第32話 ホリーの新日常 その1

 ホリーの一日は、パパの声から始まる。



「ホリー! 朝だぞ! 稽古をしよう!」



 しかし、その日は、まったく別の、ものすごく煩わしい声によって叩き起こされた。



「嫌だ」


「ははは、そう言わずに!」



 タオルケットにくるまって、必死に抵抗をはかるホリーであったが、そんなものを意にも介さず、簡単にひっぺ返された。



「何で部屋に!」


「いや、起きて来ないから」


「鍵は!?」


「ん? ははは!」



 壊しやがったな!



「まぁ、いいじゃないか。今日もいい天気だぞ。寝ていたらもったいない」


「私は寝ていたいの!」


「朝は起きるものだぞ!」



 あぁ、もう、話にならない。


 これ以上議論しても仕方がないと、ホリーは起きることにした。


 出ていけと言ってもイザベルはまったく出ていこうとしない。だから、なるべくだらだらと服を着替えると、半分ほど着替えたところで、抱えられ、外へと連行された。



「何で、私が、こんなこと」



 さほど広くもないが、走り回るには十分の広さの庭で、ホリーは靴紐を結んでいた。


 まだ朝日は昇りかけ。いつもならば、深い眠りの中にいる時間だ。


 あぁ、恨めしい。


 ホリーは、目の前でストレッチをするヘヴィコングを睨みつけた。


 少なくとも美人である。小顔で鼻がすっと通っており、ダークブラウンの瞳が凛と輝いている。肩にかかるくらいの髪を無造作に垂らしており、実の歳よりも幼く見える。


 しかし、その肉体たるや、人のそれではない。決して大きくはないのだけれども、首筋、肩回り、腕の筋肉がくっきりと浮き出ており、女の身体とは思えない。ぴっちりサイズのグレーのシャツが、そういう意味でよく似あう。


 パパったら、こんな猿女のどこがよかったのかしら。


 自分が勧めたということは棚に上げて、ホリーは、クリフォードに対する不満を膨らませていた。


 そんなことを知らずに、イザベルは、にこりと笑った。



「さぁ、とりあえず組手でもしようか」


「いきなり!?」



 朝の運動に普通などというものがあるのか知らないが、それでも普通は、走ったり、剣の素振りとかをするものではないだろうか。 少なくとも、パパが朝稽古をしているとき、そんなかんじだ。



「私も1人ならば、身体の可動域のチェックと技の型の確認をするのだが、せっかくホリーがいるのだ。組手をしない手はないだろう」



 意味がわからない。



「ほら、どこからでもかかってこい。本気で来ていいぞ。私が受けてやろう」



 無邪気な顔で、イザベルは腰に手をあて、ホリーを促す。その無邪気さが、ホリーを苛立たせた。


 ホリーは女の子なのだ。朝から組手などしない。女の子なのだから、朝はゆっくり眠っていたいし、寝起きはパパに思いっきり甘やかされたい。


 誰が好き好んで、ヘヴィコングと組手などするものか。



「何だ? やり方がわからないのか? クリフォードから、武道のいろはくらいは教えたと聞いていたのだが」



 確かに、ホリーは、たまにクリフォードと組手をする。剣術も教えてもらった。だが、これは護身用だ。ホリーは世界一かわいいので、男達がむりやりものにしようとしかねない。そのときに、身を守るために父から教わったものである。


 決して、誰にでも披露するような野蛮な代物ではないのだ。


 まぁ、しかし。


 どうしても見たいというのであれば、披露してあげないこともないかな。


 ホリーは、屈伸して、首を回して、身体をほぐす。



「本気でいいのね?」


「あぁ、思う存分ぶつかってこい」



 ふーん。


 ホリーは、だらりとした状態から、姿勢を正して、しっかりと構える。


 そして、大地を強く踏み抜き、正面からイザベルのもとに向かった。


 ヘヴィコングはどうやら油断している。そりゃヘヴィコングだもの。こんな小さな女の子相手であれば油断もするだろう。しかし、彼女は大事なことを忘れていないだろうか。


 ホリーは、クリフォードの娘であるということを。


 快眠を邪魔したことを後悔させてやる!



ーーー



鍵・・・イザベルが訪れる半年ほど前に、部屋に鍵をつけたいとホリーが言い始めた。クリフォードは、反対したのだが、年頃の女の子はそういうものだ、とブレンダに諭された。ホリーの成長を感じつつも、いささか寂しさを覚える出来事なのだが、一瞬でイザベルによって破壊された。この後、鍵を直すことをクリフォードがものすごく渋るのだが、それは別の話。

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