サクヤちゃんとおくにちゃん

「もうよい。ここで待て」


「姫さま、山奥にお一人で行かれますと……」


「熊が出るとでも? ツル、何度も言わすな。化粧水を汲んでくるだけじゃ!」


 彼女は社へと続く小道をずんずんと歩いていく。


「やれやれ、姫さまのお転婆には参ったものじゃ」


 その姫の名前は国といった。

 侍女のツルは国姫に幼い頃から仕え身の回りの世話を行ってきた。

 あの天下の徳川家康公の曾孫にあたり、容姿美麗にして男勝りの国姫様といえば武家界隈に知らぬ者はいない。

 御屋形さまの移封で転居してきたここ日向国でも自由奔放な振る舞いは相変わらずだ。


 それはこの地に伝わる女人禁制の霊山の話を聞いた際。


 「女子おなごだから登ってはならぬなどと、納得できませぬ!」


 国姫は引き留める宮司や家臣を振り払って早々に山頂へ登ってしまい、騒ぎを聞いた御屋形さまは後日しぶしぶ霊山の禁を解き、民間の子女らにも広く参拝を許可するお触れを発した。

 この事はすぐに城下に広まり、国姫はな女性という意味を込めて【日向御前】と呼ばれるようになった。

 

 はじめに輿入れした越後国で御家騒動が起こり前夫と離縁、現在の夫である有馬様と再婚した先の肥前国ではあらぬ疑いに巻き込まれ、現在の日向国へと移封。

 災難続きのなか、家康公の血という宿命を背負う彼女は人一倍強くなければならなかったのかもしれない。

 ツルの脳裏に姫の幼い頃の無邪気な笑顔が浮かぶ。

 ……あの豪気なふるまいは、姫の寂しさの現れなのだ。


「しかし、お社に参拝される国姫様は楽しそうじゃ……」


──山腹の小さな社。

 すぐ横の井戸から水を掬って竹筒を満たした国姫は静かに手を合わせる。


「夫の疑いが晴れますよう……」


 夫の有馬直純は幕府よりキリシタンの疑いをかけられ移封となった。彼女は夫を深く愛しており、妻として彼の疑念払拭に努めると心に決めていた。


 時期は夏も暑さの盛りを越えた9月。にもかかわらず、おおよそ見るはずのない花が周囲の枝に咲き始めた。


「この時期に……桜……?」


「難儀じゃのう。夫のために足しげくお祈りとは」


 鮮やかな色彩の着物が空の青に映える。舞い降りたその女性はにこりと微笑んだ。


「……もう。驚かせんでちょ、


「ふふふ。いらっしゃい、


───それは、この地に移って間もなくのある夜の事。慣れない暮らしに疲れ果てていた国姫の夢枕に立つ者がいた。


わらわは当地アタゴヤマに住まう花の神、コノハナサクヤと申す者。

 鎮座する我がやしろが戦の煽りで荒れたまま、日に日に廃れておる。姫の力で再興願いたい】


「……で、山の事を聞くと女人禁制って言うじゃない?

 男衆があんまり五月蝿うるさいもんだから、有無を言わせず馬に乗って駆け登ってやったの」


 しかし、いざ立ち入ったこの場所で本当に夢枕の女神に出会うとは、最初は国姫も流石に驚いた。


「私、ほんとは引っ越したこの土地で大人しくするつもりだったの。

 ほら、2度目の輿入れだし? まぁ、騒いだお陰ですっかりお転婆がばれちゃったけど」


「悪いことをした。だが夢に出て翌日には禁制を破って社を訪れるのだ。おくにちゃんらしいではないか」


「だね。伊達に家康公の血はひいてりゃーせんて!」


 2人は何故かよく気があった。それから週に数度こうして気軽に話をするのだ。


「そうそう。おくにちゃん」


「なぁに? サクヤちゃん」


「おくにちゃんの言葉、とっても面白いよね?」


「えっ? ああ、これ?

 侍女のツルがね、私が赤子の時にやって来たんじゃけど里の訛りがいつまでも取れんでね。

 だもんでうちも真似して子供の頃はずーっとこの喋り方だったんよ。

 もう忘れてもーてたんじゃけど、サクヤちゃんと一緒にいたら楽しくてねぇ。自然と口に出てかなんわ」


「ふぅん……それ、私にも教えて!」


「えへへ。そりゃわやだが♪」


 それは1614年の夏の日、2人だけが知っているお話。

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