2-4


 負けた旧フィールドマスターは、かつて自由に出入することを許されていたフィールドを追い出される。


 橋の北側で座席から降ろされたアマネは、そういうシステムらしいということを周囲の会話から察した。だからリラとライラのファンも野次馬も、橋から二人が出てくるのを待っているらしい。今まで勝ち続けていたが故にフィールド外にほとんど姿を現したことがないというウタタとユキは、好奇の眼差しの格好の対象だった。


 アマネは野次馬の集団を遠巻きに眺めながら、しばらく同じようにウタタ達を待ってみたが、一向にウタタ達は出てこなかった。もしかしたら、新しいフィールドマスターの配慮で、野次馬が居なくなるまで中に居ることを許されているのかもしれない。


 アマネは四時まで待って、諦めてカペラ吊り橋を後にした。


 ジグリアとは関係ない普通を橋を渡って、ふらふらと歩く。足は自然と〝カノープスの居城〟へ向かっていた。歩きながら、時折上空に灰色の鳥の姿がないか探す。鳥はいない。代わりに雲行きが怪しかった。


 違和感。辿り着けない小部屋。ただの道路にいるはずのないジグリアのマスコットキャラクター。灰色の鳥の妨害。


 ゲーム領域外ジグリア。


 ありえないはずの、実現しなかったことになっているはずのブラックキューブは、本当は現実世界に存在している。


 わかっている。

 わかっていた。


 目を逸らして知らないふりをしていただけで、初めて〝カノープスの居城〟を探索した時に、アマネのレベルが跳ね上がったのだってそれが原因だ。


 アマネはやがて〝カノープスの居城〟へ辿り着く。ガラス張りのビルを見上げて、はたと番人の存在を思い出した。今からダンジョンに潜っても、すぐに番人に追い出されてしまうだろう。


 アマネはウタタにメッセージを送った。


――怪我、大丈夫? 変なものを見たよ。九時まで城の近くの公園に居る。


 踏み込んだことは書かず、それだけ送った。意味が伝われば、ウタタが来るかもしれない。


 もうすぐ二月が終わる。一昨日は少し暖かったのに今日は寒い。天気が崩れるかも知れない。


 携帯端末でゲームのネットニュースを見てみると、リラとライラの敗北が伝えられていた。ニュースのコメント欄は大荒れで、SNSでも二人に対する罵詈雑言とそれに対抗する声が並んでいた。


 アマネは携帯端末をコートのポケットにしまって、寒さに耐えながら公園のベンチでウタタを待った。



    ★



「公園のどこにいるか教えてくれないと、見つけられないよ」


 文句を言う声にはっとしてアマネが顔を上げると、ウタタがペットボトルのミルクティーをアマネの目の前に差し出して立っていた。


「……ごめん」


 返事の代わりにペットボトルがずいとアマネの顔に押し付けられる。 


「ありがとう」


 アマネがペットボトルを受け取ると、ウタタはアマネの隣に腰を下ろした。


「あ、えっと、野次馬すごそうだったけど大丈夫だった?」


 なんと切り出していいか分からず、アマネは当たり障りのなさそうな話題を挙げた。


「野次馬?」


「カペラ吊り橋の前にいっぱい集まってたから」


 アマネが答えると、「あぁ」とウタタは頷いた。


「裏口から出たから」


「そっか」


「うん」


 わずかな沈黙のあと、ウタタが「それで」と言った。

「何を見たの?」


 ウタタに尋ねられて、アマネは一瞬だけ返答を躊躇った。ウタタはアマネがどこまでわかっているのか知らないが、アマネもウタタがどこまで知っているのか分からない。お互いに探り合いだ。


「……鳥。カノープスの居城の大広間に居るのと同じ灰色の鳥が、吊り橋にいた。途中で鳥からスナイパーが使うみたいなリングに形が変わって、ウタタを撃った。確信はないけど、あれは、挑戦者の二人の攻撃とは別のもだと思った」


「どうして?」


「鳥がバトル開始前から空を飛んでたから。それにリングがウタタを撃った時、挑戦者の二人に射撃までやる余裕があったとは思えなかったから」


「それで?」


「……あの鳥とリングは、プレイヤーとは別の、他の人からの妨害だったんじゃないかと思ってる。一月末の防衛戦の時のも、そうだったんじゃないかって」


「つまり、ゲームに不正アクセスをしている人がいて、なにかしらの理由で僕たちを妨害したってこと?」


 アマネは首を横に振った。


「不正アクセスというか、ゲーム領域外でジグリアの力を使えるようにする技術があるんじゃないか、と思ってる。そうじゃなきゃ、この間道路で見たマスコットキャラクターの説明が付かないし、今日撃たれたウタタが痛そうにしてたのもおかしいから」


 そっか、とウタタは答えた。感情の乗っていない声音だった。


「それで、僕が怪我したかもって思ったんだね」


 アマネは頷いた。


「大丈夫? 痛そうに見えたけど」


 少しの間ウタタは逡巡していたが、意を決したように口を開いた。


「今は大丈夫。撃たれたのは小さい針で、なにか塗られてたんだと思うけど、ずっとびりびり痛くて痺れてた」


 息を飲んだアマネを落ち着かせるように、ウタタは微笑んだ。


「今は、大丈夫」


 本当? となお訝しがるアマネに、ウタタは本当だって、と笑った。


「冷めちゃうよ」


 ウタタが目線だけでペットボトルを指した。アマネはペットボトルの蓋を開けて、白茶色の液体を喉に流し込んだ。まだ暖かくて甘かった。アマネは少しだけ気分が落ち着くのを感じた。


 それから、しばらく二人とも黙ったきりだった。


 アマネは沈黙が長引くに連れ、段々と不安が増していった。妙なことを言っている自覚はあった。不正アクセス、まではまだ可能性としてありえるだろう。ずっとフィールドマスターの座に居続けるリラとライラを良く思っていない人間が、二人を蹴落とすためにやったのかもしれない。


 ジグリアではあまり聞かない話だが、他のゲームではその程度の不正はありふれた話である。しかし、「ゲーム領域外でのジグリアの使用の可能性」は飛躍しすぎだ。根本的にありえないはずの話をアマネはしている。


 沈黙を破ったのはウタタだった。


「ジグリアのマスコットキャラクター、一応スピカって名前があるんだけど、僕がスピカを初めてゲームの外で見たのは夏頃だった。その頃から防衛戦での妨害も始まったんだけど、今日みたいにひどい妨害は初めてだった」


 淡々と話し始めたウタタにアマネはうん、と相槌を打つ。


「僕をフィールドマスターから降ろすためにやったことなら、今日の挑戦者の二人……八千穂さんと玉原さんがずっと準備してて、とうとう実行に移したのかと思ったんだ。でも、バトルの後に話してみたら、今日のバトルはおかしかったから運営に通報して調べてもらうって二人ともすごく怒ってて……。

 

 無関係の誰かが僕を負かしたくてやったんだとしても、スピカで僕を追い回す理由が分からないし、そもそもどうやってるのかもわからない。アマネの言うゲーム領域外でジグリアを使う技術みたいなものがないと、スピカは動かせないと思う」


 一気に話すと、ウタタは大きく息を吸って空を見上げた。


「ウタタ……」


 名前を呼んでみたものの、アマネはその先を言えない。


 なんと言えばいいのか分からなかった。しかしウタタは、


「ありがとう。今まで誰にも相談できなかったから、アマネに話せて少し楽になった」


  何の解決にもなっていないのに、アマネに笑って見せた。


「ウタタ、おれに何ができるかわからないけど、できる限り調べてみるよ。なにかわかったら連絡する。わからないことばっかりだけど、その……気を付けて」


 白々しい奴め、とアマネは心の中で自分自身に舌打ちした。お前は一番肝心なことを話していない。保身の為に隠している。


「うん。気を付ける。調べてくれるのは嬉しいけど、アマネも巻き込まれないよう気を付けてね」


 ウタタもウタタだ、とアマネは思う。ジグリアのマスコットキャラクターが、スピカが姿を現したあの夜、ゲーム領域外でジグリアを使えないとできないような、人間離れした動きをしていたのは誰だ。


「うん。ありがとう。今日は夜遅くにごめんね」


 わかっている。ウタタはアマネに見られていないと思っているし、見られていないなら自ら話す気はない。



 お互いにパンドラの箱を開ける気はないのだ。



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