頷いた。

 やはりお金の使い道があれば受け取るってことよね。

 お金の使い道、この家族は自分に対して使う事はない⋯⋯ならば……。


「では、受け取った給料を使って、ご家族や働いている従業員の方々にプレゼントを送ってみてはいかがですか? そうですね、ずっと勤続されている方へ誕生日、結婚なんでもいいのです。何を買っていいのか分からなければ、周りの方々に相談されてみては? ぜひご自分で選んでお渡し下さい。ものじゃなくてもいいですよ、たとえばヴァージさんに旅行のプレゼントとかされてもいいと思いますよ」


 ハルヲはニコリと家族へ話すと、家族は一斉にヴァージの方へと顔を向けた。

 ヴァージは珍しく少し戸惑う様を見せると、キルロがその姿を見てニヤニヤ笑っている。


「いえ、私どもなんか……」


 と向けられた視線にヴァージが答えようとすると、ハルヲはすぐに諌める視線をヴァージに送る。

 その視線の意味を理解したヴァージは、口ごもり、俯き加減で一同の視線から目を逸らした。

 家族もハルヲの言葉の意味合いを理解しようと、各々が思考をめぐらし始めた。

 もう一息ね、たしかな手応えを感じるとハルヲの口角がグッと上がる。

 

 パン


 ハルヲが手の平を鳴らす。

 皆の視線が一斉に注がれた。


「最初の給料から皆さんでお金を出し合ってヴァージさんに旅行をプレゼントしましょう! うーん? そうね……、イスタバールにとても素敵なお宿があるのでそこにご招待しましょう。そのお宿の事は事務長のネスタが詳しく知っているので、ご相談されるといいですよ」


 家族がゴソゴソと相談をし始めた。

 きっと自分に対しては興味が持てなかったとしても、他人の為ならばこの家族はきっと動く。

 申し訳ないが、ヴァージにはとりあえず犠牲になって貰おう。


「やはり、旅行というのは皆喜ぶものなのでしょうか?」

「ええ、それはもちろん。一人でも友人とでも家族とでも楽しい事ですよ。ねえヴァージさん!」


 ヒルガの言葉を受け、ヴァージに無言のプレッシャーをかけつつ声を掛ける。

 ヴァージは微妙な笑みを湛えてその場を取り繕った。

 ヒルガは蓄えている短めの顎髭を撫でながら逡巡している。

 もう一押し。


「そうだ! ネスタにも来て貰って具体的にイスタバールの話を進めてみましょう。忙しいとは思うけどネスタ呼んで貰ってもいいかしら?」


 ハルヲの言葉を受けヴァージは一瞬苦い笑みを向けると、一礼して部屋の外へ出て行く。


「あの宿か? あそこはいいよな、食べ物も旨いし、宿も最高だし、また行きてえなあ」


 キルロが思い出し遠い目をすると、家族達がその様子をジッと眺めている。


「そんないい所なのか?」

「そらぁ最高級の宿だもの、ヴァージの頑張りに報いようと思ったら安いもんだけどな」

「ヴァージも喜んでくれるのかな?」

「そらぁ喜ぶだろう。のんびりして普段の疲れを癒やすんだ、兄貴だって感謝しているんだろう?」

「それはそうさ、僕らが不自由なく生活出来ているのはヴァージのおかげだもの」

「んじゃ、話しは早い。その感謝の意を込めて皆でプレゼントしてやれよ」

「そうか……」


 クルガはキルロの話しを聞いて氷解の兆しをみせる。

 それはカップの中の氷がピキっと小さな、小さな、音を立てた程度かもしれないが大きな前進だ。


「それなら別に治療院から出しても一緒じゃないのかい?」

「意味合いが全然違いますよ。皆さんの働いた証として手にしたお金でプレゼントするのと治療院がお金を出すのでは全く別ものです。ヴァージに感謝を示す気があるのなら自らのお金でプレゼントをしないと意味がありませんよ」

「そういうものなのか……」

「そういうものですよ」


 アルタの言葉にハルヲは笑みを浮かべ答える。

 家族一同押し黙り逡巡する、自分達の価値観が通用しない事の戸惑い。

 考えもせずに突っぱねていた感じからはだいぶ柔らかになった。今の今までなかった価値観を受け入れるのはなかなか難しいが、受け入れて貰わねば前には進めない。

 前事務長のシバトフがいなくなり治療院も変わった。家族達の考え方も変えて行かなければ本当の意味での変化とは言えないのだ。

 変わって貰わねば。

 変化を受け入れて貰わねば。

 またいつどこで誰かがここを狙ってくるか分からない、ネスタが居て中央セントラルから派遣されている人間に囲まれていても、最終的には自分達に掛かってくる。

 前と同じでは付け入る隙が大き過ぎて、同じことの繰り返しになってしまう。

 繰り返して貰っては困るし、この思いを分かって欲しい。


「そうね、あとは理事長、副理事長命令として事務長をあまり困らせないで欲しいわ」


 ヒルガが罰悪そうに頭を掻く。


「親父が言ったんだ、理事長、副理事長にしろって。諦めろ。んで、ヴァージにプレゼントしてやれよ」

「何だかうまい事言いくるめられた気がするな」


 ヒルガは溜め息を尽きながら家族を見渡し、キルロとハルヲへ頷いて見せる。


「でも、何でそこまで頑なに断っていたんですか?」


 ハルヲの問いかけにヒルガの眼差しは真剣になり、少し口ごもる。

 少し言いづらそうに口を堅く閉じてしまったが、思い直したのか静かに口を開いた。


「前にもちょっとお話ししましたが、イリアは別ですが私と息子二人には勇気がないというお話ししたかと思います。それは裏を返すと、とても臆病という事なのです。変化するということに関してとても怖さを感じます。きっと人として欠陥品なのでしょう」


 ヒルガが一気に言い放った。

 思っていたのとは随分と違う内容だったので、今度はハルヲが戸惑ってしまう。

 そんなに自分達を卑下しないで欲しい。

 そんな事思う必要など微塵もないのに。

 そんな風に感じると、心の隙間からイヤな感情が漏れて溢れ出して来る。


「ご自分達を欠陥品なんて言わないで下さい! たくさんの人を救っているあなた方はそんな事はありません!」


 ハルヲは涙ながらに声を荒げる、半端者、欠陥品と罵られた悔しい日々がフラッシュバックし、頭の中をグルグルと駆け巡った。

 その瞬間、自分の声で我に返り、急いで涙を拭き取り繕う。

 急いで笑顔を作り、顔を上げると一同が目を見開き呆然としていた。

 

 しまった!

 

「す、すいません。ちょっと取り乱しました。なんでもありませんので……アハハハ……」


 家族の視線が痛い、失敗した。

 ハルヲは視線に耐えられず俯いて黙った。


「そうよ、みんな凄いのよ。ねえ~ハルヲ」


 キノがハルヲの頭をやさしく撫でた。

 ハルヲは罰悪そうな顔を少し上げ、キノを見つめる。

 その姿にキルロが吹き出すと皆もつられて笑った。


「ハルヲさん、すいませんでした。そしてありがとう。そんな風に言って貰えるなんて思ってもいませんでした」


 ヒルガの言葉にアルタとヒルガも頷いた。

 キルロはハルヲの肩をバンバン叩き親指を上げて見せる。

 痛いわね、あとで覚えてらっしゃい。

 とりあえずハルヲは苦い顔と乾いた笑いを家族へと向けていった。

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