第25話 おねえちゃん


「――ん……」


 ふと、背中に伝わる冷たさと硬さを感じて目を覚ます。

 肩が痛くて頭も少し……多分、枕が合ってない。

 カーテンの隙間から零れる日差しはもうだいぶ高くて、どこからか漂う病院食のイマイチ美味しそうじゃない匂いが、お昼を告げていた。


「――ここは……」


(さっきまで、クッキー作ってたはずなのに……)


 見上げた天井は見覚えのある、白い壁。横目で見ると、枕元には咲月とお揃いで買ったお気に入りのハンカチが。


(ああ……『また』やっちゃったのか……)


 多分、わたしは発作で倒れて病院に運ばれた。

 前に倒れたのは半年前くらいだったか。ここ数か月は調子が良かったし、哲也君に夢中でそれどころじゃなかったから忘れてたけど、この心臓の発作は今でもたまにわたしを襲う。


(また、咲月に迷惑かけちゃったかな……?ひょっとすると、哲也君にも……)


「はぁ……ヤだな。この身体……」


 病気とは幼い頃からの長い付き合いとはいえ、好きになれなんて無理がある。

(でも、この病気がわたしのものでよかった……)


「哲也君、今頃なにしてるかな……?」


 身体を起こしてぼんやりと窓の方を眺めていると、不意に扉がノックされた。


「は~い」

「――お姉ちゃん?入っていい?」

「どうぞ~」


 私が返事すると、咲月がコンビニの袋を片手に入ってきた。


「具合はどう?――はい。お姉ちゃんの好きなプリン」

「わ、やった!とろけるやつ?」

「とろけるやつ。ひとりで食べられる?」


 咲月は点滴に繋がれている私の腕を見て声を掛けてくる。


「点滴如きに負けるわたしじゃありません」


 そういって、わたしはプリンを受け取った。プリンを食べるわたしを、頬杖をつきながら黙って見ている咲月。


「…………」

「……咲月。なんか元気ない?ごめんね?いつもわたしのせいで……」


 わたしが聞くと、咲月はびくりと肩を震わせた。


「そ、そんな!私がお姉ちゃんのことそんな風に思ってるわけないじゃない!」


(え……それ、そんなびっくりするようなことだったかな?)

 やっぱり、今日の咲月はなんかおかしい。


「咲月……なんか、あった?」

「――っ……」

「……?」

「なにも……」

「哲也君、今家にひとり?」

「うん。でも安心して?鎖の長さは完璧だから」

「そ、そう……」


(哲也君、ひとりで無茶しなければいいんだけど……)


 わたしがちびちびととろけるプリンを食べていると、何を思ったか、咲月は不意に私の入院着の裾を掴んできた。そして、震える唇を恐る恐る開く。


「ねぇ、お姉ちゃん……」

「――ん?」

「私のこと、恨んでる?」


(――へ?)


「な、なんで?急にどうしたの、咲月?」


 そんなこと言われても、こうしてお見舞いや迎えに来てくれる咲月に対して感謝こそすれ、恨む理由なんて無いわたしにはわけがわからない。


「恨むって……何を?ま、まさかわたしに内緒で哲也君のハジメテを――」

「そ、そんなんじゃないわよ!」


(そんなん、でもないと思うんだけどな……?でもいいや。ハジメテが誰でも、今わたしの傍に居てくれるなら、それでいい)


「じゃあ、どんなんなの?」


 わたしが問いかけると、咲月は泣きそうな目でわたしを見つめてきた。


「お姉ちゃんが、心臓の病気になったこと……」

「――へ?なんで?どうしてそれでわたしが咲月を恨むの?」


 ますます、わけがわからない。思わずプリンを食べる手が止まったわたしは、カップをテーブルに置いて咲月に向き直る。


「咲月どうしたの?やっぱりなんかおかしいよ!」

「おかしくなんてない……ずっと、思ってたのよ……」

「……?」

「もし、病気がお姉ちゃんのものじゃなくて、私のものだったら……って……」

「――っ!」

「私……そう思うと……そう考える、自分がこわい……」


 そう零した咲月の肩は震えていて、いつもの頼れる咲月の姿はうかがえなかった。


(病気のせいで苦しんでたのは、わたしだけじゃなかったんだね……咲月も、咲月なりに辛かったんだ……)

 わたしは、無言で咲月を抱きしめた。


「気づいてあげられなくて、ごめんね」

「……へ?」

「咲月も辛かったのに。わたし、ひとりで戦ってた……」

「そんな、こと……お姉ちゃんはいつだってがんばってたよ!今だって!」


 声を荒げる咲月に、わたしは穏やかに声を掛ける。できるだけ、心が落ち着くように。


「聞いて、咲月。わたし、この病気はどうしても好きになれないけど、なってよかったと思うことも、あるんだよ?」

「――!?」

「あ。信じてないでしょ?」

「し、信じられるわけないでしょ!?」


(しまった……ますます動揺させちゃった……)

 わたしは、心臓の動きと同じリズムで、ゆっくりと咲月の背中を叩く。


「ほんとだよ。だって、この病気になってなかったら、哲也君には会えなかったもん」

「――っ!」

「でもね、理由はもうひとつあるの」

「もうひとつ……?」

「うん。この病気が、わたしのものでよかった。咲月のところに行かないで、よかった」

「――――!!」

「わたし達は双子だから、ひょっとするとこの病気は咲月のものになってたかもしれない。でも、わたしのところに来てくれたから、わたしは咲月を守ることができた……ってことにならないかな?」

「そんな、わけ――」

「その方が、おねえちゃんらしくてかっこいいと、思わない?」


 わたしがそう笑いかけると、咲月は堰を切ったように泣き出した。

 入院着の胸元が、涙か鼻水かわからないものでみるみるうちに染みを広げていく。


「あ~泣かないでよ……泣かせたくないから、こうしてがんばってるのに……」

「知ってる!!」

「怒らないでよ……咲月こわい~」

「怒ってない!!」

「怒ってる~」


 わたしは、胸元で泣く咲月の背中をさすりながら、波が去るのを待った。

 泣き止んで顔を上げた咲月の顔はぐしゃぐしゃで、まるで子どもみたい。

 いつもは夕飯前にお菓子を食べて『お姉ちゃん!子どもじゃないんだから!』って怒られてるのはわたしなのに、変な感じ。でも、こうしてると自分がちゃんと『おねえちゃん』をできてるみたいで、少し嬉しく思う。


(小さい頃は、おねえちゃんらしいこと、何もしてあげられなかったから……)


 咲月はわたしとお揃いのハンカチで鼻をずびずびと啜ると、わたしの手を取った。


「――帰ろう。哲也君が、待ってる」

「ふふ……その台詞、この上なく嬉しい響きだね?」


 わたしも笑って手を握り返した。

 咲月が持ってきてくれた私服に着替えようとわたしが立ち上がると、不意に全身をあたたかい感触が包む。


「――咲月?」


 抱き締められたまま首を傾げると、咲月は小さく呟いた。


「――お姉ちゃん……大好き。お願いだから、ずっと傍にいてね……?」


 わたしは短く頷くと、なんとも可愛い妹の『お願い』を聞き入れる。


「いいよ。わたしも咲月のこと、大好きだもん。でもね――」

「でも……?」


 きょとんと首を傾げる咲月に、わたしはいたずらっぽく笑いかけた。


「哲也君のことも、負けないくらいに、だーいすき!」

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