第32話 その頃、王都では 2


 アブシース王国の王都は今、好景気に沸いていた。


国王の第五子であるアリセイラ姫の成人の儀が近づいているからだ。


それと同時に隣国イトーシオの王太子との婚儀が決まっており、町は祝賀の様相が強い。


「あのお姫様がねえ」


王宮の近くにある貸し馬車屋の若旦那は賑やかな通りを眺めながら呟いた。


 彼は一度だけアリセイラ姫を間近で見たことがある。


何ともかわいらしい王女様だった。


「姫さんより、第一王子は今頃どうされているのやら」


ヒヒン、と近くにいた老馬が反応する。


「おー、お前も気になるか」


真っ黒な毛並みの馬だが、かなり高齢であるため、もう走ることも出来ない。


ただこうして毎日店先で行きかう人々を見ている。


ブルルと鼻を鳴らし、いつになったら待ち人が来るのかと主人に訴える。


「俺にそんなこと言われてもさあ」


鼻面を撫でながら、この馬のお気に入りである青年のことを思う。




「あなた、お茶が入りましたよ」


「おとーちゃーん、お茶よー」


妻と娘が店の中から声をかける。


「おー、ありがとよ」


店先の椅子に座り、ズルズルとお茶を啜っていると、妻がクスリと笑った。


「またあの方のことを考えていらっしゃるんですね」


「あー、うーん」


仕方ないですねえ、と妻と娘は顔を見合わせて微笑む。


「そんなにかっこいい人だったの?」


もうすぐ七歳になる娘は、あまりその人のことは覚えていない。


「ああ。 おりゃあ王族の中であの方が一番好きだな」




 第ニ子である王太子は、父親に姿形は良く似ているが、どことなく頼りない。


第三子である王子は、頭脳明晰らしいが、腕っぷしはいまいち。


第四子である王子は、容姿だけなら人を引き付ける魅力があるが、それだけだ。


「それは町の噂でしょう。 ちゃんと立派な方たちですよ」


アブシースは大きな戦もなく、経済も地道に発展している。


「へん、そんなことは分かってら」


不貞腐れながら貸し馬車屋の若旦那は思うのだ。


「第一子であるあの方がいらしたら、きっともっとこの国は良くなるに違いねえのにな」


何せ、王宮の外に出て、町の働く者たちを身近に見ている。


声を出せない身でありながら、誰とでも分け隔てなく交流し、その微笑みは天使のようだった。




「成人する前に王宮どころか、この王都から出て行ってしまったが」


若旦那に連絡があった時には北の領主になっていた。


あっという間に領地が復興したという噂は王都にも流れて来る。


建築の材料や中古の馬車を王都から領地に送る手伝いをしてみて、やっぱりこの方はすごいと思った。


こっそりとドラゴン討伐のおすそ分けが届いた時はさすがに腰が抜けた。


「謀反の疑いなんて、皆、言いがかりだと知ってたのにな」


一見平和に見えるこの国でも、裏には暗躍する者たちがいる。


そのことは若旦那はあの方の一件で、目の当たりにした。


何もしない王子を、大勢の軍隊で追い掛け回していたのだ。


「くだらねえ権力争いに巻き込みやがって」


それでも誰もそれは口にすることは出来ない。




「第一、馬好きなもんには悪いやつはいねえってのにな」


「はいはい。 おとーちゃんの口癖が始まった」


目の前で妻と子が笑っている。


この幸せをありがたいと思い、声もなく微笑んでいた少年の姿を思い出す。


貸し馬車屋の若旦那は、せめて少年が大切にしていた妹の幸せを祈った。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 王都には港が二か所ある。


王族や外国からの貴賓客用の港と一般用の港である。


その一般用の港の近くにある場末の飲み屋に入る人影があった。


「あら、いらっしゃい」


「ちゃーっす!」


暗い地下の店は、店内も薄暗い。


一斉に他の客が男性を見るが、明るい茶色の髪をした人族の青年は軽く手を上げて挨拶をする。


 この店は従業員も客も、ほとんどが亜人である。


「あんたもよくこの店を見つけたねえ」


黒豹の獣人である女性が、男性に酒を出しながら聞いた。


「王都は広いっすけど、おねえさんみたいな美人がいるお店は少ないっすから」


獣人などの亜人がいる地区はほぼ限られている。


この国では亜人は人族ではないというだけで蔑まれる対象なのだ。


 しかし、この人族の男性は気にすることもなく、いたずらっぽく笑って椅子に座る。


「んで、どうだったの?」


「そうっすねえ。 まあ、予想通りってとこっすか」


男性は先日、このアブシース王国から南西にある南方諸島という場所へ行って来た。




 アブシースの南に位置するデリークト公国は亜人が多く住んでいる。


この店の従業員たちも多くがその国の出身だ。


それぞれ訳があってこの国に流れて来た者たちである。


 そして彼らの出身国は昔から西にある南方諸島に住む海賊たちと交易していた。


現在はその島々は南方諸島連合という一つの国になっている。


「まー、なんていうか。


男性にとっては天国、女性にとっては地獄、ですかね」


黒豹の女性にしか聞こえない程度に声を落とす。


だけど、あんな状態では国はすぐに傾くのではないかと思う。


「なんで?」


言葉は少ないが、彼女は獣人にしては聡明だ。


すぐに男性に疑問をぶつける。




 南方諸島連合はいくつかの島国を統一して出来た。


そのお陰で様々な島の名産があり、その代表的なものは香辛料だった。


他国には魅力的な交易品となっている。


「香辛料や調味料は他の国にはない品だから、当分安泰でしょう?」


「そう思うでしょ?」


南方諸島連合はいうなれば小国の集まりだ。


いくら島国の代表が海賊で腕っぷしが強いといっても、大国の軍隊に勝てるとは思えない。


その小国がいつまでも高価な交易品である香辛料を独占出来るだろうか。


「魔術師っていうのは厄介なんですよ?」


こっそりとその香辛料を調べ、栽培にまでこぎつける可能性もある。


「長く交易してるデリークトはそんなことは考えてないかも知れませんけどね」


あの国はあまりにも危機感がなく、のほほんとし過ぎだと男性は顔を顰めた。


昔からの取引相手だからと安く買い叩き、諸外国へ高値で売っている。


その高値で買っている相手国の一つがアブシースであった。




 男性はこのアブシース王国の裏の裏まで知っている。


南方諸島連合の交易品に目を付け、すでに一部の貴族たちが動き出しているのだ。


「今はまだそこまでいってませんが」


潜入している商人たちは、島の女性たちの色香に骨抜きにされている。


だが、それもいつまでもつか分からない。


「おにいさんはいつまでもつと思ってるの?」


いつの間にか男性の隣の席に座った獣人の女性が、その艶やかな黒い肌をピタリと男性の腕に付ける。


 その感触を楽しみながら男性はポロリと口にする。


「そうっすねえ。 あと二、三年ぐらいかなあ」


思ってもみなかった短い予想に女性は驚き、とっさに距離をおく。


「あんた、何する気?」


ニヤリと口元を歪めた男性は、


「何もしないしー」


と言いながらカップの酒を揺らす。


 だが、今の情勢では早々に動き出すという気配はあった。


(アリセイラ姫の婚姻の儀式が終われば、次はキーサリス王太子の継承だ)


若い王はとにかく功を焦る。


その時期が一番危ないと男性は思っていた。


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