セレナイト・コーパス
映画のエンドロールは回り続けていた。
ジュディは肘掛け代わりにカムリへ身を寄せている。いつもお喋りばかりのダアトも、物語が終わるまでは観客であることに徹しているようだった。
(マルクト)
カムリは考える。
映画の中で動いていたのはマルクトだけではない。
虎頭の傭兵ゲプラー。暗躍する怪盗ホド。イェソド。ケセド。コクマー......すべて、カムリを含めた――かれら『セフィラ型』の
ダアトなら。やかましく有能な書記官であるかれならば、既に分析を済ませているはずだった。有機知能網にコマンドを送ろうと、する。
玩具のようなビープ音。
空白。
「カムリ」
ジュディの声がぬるりと滑り込んでくる。
「ダアトは、
どこに行ったの?」
瞬間、カムリはジュディを抱えて跳躍していた。朽ちた珊瑚よりも容易く構造材を突き破り、モールの中心を竜骨のように貫く大樹に着地する。
もう一度だけダアトのコマンドを呼び出してみるが、依然として電子の洞だけが人口脳髄に残されていた。
ダアトは──恐らく、クラックされている。
カムリが全く気付かぬうちに、果てた。
『セフィラ型』と共に歩み続けた知恵の守手は、きょう長い旅を終えたのだ。
カムリは吼えた。
カムリの雪原のような体毛が、「冠」の解析によって得られた技術、謂集した”文章”に覆われてゆくさまが――ジュディにはみえるはずだった。
神話の魔狼のように、あるいは揺るぎない摂理のように。
少女を抱えたままセフィラ十一号カムリ・ケーニクライヒは上を向く。
ジュディもつられ、空をみる。
[ぐ ぐ ぐ ぐ ぐ]
え え え え え え え え
え ぐ え ぐ え ぐ え
え え え え え え え え
[ぐ ぐ ぐ ぐ ぐ]
鳥がいた。
裏返った現実に狂い咲く黒い薔薇のような怪鳥。
瞳はない。空間を切り取ったような、洞じみた漆黒だけが鳥の持つ色だ。
ただ。ただ、空を覆うほどに大きな四枚の翼と、嘴や鉤爪を意匠している全身の姿形だけが、その言語の正体を伝えていた。
「『冠』――」
ジュディが呟く。
同時に、”鳥”がカムリたちめがけて落ちてくる。
カムリは大樹を足場に再び跳躍した。分析と推論が脳内で加速していく。
(なぜダアトがクラックされている? モール内に長居しすぎたのか?)
(いや。偽装は完璧だったはずだ)
(ジュディだ。彼女をマーカーとして攻撃を仕掛けてきたのだ)
(だが私たちは『冠』の領域からは外れていた)
(まるで、誰かの手によって、恣意的に配置されたかのような――)
人間のニューロンを模して『冠』が生産した高分子通電樹脂の躯体が、単純な質量投射によってモールの竜穴状の建造を無慈悲に掘削してゆく。
カムリはジュディを背負ったまま黒い弾丸のごとくモールの内壁に突進し、直後。
二人は風を孕みながら、宙を舞っていた。
すかさずカムリは庇うようにジュディを抱え込み、着地姿勢をとる。
「カムリッ」
「口を開けるな! 衝撃吸収はまかせ」
「そうじゃなくて、下――」
カムリは眼下をみる。
大地がない。あるべきはずの草原がない。
ただ、死んだ海のような黒に覆われていた。
(ダメだ)
(私のセンサーだけではこの突然の
(ダアトの随行が前提のセフィラ型では、もう任務を遂行できない)
(せめて。ジュディだけでも)
そう思った直後、
稲妻のような轟音がカムリの背後を裂いた。
(また『冠』――
閃く。大戦において人類の制空権を一度たりとも握らせなかった蛇型の「冠」だ。十条、二十条――ジュディの蒼い瞳をけがすように、「冠」の黒い鞭が奔る。
自由落下するカムリの装甲は瞬く間にずたぼろになった。黒の大地は近い。
それでもカムリはけしてジュディを離すことはなかった。
システムは重大な生命維持機能の損傷とシャットダウン
景色が流れてゆく。右下腿の装甲が切断され、左肩部が破壊され、カムリの中身が次々と黒い大地に火花をひきながら零れてゆく。
(私は、)
(ジュディとどこかで会ったことがある。)
(私はきみが大好きだった)
(きみも多分、そうだったと思う)
(わからない)
(これは誰の記憶だろう?)
(これは 誰の物語だろう)
「......泣かないでくれ、ジュディ。私と君は、まだ会ったばかりなんだぞ」
もう、顔も見えない。音声センサ以外は全滅していた。すこしだけ、ノイズが走った。
「ジュディ」
「カムリ、違う! 私とあなたは、ずっと昔――だって、私は、」
「ありがとう」
とぷん。
ジュディ・アンクとともに、暗い海のなかにカムリは飲み込まれた。こうして最後のセフィラ型──カムリ・ケーニクライヒは永遠に死んだ。
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