第59話 その頃、森では 1


 エルフの森の長老の一人であるイシュラウルは、その日も高い木の上にいた。


「私は何故、生きているのだろうな」


エルフは長命種族だ。


だけど、それは寿命が長いというだけで、病気やけがをしないということではない。


森に引きこもり、危険なことを回避しているからこそ、長生きなのである。


 それでも何故か森を出て生きようとする者がいる。


イシュラウルにとって大切な女性もそのひとりだった。


彼女はもう戻らない。


「ソーシアナ」


魔力が豊富であること、容姿が美しいことが誇りであるエルフ族。


その中でも突出した魔力と美貌を持ち、神の寵愛を受ける女性だった。


「あんな男に出会わなければ」


彼女は人族の男性に恋をした。


「何故だ」


何不自由ない森の生活を捨て、過酷な世界へと旅立った。


優秀な護衛であった彼とその妻でも、それを止めることは出来なかった。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 ソーシアナという名の少女は、護衛夫婦にとって、子供というより孫の年齢。


誰もが彼女をかわいがる。


それは、神も同じだった。


 その頃の高台は、神殿で祈る時だけに立ち寄る場所で、住む者は居なかった。


それ故に町から神殿までの護衛が必要だったのである。


「今日も新しい術を教えていただいたわ」


ソーシアナは良く神の声を聞いた。


新しい魔術が大好きな彼女は目を輝かせている。


御神託など、年に一度くらいだった神殿では、早々に彼女を巫女見習いの筆頭格にした。


 イシュラウルは眉をひそめた。


彼はもともと神殿の御神託には否定的だったのだ。


「エルフに呪術は必要ない」と主張していたのである。


エルフ族の中でもその見解は分かれていた。


ある時から少数派であった巫女たちは町を去り、高台の神殿の周辺に住むようになる。


 その頃からイシュラウルは高い場所にいることが多くなった。


あの神殿よりも高い位置に、本当の神はいるはずだ。


彼は、あの『邪神』よりも正しい森の神を求めて空を見上げる。



 高い木の上で森を眺める日々。


その中でイシュラウルはソーシアナによく似た青年に出会った。


痛めつけられても、サラリと回復し、魔力の高さが感じられる。


イシュラウルはこの青年がソーシアナの息子なのだと確信していた。


人族としては成人なのだろうが、エルフ族としてはまだ子供である。


元神殿護衛だったイシュラウルは、彼に同行することを決めた。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 二十二年前のあの日、二人はアブシースの王宮に潜り込んだ。


ソーシアナの出産が近づき、エルフである彼女には同族の助けが必要だったからである。


「申し訳ありません」


ソーシアナは細い息の下で、エルフの夫婦に謝罪した。


「何故、お謝りになられるのです」


巫女は泣きながらソーシアナに回復をかけるが、その身体はすでにそれも受け付けない。


 産まれる子供がエルフであったなら、その子供は森へ引き渡すことになった。


しかし産まれたのは人族の王子である。


「この子をお願いいたします」


ソーシアナが出産の手伝いをしていた魔術師の女性に、そう頼む。


「はい。 必ずや、この王宮から外に逃がします」


彼女はしっかりと王子を抱き締め、涙を浮かべて誓った。


それだけで、エルフの夫婦はこの王宮でソーシアナがどのような目に遭っているのかを悟った。




 巫女が森の神に祈りを捧げようとするのを、イシュラウルは止めた。


「この子はエルフではない。 森の神に加護をお願いすることは出来ぬ」


森ではエルフ以外の赤子など受け入れられない。


「そ、そんな」


巫女は慌てたが、ソーシアナは微笑む。


「分かっています。 この子は、この王国の子」


母親の顔で、頷いた。


 ただ、おろおろとする夫にソーシアナは手を差し出す。


「この子は王族の血を引き、さらにエルフの魔力を継ぐ者。


世に出せば、おそらく混乱を招きます」


その場に居合わせた者たちが息を呑んだ。


「この子を、森の神と人族から守ってくださいませ」




 ソーシアナは、呪術を与えてくれる神と呼ばれるモノが、よこしまな者であることにうすうす気づいていた。


それでも、新しい魔術に魅かれ、糾弾することが出来なかった。


それがエルフ族の将来に関わることだと分かっていたのに。


「この子は私とあなたの子。


きっと好奇心旺盛で、行動力があって、頑固者になるでしょうね」


この子も自分に似れば、おそらく自分の興味のあることを優先し、まわりなど気にせずに突き進む。


そして、女性や身内に甘い夫が、息子に手を焼く未来が見える。


「ど、どうすれば良いのだ」


「簡単なことです。 あなたはこの国の王として、しっかり統治してくださいませ」


この子だけに振り回され、国を見失わぬように。


「わ、わかった」


それが回りまわって息子を守ることになるのだろう。


そう考え、まだ若い国王は妻の手をしっかりと握って頷いた。


ふふっと笑ったソーシアナの頬に涙が一つこぼれた。




 この国に来て、精神も体力も削られ続け、出産で魔力も使い果たした。


ソーシアナは最後の祈りを捧げる。


彼女は森の神しか知らず、王宮の奥に閉じ込められていたため、この王国の神を知らない。


それが邪神に対する祈りであったとしても、仕方のないことであった。


「我の命を捧げます。 この子を悪意ある全てからお守りください」


それを聞いた巫女が叫ぶ。


「ソーシアナ、それは!」


一瞬の闇。


目覚めた時には、すでにソーシアナは亡くなっており、王子は声を出さずに泣いていた。


 唖然とする若い王に、イシュラウルは怒りをぶつける。


「この王子が理不尽に死ぬようなことがあれば、この国は亡ぶであろう」


低いエルフの言葉に反応し、どす黒い風が巻き起こった。


やがてそれは王宮を包み込み、空へと舞い上がり、アブシースのすべてに行き渡る。


イシュラウルは、エルフの誇りである容姿と引き換えに、自らが嫌う呪術を行使したのだった。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 ダークエルフのメミシャが去り、イシュラウルたちはデリークトでの戦闘を回避して、森に戻ってきた。


「我々はこれからどうすればいいのだ」


エルフの森、高台の呪術師の村に集まっていたエルフたちは互いの顔を見合わせた。


「しかし、あの人族の若者を見たか。 さすがソーシアナ様のお子だ」


エルフは長命種族である。


ソーシアナのことを覚えている者も多かった。


 その中の一人、一つの村の村長であるイシュラウルの孫は、じっと目を閉じていた。


武装を解いた者たちが彼の出方を窺っている。


彼は森のエルフの中でも発言力がある者のひとりであった。


「災難は去りました」


村の中央の広場で黒い服の弟子たちに囲まれていた巫女が、台に上がった。


「森はこれから今までと違う進化の時を迎えるのです」


まるでそれが神の言葉であるかのように、朗々と語る。




 イシュラウルの孫で、エルフにしては大きな身体の男が、目を開けて巫女を見上げた。


「巫女よ、教えてくれ。 我らにはもう呪術は必要ないと思うか」


一瞬、広場に集まっているエルフたちがザワリとした。


 巫女はニコリと微笑む。


彼女にとっても、この男は孫のひとりである。


「神は、我々に新しい魔術と試練をお与えになりました」


森の精霊が行っている改革は神の意志である。


それを受け入れるかどうかは、それぞれの村に託された。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る