第23話 とある執事の過去

よく冷え込んだ春の早朝。

いつものようにオーギュスト公爵邸の中庭へ出ると、花の花弁や若葉の表面には霜が下りていた。冬が終わり、気温も高くなってきているとはいえ、やはり陽の出ていない夜から朝方にかけては冷え込みが厳しくなる。首元に巻いていたマフラーを今一度巻き直し、育てている月下桔梗の元へ足を向け、少しばかり目を見開いて驚いた。

その視線は先に見える月下桔梗ではなく──その目の前に座り花を眺める、一人の女性に向けられていた。


手入れを欠かしていないであろう美しく長い茶の髪に、綺麗な顔立ち、翠玉の双眸。メイド服の上に厚手の上着を羽織っている。

彼女の名前は──。


「あ、ロイドさん、おはようございます」


こちらに気がついたように朗らかな笑みとともにそう挨拶をする彼女は、スカートについた皺を伸ばすようにパッパと払った。


こんな朝早くに何を?


尋ねると、彼女は花壇の月下桔梗を見た。


「昨晩、ロイドさんが熱心に水をあげているのを見て、見に来たんです。私、いつも朝は早くに起きるので」


花と彼女に近づき、思い出した。

その女性は、普段あまり関わることはないけれど、確かに何度か見かけたことがあった。いつも一生懸命に仕事をこなし、周囲の者たちからも慕われている、という印象を持ったのだった。

歳は自分と同じか、少し下。


「こんなに綺麗な花があったなんて……少し感激しちゃいました」


嬉しそうに笑う彼女の横顔。

昨日まで……ついさっきまで何も思わず、それどころか、存在すらほとんど記憶していなかったというのに。

その笑顔から……目を離すことができなかった。


「えぇ、綺麗ですね……とっても」



……私が彼女に──シエラに恋をしたのは、この時で、失ってしまった今でも、ずっと愛している。



凹凸激しい舗装されていない畑道に車を走らせれながら、速くなっていく心臓の鼓動を感じていた。時が経つに連れて、加速していき、大きく脈動を繰り返す。それは待望によるものか、はたまた焦燥か。判別はつかないけれど、どうでもよかった。


「もうすぐだよ……シエラ」


愛しの君に、再び会うことができる。

声を聞くことができる。

美しい瞳を覗くことができる。

抱きしめることができる。

聞き取ることができなかった……最期の言葉を知ることができる。


落ち着かない心臓の鼓動をやけに大きく感じながら、速度を上げて進む。

周囲には一頭の魔獣すらも、いなかった。



八本の足を気味悪く動かしながら地面を疾走するマンドラゴラを追いかけて、私も植物で作った虎を生み出して走る。相手も十分に速いとは思うけど、私の虎はそれを上回る速度で追いかける。


「妙なものを生み出して……まぁいい。すぐに生命力を吸収して枯れさせてやる」


エインがこちらを振り向いて、マンドラゴラに何かを指示。すると、脚を動かすのを止めて急ブレーキをかけたマンドラゴラは、口から棒状の物を出して地面に突き刺した。

その瞬間、私が乗っていた虎は朽ち果て、更に広範囲──まだ無事だった作物さえも生命力を吸収されて枯れ果ててしまった。


「ストローみたいに……周囲の植物の生命力を一気に吸収して」

「その通りだ。そして生命力を吸ったマンドラゴラは更に強くなり、走る速度も上がるのさ!」

「……」


私は何も言わないまま地面に手を当てる。魔力を練り上げ、魔法を発動。地面の中で確かに目的の物質が移動し、固まっていくのがわかった。

途端、マンドラゴラは地面に突き刺していたストロー代わりの棒状の物を抜こうと力を込める。けれど……。


「──な、何をしているんだマンドラゴラッ!!」


脚をジタバタと動かして暴れるマンドラゴラの異変に気がついたのか、エインが声を荒げて踵を打ち付ける。けれど、動きは一切止まらない。それどころか、暴れていたマンドラゴラの脚が地中へと埋まっていく。


「生命力を一気に吸収する。けれど、その範囲には限界があるはず。コップの中の水を飲み干したみたいに、吸収しきった生命力は元に戻らない。生命力の枯渇した範囲内を吸っても何も得るものはないでしょう?なら、そこに繋ぎ止めてしまえば、その気持ち悪い蜘蛛は成長することもない」


地面に手を掲げると、そこから一本の鉄の釘が生まれ、私の手の中に収まった。


「さっきと同じ手にかかるなんて、学習能力ないの?泥化した地面は動くものを離さない。それと──ついで」


手にしていた鉄の釘を、脚を固定している泥の中へと投げ入れる。これ自体に意味はないけれど、代わりに、泥から大きな鉄の針が突き出した。マンドラゴラの脚を四方八方から貫いているそれは、脚を完全に固定している。


「ダメ押し、かな」


針が刺さっている箇所から汚い血を滲ませ、蜘蛛は力なく脱力。逃れることはできない。さぁ、どうする?


「……ふ」


完全に身動きを封じられたというのにも関わらず、エインは不敵な笑みを浮かべて笑った。

なに?まだ何か切り札でもあるの?


「脚を固定した?あぁ、それは確かにいい考えかもしれない。移動するための脚がなければ、逃げることも戦うこともできはしないからな。普通の魔獣相手なら、これで君の勝利が確定していただろう。地中の成分を操作することができる君ならば、金属を集めてマンドラゴラを貫いてしまえば終わりだ」

「……?」

「けれど、私のマンドラゴラはそこいらの魔獣とは違う。生命力を吸収し、己の糧とする人造魔獣だ。から授かった、最強の生物。例え身体の部位を欠損しようとも、すぐに再生する!」

「………まさかッ!!」


嫌な予感が的中した。

脚や口のストローを固定されていた蜘蛛は突如蠢き、自ら固定された八本の脚とストローを切り離した。飛び散る緑色の液体。けれど数秒もしないうちの、新たな欠損部位が勢いよく生えてきた。

身体を刻んだとしても、死ぬことがない、それどころか瞬時に再生する驚異的な生命力。

足止めすることすらそう簡単ではない。


「さて、かなり痛めつけてくれたからね。存分に礼を返そうではないか」

「貴方達が素直にやられてくれるのが、一番のお礼なんだけど?」

「冗談を。そんなもの、渡すわけがないだろう?」


余裕綽々のエインを睨みつける。これ、私でも結構やばいかも。


「貴方の要望……そう簡単にこなせそうにないよ。レイズ」


先程届いた音声メッセージを脳内再生しながら、私は苦笑を漏らした。

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