EP.19 夏休みに幼馴染と同棲するかもとは言えない


 重たい脚を引きずるようにして登校し、自分のクラスに向かう。

 なんだかんだで忘れ物を取りに行っていたら朝のHRギリギリの時間になってしまった。

 HRで教師と顔を合わせるのが鬱陶しいのか、そそくさと教室から出ていく不良とすれ違う。


 ――ヒュッ


「ちっ……」


 挨拶代わりに殴られそうになった。朝は低血圧だからあんまり乗り気しない。

 避けるだけで穏便に事を済ませる。


 ――ガラガラ……


 人の揃った教室に入って自席に腰掛けたタイミングで、担任の教師が入ってきた。

 腰の曲がった、『おじいちゃん』の愛称で親しまれる国語教師。

 入室するや否や前の座席の女子に『おじいちゃん今日もかわいい~』『今日のベストお洒落だね?』なんて言われて困惑した表情を浮かべている。


(ほら。やっぱり男は『かわいい』なんて言われたところで何て言ったらいいかわからないんだよ。聞いてるか?咲愛也)


 ちなみに、このクラスには咲愛也はいない。

 俺はD組で咲愛也はB組だからだ。いくら幼馴染とはいえ、高校のクラスまで一緒というわけにはいかなかった。我ながら自分の運の悪さに閉口する。


 しかし、心なしかガラの悪い連中や派手めな女が多いD組。俺がこのクラスに入れられたことに作為的なものを感じなくも無い。

 口数も多くなく、周りから見ても友人は少なめ。それでいてケンカの強さ故にイジメの対象になることは無い、扱いやすい生徒。親父はムショだし。

 そんな比較的問題児の多いクラスで、俺は息をひそめるように暮らしていた。

 高校や大学を卒業して自立するまで、おじさんに迷惑はかけたくない。


(一限目は……音楽。うわ。早速教室移動か)


 朝の点呼と連絡事項が終わって一限目の準備の為に席を立つと、ある女子生徒に声を掛けられた。


「佐々木くーん!あーのさー!」


「…………」


 見るからに苦手な、派手めの女子。明るい茶髪を肩付近で巻いた、まぁ……ギャルだ。黒くはない、色白のギャル。

 見た目の割に親しみやすい人物だとクラス委員からは聞いている(俺は友人が少なすぎてそいつらに友人を作るように斡旋されている)が、苦手なものは苦手。

 俺、黒髪幼馴染美少女以外は興味ないから。


「ねぇ!佐々木君ってばぁ!」


「…………」


 だが、おじさんにも『人付き合いは世渡りするうえで役に立つ』と聞いているのでかろうじて返事する。第一声は、無視してしまったからな。


「なんだ――」


(……名前、なんだっけ?……)


「ちょ!朝からテンション低くない!?もっと元気出していこーよぉ!」


 バシバシ。


(肩を叩くな。ああもう……苦手。朝から高いそのテンションも、気安く触れてくるフレンドリーさも。話すときの距離がやたら近い、プライベートスペースの狭さも……)


 咲愛也も割とゼロ距離なことが多いが、咲愛也はいいんだよ。咲愛也だから。


「用があるなら簡潔に言え。一限は音楽室だろ?えっと……」


「柳だってば!やなぎ知世ちせ!あーもう、名前すら覚えられてないとか、完全に敗北フラグ立ってんじゃーん!」


「敗北?何が?」


 首を傾げると、ギャル、もとい柳はさっきまでのがっかり顔とは一変、机に身を乗り出す。


(そこ、俺の机……)


「あのさぁ!夏休み暇?佐々木君、部活してないっしょ?」


「…………」


「ウチとアリナとミサでプール行くんだけどさぁ!佐々木君も行こうよ!」


「なんだそのメンバーは。俺は荷物持ちか?」


「てゆーか、目の保養?いるだけでこっちのテンションがアガるっていうか?」


「行くわけないだろ。そんなよこしまなプール」


 大体、俺はそのアリナとミサの顔すら思い出せないんだぞ?クラスメイトっぽいのに。女子の下の名前なんて、覚えてるわけがない。

 一蹴すると、柳は意外にも食い下がる。


「男の子ひとりじゃないから!男子も呼ぶから!」


「合コンかよ?ますます行かない」


「えっ、ちょ!夏休み予定あんの!?無いでしょ!?ツレナイぃ!」


「なんで俺がお前らの道楽に付き合わないといけな――」


 ――ハッ……


 遠くから見守るような視線を感じて目を向けると、そこにはハラハラした表情のクラス委員が。『またお友達できないの?』みたいな心配丸出しな視線をこちらに……!


(その目で、俺を、見ないでくれ……!)


 幼稚園に入りたての頃の、おじさんの視線を思い出す!


 ダメだ、ダメだ。穏便に済ませなくては。またクラス委員に世話を焼かれるハメになる。


(穏便に!先約が入っていれば穏便に断れる……!夏休みの、予定、予定、予定……!)


 ――ない!


 俺は渋々口を開いた。


「夏休みは、予定があるから……」


「全部!?」


「全部」


「一か月間まるっと!?」


「まるっと」


「なにそれ!?」


「…………」


 咲愛也と同棲するかもしれない、とは言えない。

 これ以上言及されては分が悪い。俺はそそくさと移動を始めた。


「とにかく。俺、夏休みは忙しいんだ。すまないな。じゃ」


「あ、佐々木くぅん!?」


 廊下を出ると、ばったり咲愛也と出くわす。


「あ。みっちゃん……」


 上目遣いな、どこか元気のない視線。


(逃げたこと、やっぱ怒ってるよな……)


 でも、生着替えはさすがに避けたかった。

 ベストを被って顔を出したときの、髪の毛がさらさらと零れる一瞬は、きっと見た目も香りもヤバイだろうから。俺はそういう微妙な一瞬の色香に耐性が無かった。


「咲愛也、その……」


 何て声を掛けようかと言い淀んでいると、咲愛也はおずおずと口を開く。


「夏休み、予定あるの?」


「え?ああ……」


 お前と一か月過ごす予定とは、まだ言えない……


「そっか」


 意外にも、それだけ言うと咲愛也は去っていった。ぱたぱたと上履きを鳴らして、寂しそうな背を向ける。


「咲愛也……?」


 逃げたことが、そんなにショックだったのか。

 未だかつてない素っ気なさに、戸惑いが隠せない。


「え……」


 ひょっとして、俺、嫌われた?


 立ち止まっていると、追い越しざまに柳に声を掛けられる。


「佐々木君、音楽室行かないのぉー?もう結構ギリギリだよ?」


「あとで、行く……」



 悪いが、今はそれどころじゃない!



(咲愛也……どうして……!)


 いつもなら、会うと笑顔で挨拶してくれて。人がいないと腕を組んできたり。

 にこにこ嬉しそうにくっついてきて……

 それが、今日は――


『そっか』って……!


 それだけ!!


「う……」


 肺が、苦しい。酸素が、薄い。胸が痛いとはまさにこのこと。


(今朝咲愛也から逃げたことで、良心の呵責に耐え切れなくなっているのか?しかし、この程度なら前にも……)


 わからない。


 どうしてこんなに苦しいのか、咲愛也があんなに素っ気ないのか。

 それがここまで俺を苦しめるとは……!


「ダメだ……咲愛也に会って、話をしなくては……」


 けど、どこからどう話せばいいかもわからない!

 むしろ夏休みに来られると、それはそれで困る!


(考えろ、考えろ。咲愛也と俺のお試し同棲に反対姿勢な、権限を持つ同志……)


 ――ハッ……


 俺の頭脳が導き出した助っ人。


「あの人しか、いない……!」


 そう。咲愛也の父親。


 ――哲也さんだ……!

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