蚤のコーヒースタンド

 小さな五坪ほどの店内。

 こじんまりとしたカウンターと、可動式の椅子が数脚。


 脱サラしたという変わり者の店主が営むそのお店の入り口には【蚤のコーヒースタンド】という看板が掛かっている。


 客の青年はいつものように椅子に座り、店内を見渡す。

 コーヒーの器具が綺麗に並ぶ戸棚。

 こじんまりとした空間に店主のお薦めらしき数冊の本がディスプレイされ、心地よいアコースティックともエレクトロともとれるBGMが流れる。


 そういえばこの店で同じ音楽を二度聞いたことがない。

 店主のこだわり、というか単に好きなだけなのだろう。


 20代後半の青年は市内のリハビリ施設で仕事をしている。

 もともと学生時代からコーヒーが好きで様々な店を回ってみたりもしていたが、最近は仕事が忙しくそんな余裕も無かった。


 たまたま町の外れにあるこの店を知ってから、月に数回訪れるようになった。今付き合っている恋人を連れてくるのもいいのだが、何となく隠れ家を明かしてしまいそうな気がしていつも一人だ。


「いらっしゃい。元気にしてたかい?」


 マスターは見た感じ60歳くらいだろうか。

 デニムのオーバーオールにコーヒー染めの木綿のエプロンをいつも着けている。


「はい。今日のブレンドコーヒーをください。

 それから持ち帰りの豆を100g。こないだの奴を」


「えーと、タンザニアのブレンドで深煎りだったかな。

 今から焙煎するから時間ちょっとかかるよ」


「はい」


 マスターは慣れた手つきでコーヒーを淹れる。

 青年は正直コーヒーの味などにそこまでうるさいこだわりは無かった。

 このお店に来るのは、とどのつまりは馬が合うって事なのだろう。


 計量した豆は目の前で焙煎される。

 輸入品のその焙煎機のガラス瓶の中で豆が軽快に踊る様子は見ていて楽しい。

 小ぶりな機械なので一回の焙煎で一人分が基本なのだが、その方が鮮度も良いしこの店の規模に合っているんだとか。


「でっかいガス釜みたいな設備も考えたんだけどね。

 年取っても使えるサイズ感ってのが重要でね、あと持病の喘息もあるんでしょっちゅう焙煎ってのもこたえる。

 それでも月に一度は知り合いの焙煎小屋を借りてるんだがね」


 コースターの上にことりと置かれたカップ。

 黒の水面に湯気が浮かぶ。


「にしたってさ、マスター。

 普通コーヒースタンドってもっと人通りが多い場所でやるもんじゃないの? ここ、だいぶ郊外すぎない?」


「ははは。変かね?

 でもまあ、全部俺の手の届く範囲がいいんでね。俺にはこのサイズが重要なのさ」


 そんなもんかね。

 ま、その店に来てる俺も変わってるんだろうな。


 そう思いつつコーヒーを一口すすると、ほんのりとした酸味とともに甘い香りがひろがった。

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