息を潜めて

 風がさざめき、虫がささやき、木々がざわつく。

 そこにあるのは自然が生み出す音だけ。人の声は勿論、生活している事を窺わせるような音すらも聞こえない。


「……来ませんわね」


 茂みの陰で丸まり、串焼きにかぶりつくミィカ。ひらひらのドレス、露出した肩など見るだに寒そうだが、彼女は寒風に凍える素振りも全くない。ルーン文字が刻まれているとかいうストールのおかげだろう。便利なもんだ。


「まだ一時間も経ってねぇぞ。ぐだぐだ言うな」


 ロングコートの乱れを直しながら言う。ミィカはこれ見よがしに溜息を吐いた。


「こんな事ならお夜食をもう少し頼んでおけば良かったですわね。もう食べきっちゃいますわ」

「この串焼き、かなりボリュームあっただろうが……お前、魔術だ魔力だとか関係なくマジで大食いなだけだろ」

「そ、そんな事ありませんわ! 何ですの? こんなに食べたら太るとでも仰りたいのです? 太りませんし! 失礼な!」

「何も言ってねぇだろうが」


 小声で絶叫するミィカ。獣を待ち伏せている身である事は辛うじて覚えていたようで何よりだ。

 木の陰に隠れ、息を潜めて獣を待つ事、数十分。毎晩のように現れるという前情報の割りにはその気配すら見えない。

 こちらが痺れを切らすにはまだ早すぎるが、ミィカの言うように来るならとっとと来て欲しいもんだ。と、そっぽを向いていたミィカが勢いよくこちらに振り返る。


「……んだよ」

「眠気覚ましにお話をしましょう。失礼な事を言ったあなたに拒否権はありません」

「だから言ってねぇ。……まぁいい、付き合ってやるよ」


 ミィカは顎にその細い指を添え、短く唸った。


「ん~……そうですわね。レーヴェさんは魔獣と闘った事はあるんですの?」

「ある。数える程度だから、誇れる事でもねぇが」

「でも、その全てに勝てたから、今ここにいられるのでしょう?」

「リスクも高く、割りに合わねぇ相手だ。逃げれる状況なら闘いは避ける」

「なるほど。まぁ、魔獣駆除は『教会』という専門家がいますしね」


 うんうん、とミィカは納得したように頷いた。

 『セイルアミア教会』。〝信仰〟を司る、アランシアを生きる人々にとって良くも悪くも欠かせない存在だ。

 唯一神、女神シャイアスを崇め、人々の信仰を得ると同時、その影響力を利用して政治に口を出すようになってかなりの時が経った。その構成員の多くは修道女シスター、つまり女であり、かなりの数の役職に枝分かれして人々の生活と関わっている。

 その中でも特異な存在が、武具を手に人々の脅威と闘う者達。通称、武装修道女デュアルシスターだ。何度かその戦いぶりを目にした事があるが、その戦闘能力は確かに高い。


「ヤツらが魔獣駆除を得意としてるのは、女神様の御加護を受けてる、だとかいう眉唾物の武具のおかげらしいがな」

「実際に駆除できているのですし、眉唾物というわけじゃないのでは? というか、もしかして教会がお嫌いだったりします?」


 魔獣関連のいざこざは教会に頼む、というのが一般的な考えだ。魔術ギルドが〝利〟の少ない魔獣駆除に積極的でない事もあり、自然とそういった棲み分けが為されている。

 それを思えば、教会に感謝すべき部分も確かにあるのだが……、


「……自分達は女神の加護に護られてる、みてぇな態度が滲み出てて鼻につく。特に、前に依頼の時に絡んだ武装修道女は上から目線でムカついた」

「はぁ。レーヴェさんは女神の加護を信じていないのです?」

「んなもんあったらこんな稼業、とっくに廃業だ。お前こそ何だ、教会の信者なのか?」

「別に、そうではありませんけど……まぁ確かに、レーヴェさんが教会の信者なわけがありませんわね。見た目的に」

「るせぇよ」


 舌打ち交じりに返すと、口元に手を添えて笑う。何とも上品で淑女らしい仕草だが、あぁ鬱陶しい。


「それじゃあ次です。この依頼を今日中に終えたとして、明日からはどうするのです?」

「変わらねぇ。ソフィーネから依頼を受けて金を稼ぎつつ、お前を鍛え上げる……いや、闘いに慣れさせる、と言った方が近いか。10日程度になると想定してる」

「そ、そんなにこの街に滞在するつもりなんですの!?」

「不満か? 俺はすぐに街を発つ、と言った覚えはねぇし、そもそも10日ですら短すぎる」

「それは、そうかもしれませんけど……わ、わたくしは一刻も早くお母様の仇を」


 唇を噛み締めながら。レーヴェは、容赦しない。


「お前の標的ターゲットが、最速で旅を続けながら片手間で訓練をしたくらいでどうにかなる相手だっつーんなら、それでもいい。どうなんだ、あぁ?」

「…………」


 黙り込むミィカ。ったく、相変わらず分かりやすい小娘だ。


「お前が仇を殺せなければ、俺は報酬を受け取れない。手は抜かねぇぞ」

「それが必要だとあなたが言うのなら……受け入れます」


 不承不承、と言った様子ではあるが、ミィカはゆっくりと頷いた。

 嘘は何一つ言っていないが、こいつは見た感じ、行動が感情に左右されやすいタイプだろう。消沈したまま獣退治に臨んで死なれても困る。


「まぁ、まずは目先の依頼だ。一つずつ積み重ねろ。こういうのはな、気が付けば強くなってるモンだ」


 相手が依頼主だとは言え、こういうフォローは柄じゃない。

 ミィカは顔を上げ、小首を傾げて問うた。


「そういう、ものなんです……? レーヴェさんも、そうだったのですか?」

「そうだな。少なくとも、最初から強かった覚えはねぇな」

「ふふ……当然のように自分は強い、と仰るんですね」

「そりゃ、そこらのバカ共よりはな。上を見上げたらキリがねぇ。俺が知ってるだけでも化け物レベルのヤツが何人か」


 反射的に、言葉を止める。何事かを喋ろうとするミィカの口も手で塞ぎ、耳を澄ませた。

 音が、聞こえた。微かにだが、土や草を踏みしめる音、木の枝を踏み割る音。そして、


「~~~~~~~!」


 響き渡る遠吠え。闇の中、何かの影が蠢くのも見えた。

 数は四体、五体……いや、まだ増えていく。シルエットを見る限りでは、犬や狼に近い獣だろう。レーヴェは獰猛に笑った。


「団体さんの遅い到着だ。行くぞ」


 口を塞ぐ手をどける。彼女は僅かに赤らんだ顔で、恨みがましげにこちらを睨んだ。


「……いきなり淑女の口を塞ぐだなんて、乱暴ですわ。やはりレーヴェさんはその辺りの礼儀というものを」

「悪かった悪かった、淑女サマ。説教は後で聞く」


 レーヴェは剣を抜き放ちつつ続ける。


「臆するなよ。獣はビビって腰の引けてるヤツを狙う。その方が与しやすい、と本能的に理解しているからだ」

「は、はい……」

「言った傍からビビってんじゃねぇよ。俺もフォローする。お前はお前のやりやすいように立ち回り、目の前の敵を焼け。いいな」

「はい、よろしくお願いしますわ!」


 指輪に光を纏わせ、ストールを脱いで丁寧に折りたたみ、深呼吸を三回。ミィカは茂みの中から飛び出し、意気揚々と影の群れへと走り始める。

 ようやく影達もこちらの存在に気付いたらしい。威嚇の遠吠えを轟かせ、矢継ぎ早にレーヴェ達に飛びかかってきた。

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