サラリーマン猫飼勝の日常

 俺の名前は猫飼勝ねこかいまさる

 オフィス勤めのしがないサラリーマンさ。


 今日もここ、蒸し暑い鉄筋造りのジャングルで忙しく過ごしている、それだけの日々だ。


 まったく、何がクールビズだってんだ。

 何が密を避けるってんだ。


 マスクをつけてこれじゃあ熱中症で倒れちまうぜ。

 エアコンの電源を入れるってのがそんなに難しいのかい。


 まあいい。

 もう時計の針はてっぺんを指した。

 昼休憩だが、午後一番にアポイントが入ってる。

 やっこさんやたら早く来やがるからな。

 早めに昼飯は掻き込んどくのがクレバーだぜ。


「あ、猫飼さん、お疲れ様です」


 何だ、女子社員が声をかけてきた。珍しいな、いつもはそそくさとランチに出掛けてる頃なのに。


「猫飼さん、頼んでたお弁当、こっちに取りに来てください。

 三種類の中から選べるの、覚えてます?」


「弁当?」


「そうですよ。今日は月に一度のお弁当デーじゃないですか」


【しまったああ!】


 完全に忘れていた。

 そういえば今日は、全社員でテイクアウトのお昼を頼む日だった。


 新型の伝染病が流行って世界的に猛威を振るった今年、新入社員の歓迎会も自粛となり、その代わりに付き合いのある地元の飲食店を応援する意味も兼ねて提案された社内の親睦企画だった。

 今日は老舗の【松前屋】の唐揚げ弁当。


 ……何て事だ。

 昨日しっかり妻にメールで伝えていたのに。

 雨が降った朝にバスに遅れないように早めに出た勢いで、とっさに手渡された弁当を持ってきてしまった。

 くそう、妻はいつもの癖で弁当を用意してしまったのだ。

 しかも今、俺は慌てふためいてその弁当を半分まで食べてしまっている。


 ……どうする。

 そうだ。この食べかけの弁当は一旦給湯室の冷蔵庫に……。


【駄目だ!】


 人間の唾液には食物の腐敗を早める作用がある。藤岡弘がそう言っていた。だから彼はサバイバル時に水筒から直に水を飲むことを自ら禁じているのだ。しかもこの蒸し暑さ。


「自殺行為だ」


 待てよ。

 そうだ。

 松前屋の唐揚げ弁当を冷蔵庫に。

 そうだよ!

 晩飯にすればロスは無い。

 ちょっとうっかりが過ぎた中年って体でやり過ごせばいい。


 ……いや。

 待て待て。

 まだ決めるのは早いのかもしれない。


 ……もしかして。

 2つの弁当を食べるってことは?


 まさか。

 高校生じゃあるまいし。

 しかも、食べた弁当には唐揚げが入っていた。

 こんな短時間にいくら何でもそんな唐揚げばっかり……。


 いや。

 妻の唐揚げはムネ肉。

 松前屋の唐揚げは……モモ肉だ!


 むしろ食べ比べてみるってのも一興ではないのか!


 ……いけるか?

 

「猫飼さん、難しそうな顔でお弁当食べてるわね。美味しくなかったのかしら?」


 咀嚼だ。

 噛むスピードを最大限までスローに。

 そして回数は倍。


 大丈夫。

 若さでは勝てないが、クレバーでそれを補うんだ。


 見てるか、十代の俺。


 最後の福神漬けを口に放り込み、俺は窓の外を見やった。


 額からは悪い汗が滴り落ちてくる。

 だが後悔はしていなかった。


「……世界は、捨てたもんじゃない」


【サラリーマン猫飼勝の日常 ─完─ 】

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