「ごめんなさい」


と、突然言われても困ってしまう。だけど、困ってしまうというのは「ごめんなさい」と謝られる理由が自分に見つからないからこそ思うことであるわけだ。



私は、小さい頃から「ごめんなさい」という言葉を言わない子だとよく言われていた。何か悪いことをしても、すぐに「ごめんなさい」って謝ることをしない子だった。


その理由は、「ごめんなさい」という言葉が嫌いだったから。



大きく分けて、三つの理由がある。



一つは、偽善に思える言葉に聞こえたから。小さい頃に、大人に「ごめんなさいは?」と言われるのが大っ嫌いだった。その言葉を言って「いいよー」と言われることが“わかっているなら”その言葉をかける意味がないように感じたから。


もう一つは、大抵自分が“言いたくないときに限って”ごめんなさいをよく強要されることが多かったから。周りがその場で起こったことを状況判断せず、口数が少ない私がいつも悪い子供として扱われ「あやまりなさい!」と言われたことが多かった。結果的にその状況を見ていた大人がかばってくれることもあって私が悪くない事は証明されたのだが、その時強要してきた大人は「ごめんなさいね」というものの、その言葉には何も伝わってくるものはなかった。


そして三つ目は、「ごめんなさい」と「ごめんください」が単純に似ている言葉であったから。私の嫌いな親戚のおばさんが「ごめんください」とよく使っていた為、言葉に嫌悪感を抱くようになった。


そんな思いを幼少期から感じていたことから「ごめんなさい」が簡単に言えない子になっていた。大人になってからは「ごめんなさい」を言う機会も多くなったことで慣れが生じ、言うことに躊躇いがなくなった。


それでも、「ごめんなさい」という言葉が嫌いだ。




言う方も、言われる方も。




そして最近、娘が「ごめんなさい」と簡単に言うようになる。その言葉が嫌いな私は、「とりあえず簡単に謝るのはやめなさい」というものの、大人として子どもにどのように「ごめんなさい」の使い方を教えれば良いかと悩んでいる。


自分の価値観を押し付けたくないというのは前提として、子どもがどのように「ごめんなさい」を使うかを真剣に考えてもらい、自分なりの言葉の捉え方を考えてほしいなとも感じた。


だが、想いとは裏腹に、娘も自分と同じようなきっかけから言葉を嫌いになる可能性もあると察するわけで。


それを親として、経験させるべきかさせないべきかとか考えてみても、こうしたきっかけは娘自身のこれからの経験から生まれることで、決して私がすべて監視し介入できるわけではない。



いや、むしろ介入したら、それこそ娘が嫌悪感を抱く対象が「ごめんなさい」よりも「私」になりそうだと恐怖心を抱くわけで。



親になると、こうしたことで悩む機会が本当に多い。

大人になったなと感じる一方で、人に伝える方法というのに頭を抱える機会が多くなったとも思うわけだ。



ああ、難しい。

本当に難しい。



とりあえず自分にできる方法は、その時瞬時に思いついた言葉だけだった。





「ごめんなさいって何度もいうと、くっそBBAになるよ」




一応、自分の思いを少しだけ交えた皮肉経論。

そして、言葉の選び方に、恥ずかしいほど後悔したことは言うまでもない。




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