こちら異世界商工会出張相談所

 そこは昭和最後の年に建てられたやや古いデザインの鉄骨造りの施設だった。


 なかでも一際目を引く、ひどく古びた木製扉。


 かかっている看板にはこう書かれている。


【青石スタンプ会館 別館】


 扉の前に立った中老の男は取っ手に据え付けられている年季のはいった錠前を、鞄から取り出した鍵を使って解錠した。


「さぁてと……」


 明るい紺色のスーツに身を包んだ彼は、袖を引いて腕時計を確認する。針が指す時刻はいつも同じ10時50分。帽子を脱いで髪を整えると浅く息を吐き、静かにドアノブを回した。


【ギイイイッ……】


 開かれた扉からひろがる薄暗い闇。その先にランプの灯に照らされた机がひとつ。さらに向こうにはレトロ調の磨り硝子に仕切られた小部屋が見える。


 机のかたわらで椅子に腰掛け、机上の古いタイプライターを叩く一人の少女がこちらを振り向いた。


「キンクマかい、今日も時間通りだね」


 スーツの男は上着を木製のコート掛けにかけ、帽子を脱いだ。


「クロエ、いいかげんパソコンでも買ったらどうだ。仕事しづらいだろう?」


 名前の通りの艶のある黒髪を真後ろに束ねたその少女はせわしく動く指をぴたりと止めた。


「何言ってるんだい、人を時代遅れの置物みたいに。私もこの機械もまだまだ現役なんだ」


「そうかい、俺はもうくたびれた爺さんさ。体が軋んで油も差せねえ」


「おやおや。弱音を吐くじゃないか。歳は取りたくないもんだ」


「憎まれ口はいいさ。それより今日の相談予定はどうなってるんだ」


「そうそう、今日もお客さんだよ。最近はここいらも商売あがったりでね、スタンプ会も会員減少で青色吐息だよ。商店主たちは悩みが尽きなくて頭が痛いってやつさ」


「…………」


 読者にはこの男のことを紹介しなければならない。

 男の名は近田熊治ちかだ くまはる、59才。人は彼のことを【キンクマ】と呼ぶ。

 日本のどこかにある【真珠町しんじゅまち】の商工会で、商売を営む人々を相手に経営相談を行う指導係としてかれこれ30年間勤務している。

 そんな彼が週に一度、真珠町の外れにある集落【青石地区】に訪れて出張相談を行うのだが、そこは【青石スタンプ会】といういわゆるお買い物クーポンを発行する事務所の別館を間借りした簡易の相談部屋であった。


 キンクマが毎週欠かさず出張相談にこの別館へと訪れるのにはわけがある。

 この館の出張窓口には、毎回ちょっと変わった相談が寄せられるのだ。


【ピンポーン】


 外界と繋がるガラス製の引き戸が開いて、センサー式の気の抜けたチャイムが鳴る。


「どうも、お邪魔しますぜぇ」


 業務日誌に日付を書き込んでいたキンクマが目を上げると、椅子の上には人間の頭だけがあった。


「……おいおい、首から下を置いてきちゃいけねぇだろうよ」


「いやぁ、すいやせん。あっしはペナンガランって男でやんす。青石地区で小さな酒場を営んでまして、名物料理の【生血の煮こごり】の仕込みが忙しくて、胴体は厨房に置いてきたんでさぁ」


「ふむ。店が忙しいならばいいことですな。しかしまぁ、仕込みくらいは従業員に任せたっていいでしょうに」


 相談に来たのは【ペナンガラン】。胴体と首が分離して、頭だけの姿でさ迷う魔物の一種だ。頭部だけの存在と思われがちだが、よく見ると頭から細い糸のような首が体へと伸びている。


 ここは世界でも珍しい異世界と現世を繋ぐ境目の世界。商売を営む魔物や精霊が経営の悩みを打ち明けに訪れるのだ。


「まぁ、あっしが気が短いってのも理由なんですがね、店を手伝うってんで10年前に雇った親友の息子をつい怒鳴っちまうんでさ。この通り、年取っちまった上に最近じゃ向かいのパペット野郎の店が出すコジャれた【脳髄スープ】が人気でしてね。あんまり繁盛するもんだから、こちとら客足がパッタリの赤字続き。店を休むこともできねえんでさ」


「ふむ……」


 その時、部屋にクロエがお茶を運んできた。


「おや、ペナンガランじゃないか。雇った食人鬼グールの息子ってのが役に立たないってボヤいてたのはどうなったね?」


「おお、クロエさんかい。ちょうど喉が乾いてたんだ。お茶を頂くよ。グールはな、気は優しいんだが、大人しくてな、俺ら年寄りには近頃のワカモンの気持ちがわからんよ」


「ペナンガランさん」


 店の決算書をめくっていたキンクマが手を止めた。


「まずは、おたくは帳簿の付け方から改めないといけませんな。これじゃあ次の確定申告も心配だ」


「へぇ、帳簿はしっかりつけてるつもりなんですが、何か不備でも?」


「決算書を見てるんですがどうも直近二期の在庫の数字が合わない。食材の管理は誰が?」


◇ ◇ ◇


 ここはペナンガランの店の地下倉庫。薄暗い照明が灯す室内をうごめく一体の影があった。


【ガランガラン】


 ふいに野菜の入った金樽が転がる。


「おい、おめぇナニモンだ!」


「!!!」


 声に驚いて逃げ出そうとした影の前に、キンクマが立ちふさがった。


「どっ」


 キンクマの体が一瞬沈む。


「せぇい!」


 学生時代に柔道でならした払い腰。次の瞬間、影の体は宙を一回転して床に叩きつけられた。肉、果物、魚などあたり一杯に散らばる食材。


「いだだだ……ご、ゴメンなさい」


 そこに駆け寄ってきたのはペナンガランだ。いや、頭部だけなので浮遊してきたと言う方が正しい。


「お……おめぇは! グールじゃないか! なんてことだ、うちの仕入れを盗み食いしてたなんて……」


「赤字の原因は在庫だったってわけね……」


 クロエが落ちたリンゴを拾う。


「ひぇぇ! ゴメンなさい! ゴメンなさい!」


「クビだ! おめぇなんざ顔も見たくねえ!」


「待ってください!」


 キンクマが叫んだ。その目線の先は調理台の上にある。そこにはパイ生地に包まれた数々の料理の試作があった。

 涙を拭きながらグールが絞りだすような声で話し始めた。


「おら、親方の役に立ちたくて。あんなパペット野郎の店に負けたくなくて。それで、こっそり料理の練習してたんだ。でもさ、おら食人鬼グールだろ? すぐ腹が減っちまって、つい置いてある肉や野菜をつまみ食いしてたんだ。アアァー! おらバカヤローだ!」


「……ペナンガランさん」


「え?」


「従業員のミスというのは、大半は経営者の責任です。あなたは帳簿はつけていたが定期の棚卸しと決算書の解釈を怠った。それが出来ていれば、もっと早くに事態に気づけていたはず」


「……」


「従業員の彼はこのお店を愛するあまり、ライバル店に負けまいと必死に新しいメニューを作っていたのではないですか?」


 ペナンガランはしばらく無言で考えたあと、調理台の上のパイを一口、器用に口に運んだ。


「【屍肉のパイ包み焼き】かぁ……。血のソースが決めてだな」


 グールの肩が震え、こらえていた嗚咽がこぼれる。クロエは無表情のままだったが誰からも見えないように、キンクマのスーツの裾をぎゅっと握りしめていた。


 その時、グールの肩を後ろから二本の腕が優しく包んだ。グールが振り向くとペナンガランの胴体部分が立っていた。


「腐った肉に新鮮な生血を組み合わせるとはなあ。俺にはとうてい思いつかねぇ、お前らしい繊細な料理だよ」


「お、お、おやかた……」


「間違いねえ、こりゃあすげぇレシピだよ」


 ペナンガランの白い歯がのぞいた。


「厨房はおめぇに任せようかな、俺も引退しようかと思ってたとこだ」


「そんな! 親方が引退なんて! 俺は親方が作るあの煮こごりが好きなんだ!」


 ペナンガランがふっと笑った。


「そうだな。引退するってのは気がはやすぎらぁ。その前にとっておきの新メニューで一緒に向かいの商売敵しょうばいがたきに一泡ふかそうじゃあねぇか!」


 抱き合う二人にキンクマが後ろから声をかけた。


「正しい帳簿付けがしたいなら、【青色申告】がおすすめだぜ……」


 真珠町青石地区。

 ここには週に一度だけ開かれ、異なる世界の異なる住民達が相談に訪れる不思議な出張相談所がある。

 魔物達の人情味がにじむ人生譚にひっそりと寄り添う指導係キンクマと助手のクロエによって、今日もまた物語が紡がれていくのだ。

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